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石川浩司の缶コレランニング
ミュージシャン
石川浩司
最終回 昭和は遠くなりにけり(上)
 平成が、もうすぐ終わろうとしている。
 昭和から平成になったのは、僕が結婚した翌年だから、僕の独身時代はまるまる昭和だったのだ。まさに昭和で育ち、昭和の青春を送ったのである。
 子どものころはペットボトルなどまだその姿もなく、ジュースといえばビンだった。
 自動販売機ですらビンがメインで、買った後に販売機に付いていた栓抜きでフタをカシュッと抜いたものだった。

スチール缶。初期のころは開け口が底にあった。「サッポロコーヒー」
(北海道乳業株式会社)

 ミリンダ、プラッシー、ファンタ、コーラ……今ではほとんどビンで見ることができない。
 ビンに比べると、缶ジュースはちょっと高級品というイメージ。だから、飲ませてもらえるときは特別感があった。
 それが、昭和36年生まれの僕が子どもだった昭和中期の缶ジュースのイメージである。

 最初は缶ドリンクといっても種類が少なく、オレンジジュースとコーラ、甘いコーヒーくらいだった。
 水やお茶を「買う」という発想はまったくなく、それはそれぞれの自宅でタダで飲むものとしか考えられていなかった。夏になると、母親が麦茶を冷蔵庫で冷やして砂糖を入れてくれたものを飲むのが楽しみだった。「冷たいお茶」というものはそれがせいぜいで、他のお茶を「冷やして飲む」という発想すらなかった。


「ウーロン茶鉄観音」
(株式会社妙香園)

 そこに、ウーロン茶というものが登場した。健康にいいということで爆発的にヒットし、そこから緑茶や水なども缶ドリンクとして生まれ、すごい勢いで市民権を得た。こんなふうに、ほんの10年くらいで缶ドリンクの世界が大きく変わったのは1980年代だったと思うから、昭和の後期ということになるだろうか。

 資料によると、1954年(昭和29年)に明治製菓が缶入りジュース「明治天然オレンジジュース」を発売したのが日本の缶ジュースの始まりらしい。まだ70年も経っていない。
 そして、ドリンク界は今、特にジュースなどはどんどん缶からペットボトルに移行している。
 もしかするとあと30年もしないうちにすべてがペットボトルなどに取って代わられ、缶ドリンクというものそれ自体が消滅してしまうかもしれない。
 今はこんなに世の中にあふれかえってる缶ドリンクだが、長い歴史の中ではわずか100年間ほど存在したものに過ぎなくなる可能性だって充分にあるのだ。はるか未来に地層を調べた地質学者が、「フムフム。ここからは缶ドリンクが出土しているから、20世紀後半から21世紀前半の文明だな」などと分析されてしまうかもしれない。


「つぶいりおれんじ」
(中泉株式会社)

 僕が子どものころ、当時メジャーな遊びで「缶蹴り」というのがあった。かくれんぼにさらにゲーム性を追加したようなもので、子どもたちは誰しも一度や二度はやったものだ。
 今は廃れてしまったが、その原因としては、ある程度の広さがある空き地が減ってしまったこともあるだろう。が、当時スチール(鉄)の缶が主流だったドリンク缶が、ほとんどアルミニウムになってしまったことも大きいのではないかと思う。アルミニウムの缶は蹴った途端、ペコンとへこんでしまい、缶蹴りには適さない遊び道具になってしまったからだ。
 こんなことでも廃れてしまい、人々の記憶からも消えつつある遊びというものはあるのだ。(つづく)


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【石川浩司のひとりでアッハッハー】
http://ukyup.sr44.info/
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【いしかわ・こうじ】
1961年東京都にて逆子生まれ。神奈川県・群馬県育ち。現在は、2万缶におよぶ空き缶コレクション保管のために埼玉県在住。バンド「たま」にてランニング姿でパーカッション、ボーカル担当。90年に「さよなら人類」でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞などを受賞。2003年に解散後はソロで「出前ライブ」などの弾き語りおよびバンド「ホルモン鉄道」「パスカルズ」などで活動中。旅行記やエッセイなどの著作も多数ある。
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