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美しいくらし
今日も珈琲日和 「珈琲屋台 出茶屋」店主
鶴巻麻由子
第1回 銀杏おじさん

※このWEB連載原稿に加筆してまとめた単行本(『今日も珈琲日和』を好評発売中です(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)。著者・鶴巻麻由子さんのインタビュー記事はこちらをご覧ください。


写真:街道健太
“炭火がある”というのは、今どきは日常に珍しい光景なようです。
私も屋台を始める前は、ほとんど炭を扱ったことはありませんでした。
子どものころも全くアウトドアな家ではなかったし、炭火はみんなでやったBBQで確か…とか、祖母の家では練炭掘りごたつだったのかなあれは? と記憶の隅にちらほらあるだけ。
それが今ではすっかり炭火なしではいられないほど。ここまではまるとは。今も足元には火鉢。炭はあったかくておいしくて、本当に魅力的です。

屋台で炭を熾していると、炭を見るのが懐かしいと思う人、新鮮な人、子どもに見せたいという人……炭火があるだけで自然と人が集まってきます。そして手をかざしたくなる。
それに、餅を焼きたいなとか、干し芋を焼きたいなとか、みんな記憶の中のおいしいものたちをきっと思い浮かべているのだろうと思います。

以前、東小金井駅北口から徒歩5分のところにある大洋堂書店さんという本屋さんの軒先をお借りして出店していました。出茶屋はリヤカーの屋台。出店場所あってこそ営業できるものです。

縁がつながって出店させていただき、いろんな事情で移り変わっていくこともあります。

大洋堂さんの軒先で出店を始めたのは2006年10月から。当時、毎週のように店の前を通ってオリーブ・ガーデン(この花屋さんは今も週2回出店させてもらっています)に屋台を引いて向かっていた私を見ていてくれた大洋堂さん。商店街のお祭りの打ち上げで、「うちで出店しない?」と声をかけてくれました。それから5年半、週に1回。交差点の角から見る風景は楽しかったです。大洋堂さんの前の通りは地蔵通りといって、交差点の角には大きな木があってその下には祠とお地蔵さんがいて好きな景色でした。

そして大洋堂さんの前の駐車場の横、芝生といろんな植物と灯篭のある小さな素敵な空間をお借りして、出店していました。

今は道路の拡張があって、出茶屋の出店していた場所はきれいな歩道になっています。お地蔵さんも移動して、大きな木も芝生も、もう思い出せないほど。
みんなに、「大洋堂さん軒先の想い出は?」と聞くと一番に出てくるのが笑いながらひとこと、「寒かったねー!」と。そう、その角の場所は南から北へ抜ける風、駅の風、西の風、いろんな風が集まって、それはそれは夏は涼しかったのです。ということは(笑)。冬は本当に極寒の中、炭火の前にかじりつき、震えながら珈琲を飲んでくれるみんなの姿を思い出します。

笑ってしまうほど寒くて。困難な状況を楽しんでくれたお客さんたちに本当に感謝です。

さて、もう4,5年前になるでしょうか。大洋堂さんの軒先に出店していたある日、自転車で立ち止まってこちらをじーっと見つめるおじさんがいました。

「何のお店かな?」と見ていたり、屋台を引いていると子どもが凝視(!)することはよくあるのですが……。
そのおじさんの視線の先は、どうやら七輪。
出茶屋では日々、火鉢と七輪を使っています。火鉢は暖をとったり、せんべいや餅などをあぶって食べたりが中心。火力の強い七輪はお湯を沸かすのに使っていて、網の上には鉄瓶がいつも乗っています。

おじさん、しばらく七輪をじーっと見た後、自転車を止めこちらに近づきひとこと。
「炭?」
「ハイ。」と返すと、腰を下ろしおもむろに何か袋を取り出すおじさん。
と思ったら、ばらばらばらっと袋の中から銀杏を取り出し七輪の網の上に置いた!

イラスト:平林秀夫
あ! 銀杏置いた!!  と思いましたが、とりあえず状況を見守る私。たまたまお湯をポットに移していた時だったのか、七輪の網の上には何も乗っていなかったのです。
網の上のたくさんの銀杏。
銀杏のことは詳しくないけど、確か銀杏って割ったりしなきゃいけないんじゃないっけ……、ほかのお客さんの手前何か言わなきゃいけないかしら、などと思いを巡らせていると、「珈琲ひとつ」と注文をしてくれました。
とりあえず、ほっとして(笑) 珈琲を淹れる。

しばらくは皆、網の上の銀杏を眺めながら珈琲を飲んでいたんだっけ。そこはもうよく覚えていません。

それから事態は思った通りの展開へ。網の上の銀杏たちは勢いよくはぜて飛び出し始めたのです。

パン!パン!パンパン!と銀杏たちはあちこちに。すっごい勢いで一同あたふたで大爆笑。飛び出す銀杏に当たったらけっこう痛いし、危ないくらいでした。
あらあらと、芝生に転がった銀杏をみんなで拾い、そして食べる(笑)。
なんとなく場がひとつになったような感じがします。
おじさんもなんだかうれしそうだったような。

私の記憶もあいまいな所があるので、「あの時どうだったっけ?」とその場に居合わせたお客さんに聞きました。平林さん(この連載のイラストを担当してもらっています!)「僕の知らない常連さんなんだ、と思ったんだよね。確か紙袋から銀杏出したよ」
そうか、確かにあまりに唐突であり有無を言わせない自然な流れだったかもしれない。
まりちゃんにも聞きました。
「覚えてるよ!あぁ、銀杏はじけるよと思ったもん。食べたよね」
そうか、やっぱりはじけると思いながら見てたよね。

銀杏を拾ったり食べたり、ああだこうだ話がひとしきり盛り上がったころ。

おじさんが珈琲を飲み干して、「あ。」とつぶやいて。

おじさんの珈琲カップの底には一粒の銀杏。

え!!
この時の衝撃といったらありませんでした。

写真:街道健太
みんなで飛び出す銀杏に集中していたあのとき。なぜ珈琲カップに飛び込んだ銀杏に誰も気がつかなかったのか。
おじさんは本当に気づいていなかったのか。
まるで手品のような見事なオチ。


それ以来、おじさんが銀杏をあぶりに来ることはいまだありません。

毎日屋台を引いているといろんなことが起きます。
それは誰でも同じことだけれど、毎日毎日少しずつ違う時間。

銀杏の絵を描いてくれた平林さん。あのときを思い出し「確か曇りだったよ」と言っていました。そう、確かにあの日は白い背景の想い出。
外にいると、風の強さや、太陽の光や、空の匂いを敏感に感じます。
そして、そのとき過ごしている時間が、その空気の感覚と一緒に記憶に残りやすい気がします。


銀杏の時間は奇跡のように面白かった。 でもそんな小さな奇跡は出茶屋でしょっちゅう起きているような。
出茶屋の日々、少しずつお伝えしていけたらなと思っています。


【「珈琲屋台 出茶屋」のホームページアドレス】
http://www.de-cha-ya.com/

【平林さんのお絵かき教室のホームページアドレス】
http://kyklopsketch.jimdo.com/
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【つるまき・まゆこ】
1979年千葉県生まれ。2004年に東京都小金井市に移り住む。同年、小金井市商工会が主催する「こがねい夢プラン支援事業」に応募し、珈琲屋台のプランが採用。火鉢と鉄瓶で小金井の井戸水を沸かし、道行く人に1杯ずつ丁寧に淹れた珈琲を飲ませる「珈琲屋台 出茶屋」を始める。現在は小金井市内で、「珈琲屋台」「丸田ストアー焙煎所」「出茶屋の小屋」の3つの形で営業中。詳細は「珈琲屋台 出茶屋」のホームページを参照。
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