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恋と歌舞伎と女の事情 エンタメ水先案内人
仲野マリ
最終回 新版歌祭文~野崎村  野に咲く花の恋と意地~お光ちゃんの選択③
退路を断たれたお染の苦悩
 大店の一人娘と手代の恋は、外から見れば「財産目当ての逆タマ狙い」とも「わがままお嬢様の気まぐれ」にも映るかもしれませんが、この二人、真剣です。本当に愛し合っています。もし稼業の油屋が順風満帆だったら、元は武家の出、真面目でイケメンな久松は、主人に気に入られてめでたく婿入りできた可能性だってないとはいえません。
 けれどこのときお染の家の質店油屋は、主人の死をきっかけに右肩下がりで火の車。亡き夫に代わって店を切り盛りしているお染の母親・貞昌は、起死回生に持参金付きの婿をようやく見つけたところでした。だから、久松とのハッピーゴールインは100%なし。久松はそうした事情を知り、親代わりの久作からも説得されて、お染への気持ちを断ち切って野崎村に戻ったたわけです。

 けれどお染は、このとき自分の体に起こっている変化に気づいていました。
 江戸の昔です。どうやったら子どもが生まれるかなど、何も知らない箱入り娘。好きよ好きよと逢瀬を重ねるうち、きっと最初は「なんか太ったな」くらいにしか考えていなかったでしょう。間違いなく「これは……」と思い当たったとき、お染はどうしてよいかわからず、恐ろしくて息が止まるほどだったと思います。

日に日に大きくなるおなかを見つめ
 誰にも相談できない。でも、このままでもいけない。どうしよう、どうしよう……。
 もし、本人もわからないほどのタイミングであったとしたら、お染は母に言われて清兵衛と夫婦になって、多少早産で「あれ?」と思われたとしても、なんとかなったのかもしれません。でもすでに腹帯が必要なほど(『染模様妹背門松』より)の膨らみ。祝言の夜、床をともにすれば夫となる人が気づかぬはずがありません。その段になってしまったら、事は家同士の問題、持参金の問題にまで発展してしまう……!
 久松には「お光と結婚して仕切り直し」の道があったけれど、お染にはもう、「別の道」などなかったのです。

「二人一緒に添はうなら ままも炊かうし織りつむぎ、
 どんな貧しい暮らしでも わしゃ嬉しいと思ふもの」

「どんな暮らしでもいい、台所仕事もやる、機織りだってやる、貧しくても一緒なら、私は幸せ!」――お嬢様のお染にはそんな暮らし、三日ともたないだろうということは、他人の私にだって想像はつきます。でもここまで思いつめる気持ちには一つのウソもない。その証拠に「覚悟はとうから極めている」と、お染は用意した剃刀を取り出して死のうとするのでした。

 お染の様子から妊娠を知った久松もまた、事の次第はすでに取り返しのつかないところに至ったと、「叶はぬ時は私も一緒に」と心中を誓います。
でも当人たち以外、誰も「妊娠」の事実を知りません。

「その思案、悪かろう」

 思いつめる二人を見た久作は事を分けて諭し、「とにかく死ぬなんてことは考えるなよ」と説得します。恋に突っ走る若い者を見て、頭ごなしに怒るばかりが親ではありません。親の願いはただ一つ。子が幸せに生きてほしい。死なないでほしい! それだけです。
 二人がなんとか別れを受け入れたので、久作は喜んでお光を呼び入れます。ところが祝言を行うため綿帽子をかぶって出てきたお光、それをとると、なんと髪をぷっつり切っているではありませんか! 花嫁が、髪を下すとは……。(つづく)


【仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド】
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【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラム)http://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01
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