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かもめアカデミー
伝統の継承者 文楽太夫
豊竹咲寿大夫
第1回 文楽との出会い
 日常の喧噪やストレスを忘れ、非日常の世界に浸る――舞台芸術の醍醐味ですね。日本が誇る伝統芸能であり、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されている人形浄瑠璃は通称「文楽」と呼ばれ、江戸時代から多くの人々に親しまれてきました。太夫と三味線、人形遣いが一体となってさまざまな人間ドラマを鮮やかに描き出す、まさに舞台の芸術という言葉がぴったり。すべての登場人物の台詞から地の文までを「太夫」が語り、その横で「三味線」弾きが情景を演奏、そして「人形遣い」が3人で1体の人形を操り、命を吹き込みます。300年以上の時をかけて磨かれてきた彼らの連携プレーは驚くほど精緻でダイナミック。太夫として修業中の24歳、豊竹咲寿大夫さんがその魅力を語ります。

慣れ親しんだ大阪の芸能、文楽

(c)藤本礼奈
 文楽は大阪で生まれた芸能です。その言葉である“浄瑠璃”は大阪弁で、旋律も大阪弁にのっとっています。私はその大阪で生まれ育ちました。両親や祖母が芸能好きだったので、子どものころから歌舞伎や文楽、ウィーン少年合唱団のコンサートやミュージカルなど、さまざまな舞台に連れて行ってもらいました。大阪の国立文楽劇場の夏休み公演には親子で楽しめる「親子劇場」があり、『西遊記』とか『瓜子姫とあまんじゃく』とか、小さい子でも見やすい演目がかかることが多く、大阪市民は抽選で安く観ることができたのです。ですから“伝統芸能”という感覚はなく、吉本と同じような“地元の芸能”として親しんでいましたね。

 さらに、文楽劇場が現在建っている土地はもともと、私の母校・高津小学校があった場所なのです。その縁もあって、小学校5年生くらいのころ「総合学習」という授業に文楽が取り入れられました。文楽の演者(技芸員)である人形遣いの現・桐竹勘十郎さん、太夫の豊竹咲甫大夫さん、三味線の鶴澤清馗さんが教えに来てくださり、最初の1カ月で三業(太夫、三味線、人形遣い)※を体験します。その後、5月に自分がやりたいパートを決めるのです。人形遣いは男子が、三味線は女子が積極的にやっていた記憶があります。男女ともに人気だったのが太夫でした。私が選んだのも太夫。小さいころから物語が好きだったので、すべてを語る太夫に魅力を感じたのです。 

運命を決めた「総合学習」
 この総合学習の授業は週2、3回ありました。指導に来てくれる演者が公演で大阪にいないときは自習で、11月の発表会に向けて稽古します。人形は勘十郎さんが作ってくださって、太夫と三味線が上がる “床(ゆか)”も手作りでした。その床が体育館の舞台よりも高いところに張り出していて、発表会当日にそこに上がると、観ている人たちが一望できて。照明を落とした中、後輩や無料開放で来ていた地元の人たちの姿がすごくキラキラして見えました。総合学習も始まったばかりだったので、後輩たちはまだ私たちがどんなことをするのかわかっておらず、「何が始まるんかな」という目をしていたんですよ。

 演目は『鬼一法眼三略巻』の、牛若丸と弁慶が出会う「五条橋の段」。自分が語り出した時、体育館が完全に自分たちの作る文楽の世界になったのを感じて、その快感・高揚感が鮮烈なイメージとして頭に残りました。教えに来てくださっていた文楽の皆さんが「文楽劇場は近いし、いつでも遊びに来てええねんで」とおっしゃっていたので、発表会後の1月、文楽劇場のお正月公演に行きました。「また来いや」と言われるがまま楽屋に通うようになり、咲甫大夫さんから「文楽好きなら、やってみるか?」と言われて。小さいころからたくさん舞台を見るうち、舞台で表現する人になりたいと思っていました。俳優とか、あるいは漫画家とか小説家とか……。何か物語を伝える仕事につきたかったので、この機会を逃したくなかった。両親も「好きなものやから、やりなさい」と応援してくれましたね。聞いたことがないのですが、内心は心配していたのでしょうか。当時、咲甫さんが24、25歳くらいで、弟子を取れる年齢ではなかったので、咲甫さんの師である咲大夫師匠のもとに通うようになり、正式に入門のお杯を交わしたのが中学1年生の時。ですから、小学校では「先生」だった咲甫さんは今、私の「兄弟子」です。 

(c)藤本礼奈
豊竹咲大夫師匠に入門
 こうして、中学校に行きつつ、部活が終わってから師匠の家でお稽古をしてもらうという毎日が始まりました。部活は体操部。ちなみに高校では陸上部でした。動くことが好きなんですね(笑)。当時の私はもう、仕事として文楽をやっているという気持ちでいました。義務教育中なので、国立の舞台には出られませんでしたが、中学2年生の時に師匠の個人的な会で初めて舞台に出演させていただきました。そして高校1年生で、大阪の国立文楽劇場での本格的な初舞台。以来、今と同じ稽古の体制になっています。つまり、師匠に教わるのではなく、公演のためにお稽古をするという形。私はまだ、太夫一人、三味線一人の床(役)ではなく大勢で出演する“並び物”※に出演しているので、並んでいる太夫の中で一番偉い方の師匠にお稽古をしていただくのです。

 文楽をやっている人の家でなく、一般家庭から、しかも小さいころに入るというのは、今ではそれほど多くないケースです。普通はなかなかきっかけがないですから、タイミングに恵まれていたと思っています。一般的には公の研修生制度※があり、義務教育を終えている人なら誰でも応募できます。とはいえ、これを本当に仕事にし続けるか、悩んだ時期もありました。

※次回は、文楽を一生の仕事とする決意をあらためて固めるまで、そして、文楽の具体的な魅力についてお話しします。

(構成・高橋彩子)

【文楽豆知識】
三業(さんぎょう)

文楽は男性によって演じられ「太夫、三味線、人形遣い」の三業で成り立つ。
床(ゆか)
客席の上手側に張り出した演奏用の場所。回転式の盆に乗って現れた太夫と三味線弾きが、ここで浄瑠璃を演奏する。
並び物
基本的に太夫と三味線はひとりずつで演じるが、複数で演じるものは並び物と称される。
研修生制度 
将来舞台で活躍する志をもつ文楽研修生を募集し、文楽の後継者として養成するもの。中学校卒業以上の男子で23歳以下であれば誰でも応募可能。独立行政法人日本芸術文化振興会と公益財団法人文楽協会が主催。


◆豊竹咲寿大夫さんブログ
http://ameblo.jp/sakiju/entry-11140540937.html

※参考文献:『豊竹咲甫大夫と文楽へ行こう』(豊竹咲甫大夫著 旬報社)
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【とよたけ・さきじゅだゆう】
1989年大阪府生まれ。2002年豊竹咲大夫に入門、文楽協会研究生となる。2003年豊竹咲寿大夫と名のる。2005年7月国立文楽劇場で初舞台。
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