望星 考える人の実感マガジン

会社概要

プライバシーポリシーについて

トップ 月刊望星とは 購読申し込み 投稿・投句 リンク集 メルマガ
ウェブ限定記事
今月の歌壇俳壇入選者
次号のご案内
バックナンバー
書籍
望星eブックス

ボランティアからフィールドワークへ

――いかに継続していくかが、ボランティアの課題といわれています。

 津波に流された現場に初めて入った学生は、みんな言葉をなくしてしまいます。
でも、一週間も滞在すると、地元の漁師さんやその奥さんと仲良くなる。人となりが分かってくると“被災者”という抽象的な存在ではなくて、その漁師のおじさんの役に立ちたいという気持ちが生まれる。
そんな気づきを繰り返して、地域の人たちとしっかりと関係を築き、その地域について、ともに話し合っていかなければならないんです。
潮を被った地域の田畑の瓦礫は、その地域やボランティアの力によって片づけることができます。しかし、どうやって暮らしや農業を立て直したらいいか。そういう問題が、その地域には残されているのです。
私は、ボランティアを学術的なフィールドワークにシフトしていくことで、支援を継続的に発展させることができると考えています。
ボランティアを続けて関係を築いてきた農家の人たちが、農業を復活させる道を探しているならば、農業分野の専門家が学生とともに支援に入る。
あるいは、地域の人たちが、今後のコミュニティのあり方を模索しているなら、社会学の分野の研究者が支援の道を探っていく。
遠方の大学から長期にわたり、学生を連れて頻繁に通うのは難しいでしょう。けれども、地元の大学ならそれができ、また遠方からの支援を繋ぐ窓口にもなれる。それは地域に対して課せられている大学の使命といっていいでしょう。
いま「災害ボランティアステーション」では、活動のひとつとして、気仙沼市唐桑町で漁業支援を行なっています。
漁師たちは、学生が来るのを本当に楽しみにしてくれています。ワカメやホタテの養殖イカダの土俵(錨)は、普通、黒い袋に十キロほどの土を詰めたものを使うのですが、重くて女子学生には運べない。女子学生が多い日は、五キロほどの小型の土俵を準備してくれているんです。しかも、アイスクリームまで用意して待っていてくれますからね(笑)。
そして、必ずイカダに乗せてワカメやホタテをどのように育てているか、説明してくれます。
漁師たちもボランティアが来てくれるのが嬉しいのはもちろん、自分たちが長年続けてきた仕事を若い人たちに知ってほしいという気持ちがあるのです。
東北に限らず、日本の一次産業の担い手は高齢者が非常に多い。彼らの仕事を知り、それを手伝うことは、現代の学生たちにとって、日本人の生活は何によって支えられてきたのかを省みる機会になっています。

生きる基盤はどこにあるのか

 いま、コンビニエンスストアのおにぎりや弁当で食事を済ませる学生がほとんどです。
しかも、その弁当をひとりで食べる。食事をしながら、友人や家族と会話する機会も減っています。
生きることの基本である“命あるものをいただいて、食べる”という行為を、軽く見ているとしか思えません。それでは、自らの“生”が、さまざまなものに支えられて成立している事実に気づくことはできないですよね。

――三月十一日から数日間、仙台で暮らす人たちはインフラが止まったなかで生活を送りました。避難所暮らしで、人との繋がりや食べることについて考えた人も大勢いたのではないですか。

 ふだんは当たり前にあった電気、ガス、水道がすべて止まりました。当然コンビニもやっていないし、買い出しに行こうにもガソリンもない。被災した多くの人が“裸にさせられた”体験だったと感じています。私もそのひとりです。
現代は、引きこもれば他人に干渉されませんが、その代わり自分も他人に干渉しない、という社会です。私たちが、ひとりでも生きていけると思い込んでいた理由は、電気、ガス、水道、そしてインターネット……多くのパイプやシステムに繋がれていたからでしょう。
そのすべてが切断されて裸になっても、人間はお腹が空けば飯を食わなければなりません。
けれども、パイプやシステムに頼りすぎていたために、電気やガスがない場合の米の炊き方さえも分からない。すべてが切断された非常時には、インターネットもないわけです。
そのときどうしたか。
人にかかわり、協力するしかなかったんです。
お互いに要るものを分け合う。炊き出しをすれば、自分や家族だけではなくて近所の人と食べ合った……。裸になったら手を握り合うしかなかったんです。
それは、決して忘れてはいけない体験です。
再びパイプとシステムが復旧しても、いったん裸になったときの気持ちは持ち続けなければなりません。我々は、あの経験と記憶を大学という教育の現場に組み込み、持続的に若者に伝えていかなければならない。
『震災学』もそのような場であってほしい。それが、震災の経験を活かすということだと思うのです。

(構成・山川徹)

 

前ページ 1 2 3
ささき・しゅんぞう 1947年東京都生まれ。上智大学文学部卒業、東北大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻は哲学。
 
東海教育研究所
掲載記事・画像の無断転載を禁じます
Copyright © 2014 Tokai Education Research Institute / ALL RIGHTS RESERVED