およそ50蔵、約80種類の醤油を100mlの小瓶に詰めて販売している「職人醤油」。それぞれに並々ならぬ情熱を持って醤油作りに勤しむ蔵人たちの思いは、味わい豊かな醤油と個性豊かな蔵の表情を醸し出しています。今回から、「職人醤油」を支える日本各地の蔵を紹介します。
石孫本店(秋田県湯沢市)の石川裕子社長
「昔ながらの製法」という表現がふさわしい蔵元が秋田県湯沢市にあります。いつものようにアポなしの訪問に、「どうぞ、どうぞ」と笑顔で対応をしてくれたのが石川裕子社長でした。
とても物腰がやわらかで気品があり、おだやかな口調からは“醤油蔵の社長さん”という肩書きちょっと信じられないくらいでした。この後、何度も訪ねるうちに、この石川社長の人がらが、優しくやわらかい石孫本店の醤油の香りを醸し出していることに気づくことになります。

創業は安政2年(1855年)
「醤油味噌醂醸造場」と黒々、風格ある浮き彫りに、かろうじて読める「秋田縣岩崎町 石川孫左衛門」の彫り込み。歴史を感じる大きな木の看板を横目に建物の中に入ると、薄暗くピンと張りつめた空気が漂っています。職人たちが何やらせっせと作業をしている物音が聞こえてくる正面奥にある仕込み場。その壁に沿って山積みにされているのは、麹蓋(こうじぶた)というお盆のような形をした麹づくりに使う道具です。
醤油づくりで最も重要ともいわれる麹づくり。現在では蔵の規模にかかわらず、機械制御で品質の安定を目指す手法が一般的で、この石孫本店のように人手も手間もかけ、数百枚の麹蓋を駆使して麹づくりをしているのは、全国でも数軒しか残っていないと思います。
大量の麴蓋を組み替えたり、中に入っている麴を1枚1枚手でほぐしたり、とにかく手間がかかるのです。「これが現役で使われているってすごいですね」と伝えると、「でも、昔は恥ずかしかったんですよ」と石川社長。博物館に展示されているのを見た若い蔵人が、「うちでは普通に使っていますよね、なんて驚いちゃって」と笑いながら話してくれました。

石孫本店の醤油づくりに欠かせない麹蓋(こうじぶた)が並ぶ
この地域は豪雪地帯で、冬の仕込みの時期には2階の窓から出入りするくらいに雪が降り積もるそうです。1日の仕事の半分が雪下ろしになることもあるそうで、仕込みの作業を効率化できたらどんなに楽だろうと、「人が担いで運ぶのではなくて、機械の力で送れたらいいね。早く機械を導入したいねって、よく話していたんですよ」。
ところがある日、雑誌の取材で訪れたライターさんとカメラマンさんが、真剣に話をしてくれたそうです。「これまで全国を取材で回ってきたけれど、この光景は本当に貴重。絶対に残すべきだ」と。
「私たちにとっては目からうろこでした」
自分たちを否定しなくていいんだ、このままでいいのだと頭の中を切り替えることができたと振り返る石川社長。そして、いつかは最新のものにと考えていた建物や道具の修繕を始めたといいます。
先日、石川社長から「レンガの職人さんをご存じないかしら」と電話をいただきました。よく話を聞いてみると、小麦を炒るための焙煎機の修繕をしたいとのこと。このレンガづくりの焙煎機は大正時代から使い続けているもので、熱源はなんと石炭。今やその確保さえ大変なのにと思ってしまいますが、できるかぎり修繕をして使い続けたいといい、レンガの積み直しができる職人さんを探していたのです。
「石炭が赤く熱せられると、とてもきれいなの。毎年少しずつですが、今では守ることが大切な仕事の一つになっています」と、石川社長は愛おしそうに話してくれました。(つづく)