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キューバ人は生き方上手 ウェブマガジン「キューバ倶楽部」編集長
斉藤真紀子
第1回 初めてのキューバ
 昨年あたりからやたらと耳にする「キューバ」。ヘミングウェイがこよなく愛した海、チェ・ゲバラが駆け抜けた山野、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの哀愁漂うラテンのリズム・・・さまざまなイメージはあるけれど、“なんとなく遠い場所”と思ってはいませんか? そんな私たちの「キューバって何? どんなところ?」という好奇心に応えてくれるウェブマガジン「キューバ倶楽部」編集長の斉藤真紀子さんの新連載です。足繁くキューバに足を運び、住民、旅行者などの視点で文化、観光情報などを配信している斉藤さんが、変わりつつあるキューバの今と変わらないキューバ人の魅力を紹介。きっと、キューバに行きたくなりますよ!

キューバ革命発祥の地とされ、フィデル・カストロの墓もある国内第2の都市サンティアゴ・デ・クーバ


 足どりは弾み、心が躍る。ハバナの街を歩くと、顔いっぱいに笑いが広がる。そこは想像とは真逆の、楽しさにあふれる場所だった――。
 私がキューバの首都、ハバナを初めて訪れたのは1999年。そのころ、ニューヨークに住んでいた私はまさにすべての「余裕」を失っていた。日本で育ち、留学を機に渡米して夢をかなえるつもりだったのに、就労ビザは出ないし、試験は受からないし、生活はかつかつ。夢をかなえるどころか、目の前に突きつけられたのは、ミリ単位で細かく階層化された貧富の格差だった。
 まばゆい金色のトランプタワーのすぐ隣で、裸足のホームレスが物乞いをしている。お金をいくら持っているかで、家や車や持ち物はもちろん、英語の発音や言葉のチョイス、友達、体形、教養、やる気、好奇心、健康といったあらゆる事柄が格づけされてしまう。ミリ単位に細かい階層で最も時給が安いファストフードでは、若い店員さんが不機嫌をあらわに「はっ? 何?」と吐き捨てるように注文を聞き返す。私も、負けじと仏頂面でメニューを指さしたものだった。当時の私にとって、「貧しさ」と「絶望」、「裕福」と「幸せ」は常に隣り合わせ。すべての物差しは、「お金」だったのだ。

 そんな現実から目をそらそうとするかのように、音楽のコンサートやダンスレッスンに通いつめていたときに出会ったのが、サルサの音楽やダンス。陽気なメロディーとリズムはリフレッシュ効果抜群だったのだ。
 あるとき、スパニッシュハーレムでのダンスレッスンの帰り道、薄暗い地下鉄の駅で同じクラスの若い米国人男性が大げさな身ぶりとともに勧めてくれたのがキューバへの旅だった。
「とにかくあの空気! 口では説明できないよ。とにかく行ってみて!」
 あまりにも熱のこもった口ぶりに、私はニューヨークに住んでいた日本人女性2人を誘ってキューバに行くことにした。ワクワクしながら旅の準備をしていた私に、米国の知人たちは怪訝な表情を浮かべて心配した。
「キューバなんて貧民窟で独裁者の国。危ないよ。なんでわざわざそんなところに行くの?」

 確かにそのころ、米国はキューバと政治外交上「敵対」関係にあったし、1959年の革命以来、国のトップを守り抜いていたフィデル・カストロ前国家評議員議長は米国から敵視されていた。経済状況も今以上に深刻な状況だった。結びつきが強かったソビエト連邦が崩壊し、国を支える産業の発展が乏しかったこともあり、決して物質的に豊かとはいえなかった。
 だから、首都ハバナに着いたとき、「なんだこりゃ?」と腰が抜けるような衝撃だった。
 50年代以前の本物の米国産クラシックカーが、大きい車体を揺らしながら街を彩っている。エアコンがないかわりにドアを開け放した民家からは、陽気なメロディーが流れてくる。メンテナンス不足で老朽化した建物も、昔は豪華絢爛、コロニアル調の洒脱なつくりだ。
「オーラ、リンダ!」(こんにちは。べっぴんさん!)
 こざっぱりしたシャツを着て、ハンチング帽をかぶり、映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に出ているような老齢のミュージシャンならぬ、色っぽい爺さんがにこにこと自信満々に声をかけてくる。

 「ウノ、ドス、トレス(いち、に、さん)! さっき、あの場所にいなかったかい?」
 日本人女性3人組の私たちは、街で相当目立ったらしくよく声をかけられた。初めはモノを売りつけられるのではないかと、目も合わせずに警戒していた私たち。それが、店に置き忘れたジャケットを息を切らして届けてくれた店員さんや、ホテルの部屋にうっかり置き忘れた現金をそのままに、手書きのメモを残してくれたメイドさんなどなど、思い込みを覆す出来事や出会いが重なり、私たちはいつしか、話しかけてくれる人にこちらから笑って手を振るようになっていた。

 とはいえ、当時のキューバはレストランもごく限られた場所にしかなかったし、ハムチーズのサンドイッチはパンが固すぎて、口から血が出たほど。カフェに行けば、あれもない、これは明日なら大丈夫、と注文を全部断られて、結局あったのはたった一つの飲み物だけということもあった。大真面目だったお店の人も最後には笑っていて、モノ不足までギャグのネタになってしまっていた。
 大げさなジェスチャーでおどけたり、とぼけたりするキューバの人たち。大口を開けて笑っているのは私たちだけではなくて、街を歩いている人たちもそう。笑いすぎて、おなかを抱えて道で転がっていたりする。とにかく陽気で、貧乏なのを卑下することが全くない。

 なぜキューバ人はこんなに楽しそうに笑っているのだろう。それが知りたくなって、私はそれから何度もキューバに足を運ぶことになる。(つづく)


【写真提供:斉藤真紀子】
【キューバ倶楽部】
http://cuba-club.net/

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【さいとう・まきこ】
日本経済新聞米州総局(ニューヨーク)金融記者、朝日新聞社出版『AERA』専属記者を経てフリーランスライターに。1999年に初めてキューバを訪れ、その街並みや音楽、人々に魅せられ、以来「心のふるさと」に。取材を重ね、『AERA』で「キューバ人はなぜ幸せか」(2012年1/16号)、「医療大国担うキューバの女医」(同4/23号)を執筆。「キューバの今」を伝えるべく、15年にウェブマガジン「キューバ倶楽部」を立ち上げる。
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