震災後は「絆」という言葉が飛び交い、何かに急かされるように「復興の加速」が叫ばれ、マスメディアはわかりやすい被災者像をクローズアップしました。共感の嵐の一方で、金菱さんは声を上げられず顧みられることのなかった被災者を目の当たりにします。社会的に疎外された被災者によってあぶりだされた共感のあり方とは? 『呼び覚まされる霊性の震災学』をまとめた金菱清ゼミナールのメンバー
――『呼び覚まされる霊性の震災学』には、金菱さん自身も「共感の反作用――被災者の社会的孤立と平等の死」と題する論文を寄せている。取材した女性は、家族や自宅マンションの津波被害は免れたものの、実家に住む両親を亡くし、ふるさとの街が壊滅したショックで無気力状態に陥り、不眠に苛まれていた。報道が被災地との絆を繰り返すほど、自分は被災者の範疇に入らないのかと悩み、孤立していった。 彼女の話を聞いたときに、その背後には声を上げられない人がたくさんいるんだ、ということが見えました。マスメディアも、ボランティアや研究者も、わかりやすい「物語」が描ける被災者や、避難所、仮設住宅にだけ光を当ててきました。震災から5年目の際にも主に東京から大挙して押し寄せ、「こういう被災者はいないか」という問い合わせが多数あり、あらかじめ被災者像が決められている。でも、そこから疎外され、孤立感を深めている人たちのことも考える必要があるのではないか。注目が集まる場所という意味でのホットスポットに対して、「コールドスポット」と呼べるものを見過ごしてはいけないと考えました。
――その女性は心療内科の診療や心のケアの集まりでも、孤立を脱する糸口を見つけられなかった。震災から3年後、あるスピーチコンテストで両親を失った体験を語ることで、ようやく孤独ではないと実感できた。 人前で話したことで、両親の喪失が彼女にとってマックス(最大限)のショックだったと自己認識することができたのです。彼女自身の人生の物差しで震災の経験を測れたことが、大きな意味を持った。死者の数ばかりが問題になるのは、一人ひとりの死者に視点を合わせていないからだ、という指摘があります。失った家族の人数や被害の大きさで、一人ひとりの災害経験の軽重を比較できるでしょうか。
直接には震災にかかわりがなくても、何らかのショックを受けている人はかなりいるでしょう。家族や友人を亡くしていなくても、自宅が流されていなくても、それ自体は自分にとってマックスの被災であり、ショックなのだと思います。5年経って、それがようやく言えるようになってきたのかもしれません。
――震災で示された過剰なまでの共感。しかし金菱さんは、私たちが日常的に示す「通常の共感の作法」は災害の悲劇には役に立たず、むしろ被災者の回復を阻害する要因になってしまうと指摘する。 共感は人間の行動を支え、生活を成り立たせるための基底になる考え方です。ところが災害後の回復期に通常の感覚で持ち出されると、被災者は被害の重さを比べられ、共感の対象から外れる人を生み出してしまう。大切なのは、当事者にとって被災に大小はないということです。「災害の平等性を確保する」と論文で述べましたが、その人にとって震災とは何かを当事者自身の物差しで測れるようにすること。それが「震災における共感の作法」になると思います。
――5回目は、「死」という重いテーマと向き合った学生たちの変化を見つめます。(構成:平間真太郎)