× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
ニースっ子の南仏観光案内 マイ コートダジュール ツアーズ社長
ルモアンヌ・ステファニー
第13回 ルノワールの面影が残る美術館【カーニュ・シュール・メール】

 フランスの有名な画家たちの多くはコート・ダ・ジュールで活躍しました。ジャン・コクトーはマントン、シャガールはニース、そしてルノワールはカーニュ・シュール・メールでキャンバスを広げました。
 晩年にリュウマチがひどく、健康のために冬は暖かいところで過ごすことをすすめられたルノワールは1907年に南仏に到着。カーニュで土地を見つけて一軒家を建て、1908年から住み始め、亡くなる1919年まで毎年冬をこちらで過ごしました。

 1960年にカーニュ市がルノワールの家を買い取り、国立ルノワール美術館が誕生。画家が実際に住んで、たくさんの絵を描いたアトリエと庭を見学できるようになりました。夫と次男がカーニュ生まれであるうえに、私たち夫婦はルノワール美術館の公園で結婚式の写真を撮影しました。私にとっては特別な思い出の場所で、なぜか落ち着く場所です。
 庭にある300年前のオリーブの木や、ルノワールの奥さん・アリーヌが植えたオレンジの木があるのどかな雰囲気の庭で、車椅子に座ったまま絵を描いていたルノワールの姿が目に浮かびます。

 数年前、ニースでギャラリーを経営していた友達から、ルノワール美術館の館長をしているというフィアンセを紹介してもらいました。そして、彼女(ヴィルジニー)に会うたびに、ルノワール美術館の話をするようになりました。


 2011年のある日、久しぶりに会ったら、ヴィルジニーはとても興奮していました。「ねえ、ねえ、すごいことになってるよ。来月オークションでルノワールの知られてない作品をゲットできるかも?!」「へえ、どういうこと?」と私は興味深々で聞いたら、ヴィルジニーが「ニースの旧市街の屋根」という作品の話をしてくれました。私はルノワールについて全く聞いたことがなく、想像もしていなかったことを知ることができました。

 1911年からルノワールはニースでもアパートを借りることに。末っ子のクロードはニースの高校に通っていたし、絵を売るためにはニースにいたほうが便利だったからだそうです。海から歩いて15分、旧市街のすぐ近くにあるマセナ高校のすぐそばのアパルトマン。1915年に亡くなった奥さんのアリーヌの墓はニースの城壁公園にあり、ちょうどアパートの2階にある自宅の窓から見えたため、彼女のことを思い出しながら、ルノワールは窓から見た「ニースの旧市街の屋根」を描いたそうです。

 1919年にルノアールも亡くなり奥さんと同じ墓に入りましたが、実はこの墓はアパートのオーナー家族が自分の墓を無料で貸してあげたもの。1922年に二人の墓はアリーヌの出身地であるエソワ市に移されました。そして、7年間墓を貸してくれたお礼として、ルノワールの息子たちはアパートのオーナーにお父さんの作品をプレゼントしたそうです。

 実はルノワールがサインしていた作品は販売する予定の絵だけで、プライベート用のものにはサインはありません。アパートのオーナーには跡継ぎがなく、その絵はお年寄りの財団に寄付されました。サインのない絵は次第に皆に忘れられ、数年間も壁に掛けっぱなしにされていましたが、ある日工事のためのお金が必要になって、絵の存在を思い出したそうです。鑑定したら本物だと認証され、オークションに出すことに。

 こうやって、ヴィルジニーは美術館のコレクションを拡大するため185,000ユーロ(日本円で約2405万円※1ユーロは130円)で「ニースの旧市街の屋根」を購入することができました。2011年から美術館の通常コレクションに追加されたこの絵は、カーニュ・シュール・メールに展示されている作品と少し雰囲気が違って、26×28センチとサイズが小さいわりには存在感があり、目立ちます。

 ルノワール美術館にはそれほどたくさんの作品はありませんが、この地で描かれた絵がほとんど。ルノワール本人がアトリエや庭で描いたオリーブの木や風景の絵が中心ですが、ほかにも訪れた友達や弟子の絵も多く見られます。当時ルノワールの家は「コート・ダ・ジュールのモンマルトル」と呼ばれ、若いころの梅原龍三郎もしばらく滞在したそうです。

 そして、ルノワールがよく描いたのは庭から見たカーニュの旧市街。敵に攻められないために、標高90メートルの高台の上に11世紀に建てられた古い街。お城が中心で、ふもとに新市街と昔の漁村が広がります。「オー・ド・カーニュ」「カーニュの上」と呼ばれる旧市街はあまり観光客に知られていませんが、地元の人に愛され、大事にされています。

 車で入ることができませんので生活はちょっと不便ですが、昔ながらの村生活の雰囲気が残っています。子どもたちが平和に外で遊んだり、猫が日なたで昼寝したり、おばあさんたちはおしゃべりしている間でペタンクで遊んでけんかをするおじいさんたちがいたりします。

 カーニュ・シュール・メールを訪問するなら、ルノワール美術館だけではもったいない! シャトルバスを利用してくねくねした道を通り、実際に住んでいる地元の人の生活を味わって、楽しんでください。(つづく)

★カーニュ・シュール・メールへのアクセス方法
ニースからカーニュ・シュール・メール駅まで20分。そこから市内バスでルノワール美術館まで20分。旧市街まではカーニュの市内からシャトルバスが出ています。


【マイ コートダジュール ツアーズ】http://www.mycotedazurtours.com/
【mycotedazurtours Instagram】https://www.instagram.com/mycotedazurtours
ページの先頭へもどる
【Stephanie Lemoine】
1979年フランス・ニース生まれのニース育ち。高校で第3外国語として日本語を選択、大学はパリにある国立東洋言語文化学院(Institut national des langues et civilisations orientales)で日本語と日本文学を専攻。大学時代の1年半、東京学芸大学に留学。ニースを拠点にした日本語ツアーや通訳、各種コーディネートなどを提供する「マイ コートダジュール ツアーズ」に、日本語ドライバーとして2008年から勤務し、10年に社長に就任。フランス政府公認ガイド。日本でのお気に入りの場所は宮島(広島県)と湘南(神奈川県)。大好きな鎌倉で老後を過ごすのが夢で、2人の息子たちには毎日欠かさず日本の話をしている。
新刊案内