生命力あふれる線と色で、人々を唯一無二の「あんずワールド」へと誘う画家の蟹江杏さん。近年では版画だけでなくキャンバス作品も手がけるなど、新しい表現の探求にも取り組んでいます。そんな杏さんにとって、今年は画業25周年の記念の年。2024年5月30日(木)~6月5日(水)には東京・銀座の「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」にて記念新作展を開催、会場内では25周年記念アートブック『eyes ―25th being an artist-』(東海教育研究所)の先行販売も予定されています。節目の年を迎えた杏さんに、これまでの歩みをあらためて振り返ってもらうとともに、25年のその先についても聞きました。――「かもめの本棚」と杏さんとの出会いは今から約10年前。2011年の東日本大震災直後から福島の子どもたちへの支援に取り組んでいる、杏さんの活動を紹介するインタビューが始まりでしたね。そのときに出会った、少女がそのまま大人になったようなキラキラとした黒目がちな眼差しが印象に残っていて、「蟹江さん」と呼ぶよりも「杏さん」と呼んでしまいます。以来、折にふれてお話を聞かせてもらうだけでなく、杏さん初のエッセイ本『あんずとないしょ話』と、絵本『あんずのあいうえお』という2冊の本を一緒に制作する機会にも恵まれました。そして今回は、画業25周年を記念したアートブック『eyes―25th being an artist-』の制作に再び携わることができ、とてもうれしく思っています。まずは、「画業25周年、おめでとうございます」とお祝いを言わせてください。 画業25周年と言ってはいますが、これはアーティストとして最初の展覧会を開いてからの年月です。私は生まれて物心がついたころから毎日、まるで日記を書くように絵を描いてきたので、「絵を描いてきた年月は?」と問われれば25年よりもっと長い年月になります。ですから正直に言うと、25周年という数字を意識したことはそれほどありません。それでもアーティストとして自分の作品を多くの方々に見ていただき、評価を受け、気に入った作品を購入してもらうようになってからは、まるでジェットコースターに乗っているみたいにあっという間に時間が過ぎていったような気はしています。
時が経つのがこれだけ早いとしたら、この先もきっとあっという間なのでしょう。私の残りの人生を考えたら、あと何枚の絵が描けるのだろう? 描きたいものを描ける時間がどれだけあるのだろう? と思わずにはいられません。「死」というものに対して人より怯えがあるというか、興味もあるけれど恐怖もあり、命の終わりについて考えない日はないぐらいです。だから時間を惜しんで「一枚でも多く」と、追い立てられるように描いています。
朝、起きたらベッドの中でスケッチをし、アトリエでは一日中絵を描き、家に帰っても夜寝る前にベッドの中でまたスケッチをする……。何かに突き動かされるようにずっと描いている自分を俯瞰すると、なぜそんなに焦っているのかと不思議にも思います。もちろん「もう嫌だ、描きたくない」と思う日もたまにはあるのですが、「嫌だ」「嫌だ」と言いながらも描いているんですね。そしてたまの休日も、「今日はせっかくの休みだから絵を描こう!」と思ってまた描いている(笑)。ただ、この追い立てられる感覚は実は幼少期からありました。「いっぱい描かなきゃ」「もっと描かなきゃ」といつも思っていた気がします。
絵を描くのが楽しくてたまらない
―― きっと、描きたいことが次から次へと湧き出てくるような感覚なのですね。幼少期からから今までずっと同じ状態なのだと聞くと、やはり杏さんは絵を描くために生まれてきたのだと思わずにはいられません。それでもこの25年を振り返って、ご自身の中で変わらないこと・変わったことはありますか?
蟹江杏 画業25周年記念新作展「eyes」
2024年5月30日(木)~6月5日(水)
会場:Artglorieux GALLERY OF TOKYO
全く変わらないのは、絵を描くのが圧倒的に楽しくて、大好きなことです。結局のところ、描いていないと人生がつまらないのです。この世に生まれたからには好きな絵をずっと描いていたい――この気持ちはずっと変わりません。変わったのは、人の気持ちや思いといったものを想像しながら描けるようになったこと。自分が描きたいものだけでなく、誰かを思い、その人を励ます絵を描きたい、あの人が元気になる絵を描こうというように、自分と絵の間に「別の誰か」が介在するようになったのです。
きっかけは、十数年前から全国でも個展を開くようになり、顔も名前も知らなかったたくさんの方々の手もとにも私の絵が届くようになったことです。私の絵を持っているのはどんな人だろう? とイメージし、見えない誰かを思う気持ちが膨らんでいったのだと思います。東日本大震災の後、福島の子どもたちと一緒に絵を描いた経験も大きかったのかもしれません。それまでの私は、絵を描くことは自分の中にある何かをアウトプットする行為で、社会にとっては何の役にも立たないと長い間考えてきました。それが他者の存在を意識することで、私の生み出した作品をより多くの人と共有できる、作品を通してつながることができるのだと気づき、そこから描くことの意味が少し変わったような気がしています。
他者の存在に気づいてクリアになった“境界線”
悲しいことではありますが、「アート」という純粋で普遍的なものをビジネスに活用しようとする人たちもいます。もちろん、画家として作品に値を付けて販売し、それによって生活の糧を得ているわけですから、私もビジネスと全く無縁だとは言えません。けれども自分の意に添わないことに巻き込まれる可能性があることに対して、憤りはあります。問題は、アーティストとして社会やビジネスとどう距離を取るか、私自身の正義感や仕事へのこだわりやプライドがある中でどこにボーダーラインを引くかということです。むやみに譲れば好きなものをねじ曲げ、自分の世界を切り売りすることになってしまう。幸せとは反対の方向にずるずる押し流されてしまいます。
ところが他者の存在を意識するようになってからは、私自身の譲れる部分と譲れない部分の境界線がはっきりと表れてきたように感じています。「残りの人生であと何枚描けるか」と思っている私にとっては、それはとても重要なことです。そして、そのことに気づいてからはむしろ、「何の役に立たなくてもいいや」「好きなものをひたすら描こう」という気持ちになりました。こうして今は自分なりの新しい一歩を踏み出したところです。(つづく)
――これまでの10年、20年、25年が線のようにつながって今がある、と語る杏さん。25年のその先を、次回(後編)では少しだけ教えてもらいます。(構成:宮嶋尚美)
【蟹江杏さんのホームページアドレス】
http://atelieranz.jp/蟹江杏 画業25周年記念新作展「eyes」
次なる杏の世界の始まりを彷彿とさせる最新作を一挙初公開。作品を購入した方には作家直筆サイン入り25周年記念アートブック『eyes―25th being an artist-』のプレゼントも。
会期:2024年5月30日(木)~6月5日(水)
時間:10:30~20:30(最終日は18:00まで)
会場:
Artglorieux GALLERY OF TOKYO(東京都中央区銀座6-10-1 GINZASIX 5F)

定価2,420円(税込)
2024年6月6日発売
《新作展会場内で先行販売》
画業25周年記念アートブック
『eyes
―25th being an artist-』蟹江 杏 著生命力あふれる線と色で、人々を唯一無二の「あんずワールド」へと誘う画家・蟹江杏。その画業25周年を記念して近年の代表作を収録。エッセイ・詩・短歌とさまざまなスタイルで語られる「言葉」を通して、画家の見つめる世界に迫る珠玉のアートブック。
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詳細はコチラ⇒《好評既刊》
『あんずとないしょ話』 子どもたちの心の奥底にある本音を、創作活動の原点でもある自身の子ども時代を振り返りつつ、版画と感性あふれる文章で描き出す。ミュージシャン・石川浩司さん(元・たま)との対談も収録。
『あんずのあいうえお』「あ」から始まる「いのちの名前」。はじめて50音に出会う子どもたちも、もう一度50音に再会したい大人たちも、杏さんが描くひらがな50音の世界を旅しよう!