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美しいくらし
忘れられないイタリアの美しい村 トスカーナ自由自在
中山久美子
最終回 凝灰岩にそびえ立つ小さなエルサレム【ピティリアーノ】


 イタリアに移住して10年近く経ったころ、フィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアなどの有名観光地や姑の故郷のオルチャ渓谷といった数々の世界遺産に頻繁に足を運んでいたせいか、美しい景観にすっかり慣れっこになっていた私。昔のように絶景を見ても感動で震える体験から遠ざかっていました。しかし、忘れもしない2010年の秋、ピティリアーノを訪れたときは違いました。胸を突き上げる衝撃、ゾワゾワと全身に広がる鳥肌。断崖絶壁の岩にそびえる村の姿に圧倒され、非現実の世界に引き込まれたかのように呆然とその場に立ち尽くしてしまいました。

 深緑の大自然の中で半島のように東西に突き出したピティリアーノは、トスカーナ州南部から隣のラツィオ州にまたがるマレンマ地方にある「トゥーフォ(凝灰岩)の村」の1つ。火山活動から形成された巨大な凝灰岩の上に建てられた村です。紀元前にこの地を支配したエトルリア人の時代から、岩壁に住居や保存庫のための穴が多数掘られてきました。凝灰岩の加工しやすさから、「建てる」のではなく、「掘る」ことによってさまざまな空間を確保してきたこの村の石文化は、住居に限らず墓、排水路、貯蔵庫、そして通路にも。10キロメートルほど離れた同じ凝灰岩の村ソヴァーナやソラーノまで、切り立った凝灰岩の道が張り巡らされています。

 東端の門から旧市街に入ると、まず左手にメディチ家統治時代に完成した水道橋のアーチが見えます。すぐ近くにあるのがレプッブリカ広場。その一角にあるオルシーニ宮殿は宮殿内や要塞内部を見学できるほか、宗教画を展示した博物館としても利用されています。広場の西側には北からヴィニョーリ通り、お店が並んでにぎやかなローマ通りとズッカレッリ通りが延び、そのほかに60もの路地が網目のように広がっています。

 「凝灰岩の村」として知られるピティリアーノは、500年にわたりユダヤ人のコミュニティーが存在していたことから「小さなエルサレム」という別称を持っています。きっかけは1556年、オルシー二家がお抱えのユダヤ人医師にユダヤ人墓地のための土地を与えたことに始まります。1598年にシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が建立されてから、土地の所有権などの待遇が改善されてユダヤ人の移住が促進。1622年にはゲットー(ユダヤ人居住地区)も建設されました。興味深いのは、彼らもかつてのエトルリア人のように凝灰岩を掘り、地下へ必要な空間を広げていったこと。現存する彼らがつくった地下空間では、独特の精神世界を感じさせる沐浴場、ワインセラー、畜殺場、生活道具や衣装、食べ物などが展示され、「法の民」と呼ばれるユダヤ人がいかに厳格なルールに従って生きているのかを理解することができました。

結婚前や出産後にユダヤ人女性が身を清めた沐浴場

 あらゆる地で苦難を受けていたユダヤ人ですが、ピティリアーノでは宗教と民族の違いを超え、商業面でも良好な関係を続けていました。1799年のナポレオン軍によるゲットー略奪を阻止したり、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人狩りに際し命がけで彼らをかくまったりしたのは、ピティリアーノの人々。最盛期には人口の20パーセントを占めたユダヤ人はもう数人だけになってしまいましたが、ピティリアーノの歴史の一部としてユダヤ人の文化を伝承する活動は現在も続いています。戦争や移民などの問題を抱える今、彼らから学べることはないだろうか? と少し考えさせられるのでした。

 そんな思いを巡らせて通りに出ると、看板もない小さな店が目に留まりました。店先に並ぶ春らしいピンクのテーブルランナーや布製カバンに心惹かれて店の中をのぞいてみると、奥には木製の機織り機と、そこで作業をする女性がいます。中に入って話かけてみることにしました。というのも、2010年から何度もピティリアーノを訪問していますが、そのたびに工房やアーティストの店が増えていくので不思議に思っていたのです。

機織り職人のマリア・ラウラさん

ジュエリー職人のマルコさん

 「移住プロモーションがあるわけではないのに、どうしてピティリアーノに?」
 前回訪問したときに話を聞いたタイヤリサイクル職人のサンテさんはローマ出身で、私の問いに、「昔ながらの人間らしい生活ができるからかな」と答えてくれたのを思い出しました。そこで、機織り職人のマリア・ラウラさんに同じ質問をすると、サンテさんと似たような返答です。「でも不便でしょう? 鉄道はないし、バスの本数だって少ないし」とさらに聞いてみたところ、「車があれば大丈夫。簡単に来られないからこそ、この生活環境が守られているのよ、きっと」。そう言ってにっこりほほえみました。
 介護の仕事を辞め、趣味だった機織りの工房を開けてから苦労はあったそうですが、ローマから移住してきたことに関しては「まったく後悔なし!」ときっぱり。彼女のようにこの村に移住した職人さんが、全国各地で行われる職人市に参加して仲間と雑談をしているうちにこの村の良さが口コミで広まり、移住する職人が増えてきたのだそうです。後で同じように話を聞いたジュエリー職人のマルコさんはピサ出身、籐編みとオリーブ木工職人のロレンツォさんはグロッセート出身と、新しい工房のほとんどが移住してきた人ばかりでした。
 

 かつてユダヤ人を受け入れていたように、職人たちを温かく迎え入れるピティリアーノの人々。そしてこの地に移り住んだ職人たちは、凝灰岩の古い村に新しい風を吹き込み、活気を与えてゆく。外者を拒まず穏やか共生する文化がしっかりと根づいているこの地には、辺境での暮らしを存続させるヒントが隠れているような気がします。
 「ピティリアーノにひと目ぼれしたときの思いは、移住の夢を叶えた今も同じだよ」とジュエリー職人のマルコさんが語ってくれたように、私も断崖の上に立つ村の美しい姿を初めて見たときの感動はずっと変わることがありません。実は、車ではなく電車とバスを乗り継いで訪問したのは今回が初めて。苦労してたどり着いた者だけが享受できるピティリアーノの魅力を、より深く感じることができた旅でした。(おわり)


★ピティリアーノへのアクセス
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から電車に乗り、ピサ中央駅やグロッセート駅などで乗り換えてアルビニア駅まで約3時間。またはローマ・テルミニ駅から電車でアルビニア駅まで約2時間。そこからバスで約1時間20分。

【トスカーナ自由自在】https://toscanajiyujizai.com/


「イタリアの最も美しい村」協会に認定された村を巡る連載「忘れられないイタリアの美しい村」が最終回を迎えました。ガイドブックでは伝えきれない、その土地ならではの特色を、歴史的背景を交えながら綴った中山さん。それぞれの村が大切に守ってきた自然や歴史、文化、食の魅力を見たまま感じたままに伝えてくれました。2021年12月現在で「イタリアの最も美しい村」はなんと300カ所以上! 素朴で味わい深いイタリアにふれる中山さんの村巡りはこれからも続きます。(編集部)

【2022年10月 待望の書籍化!】


★連載「忘れられないイタリアの美しい村」が本になります



連載の中で紹介した村だけでなく、新たに書き下ろした村を大幅に追加し、豊富な写真とともに再編集。イタリア村巡りの魅力がぎゅっと詰まった一冊です。イタリア在住20年以上の中山久美子さん初の著書に乞うご期待!
本の発売を記念して抽選ですてきなプレゼント当たるキャンペーンを期間限定で開催。詳しくは9月下旬(予定)に記事やSNSで発表します。お楽しみに!
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【なかやま・くみこ】
兵庫県出身。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。28歳でフィレンツェ留学、のち現地で結婚。現在はフィレンツェ北部の田舎で、夫・息子2人の4人暮らし。さまざまな分野の取材・視察・ビジネスのコーディネイトと通訳を一貫して行う。趣味の個人旅行とトスカーナ愛が高じて、ウェブサイト「トスカーナ自由自在」を2015年に開設。日常生活を紹介するとともに、郷土料理や祭り、生産者、小さな村など各地の魅力を発信している。
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