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きれいをつくる
好きこそ服の上手なれ。 Artisan salon de gisoオーナー
庄司博美
第2回 「偽装」に込めた思い

 銀座の喧騒を離れた静かな通りのビルの上階にある「Artisan salon de giso」。のオーナーの庄司博美さんは、洋服に関するどんな要望もかなえてくれるフィッティング・コンシェルジュだ。エレベーターを降りて一歩店内に入ると、そこはあたかもパリかミラノにひっそりとたたずむメゾンのような非日常の空間。ここから、さまざまな思いが込められた多彩な洋服が紡ぎだされていく。

──にぎやかな大通りから少し奥に入ると、銀座はとても静かだ。ビルの9階にある庄司さんの店は、洋服が映えるようにと真っ白なしっくい風の壁に、1920年代のヨーロッパのアンティーク家具や照明が似合う落ち着いた空間。ハンガーには、庄司さんの手を待つさまざまなデザインの服がかけられている。扉の前で出迎えてくれた庄司さんはすらりとした美人。首にかけたカラフルなメジャーがしっくりなじみ、フィッティング・コンシェルジュとしてのキャリアを物語っている。

 関西で大学を出てから服飾を学ぶために東京の専門学校に。卒業してから一人でオーダーメードのサロンを目黒の小さな部屋で立ち上げ、細々ながら仕事が軌道に乗り始めたころに銀座の小松ストアー(コマツ)のバイヤーの方と知り会いました。コマツさんはセレクトショップとして長い歴史があり、贔屓にしている多くのお客さまがいた名店です。話をするうちに、コマツさんが「洋服を買ったお客さまが“銀ブラ”を楽しんでいる間に、寸法直しが仕上がっている」という新しいサービスを企画していることを知りました。そのために技術を持ったスタッフを入れたいとのことで、お声がかかったんです。

──銀座の大通りに面した小松ストアーは、戦後間もない1946年の開業。当時の銀座は復興の機運にあふれ、駆け出しだった太宰治や坂口安吾などが夜ごとに酒を酌み交わしていたそうだ。何かをやりたい、新しいものに触れたいという人たちが集まっていた銀座のド真ん中にある店には、後にファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ姉妹が店を持ち、高田賢三や松田光弘、画家の金子國義らも彼女たちを訪ねて足しげく通ってきたという。いわば、日本人の本格的な洋装文化発信の先駆け的な存在だった。

 たまたま私の友人のお母さまがコマツさんでコートを買い、受け取りに行く時間がないからと代わりに取りに行ったことが縁となりました。友人は専門学校の同級生で、とても印象的なデザイン画を描くファッション・イラストレーター。コートを受け取るときに接客してくれたセレクトショップのバイヤーさんと話が弾み、コマツさんにイラストを提供することに。そのうち「銀ブラ中にお直しを」という企画が話題に上がり、「それなら」と私を紹介してくれたというわけです。私の目黒のサロンごとコマツに入って仕事をしてくれないか、と今考えればとんでもない好条件。それを、「銀座はモードと関係ないマダムの街」と決めつけていた関西出身の私は、「ちょっと違うよな」なんて……。私としてはデザイナーでクリエーターだし、お直し専門でそんなところに入るのは「ちょっと冗談じゃない」なんて思ったんですよ。若気の至りというか、知らないというのは恐ろしいことですよね。

──すごい。でも、庄司さんならちょっとわかるような気がしたりして。後で振り返って「もったいなかったなあ」と後悔するだけならよくある話だが、庄司さんはやはりそこが違った。年上のお客さんに話したところ、「銀座の真ん中に事務所を借りようと思ったらいくらかかると思う?」と言い聞かされ、1年でもいいから頑張ろうと思ったという。「チャンスの女神は前髪しかない」そうだが、庄司さんはしっかりつかんだ。

 「ギャランティまで払ってくださるなんて、アホでも行くでしょう」と言われたんです(笑)。私としては「だまされたと思って1年は頑張ろう!」なんて決意で乗り込んだわけですが、実際に訪ねてみると、「このセレクトトショップはなんてかっこいいんだ!」と思うわけですよ。お客さまは当時の私から見たら年上のマダムたちでしたが、モード系のトップクラスのハイブランドをすごく楽しそうにチョイスしていらっしゃる。それを販売員が丈詰めのためのピン打ちをしたりして。「スペシャリストの手でお客さまたちが納得のできるようなお直しを、ブランドのデザイナーたちも喜ぶようなバランスでやってみたい!」と、その時に初めて思いました。

──珈琲屋台「出茶屋」の鶴巻さんのインタビューでも感じたことだが、自分で仕事を作り広げていく人は、ヒラリと何かを越えていく。それは世間の常識だったり自分の中の壁だったり自らの限界だったり。たぶん、決めつけない自由さと力まないしなやかさを併せ持っているのだと思う。流行に敏感で目利きのお客さんを相手に瞬く間に1年が経ち、もうやめようなんて気持ちはなくなっていた。

 海外のトップブランドの洋服は、できあがりがベストの形と思われがちですよね。でも、着る人の体形はさまざま。そこで、デザイナーも喜ぶようなバランスで着こなしてもらうために最もふさわしいラインを作るんです。お客さまの選んだ服に直接ピン打ちながら、いろいろな話をし、お洋服についてのさまざまな悩み事を伺うこともできました。あるとき男性のお客さまから、昔、お仕立てで作ったスーツの形が古くなってしまったものの、生地もよくて職人の手が入っていてなかなか捨てられないという話を伺いました。ビジネス用のスーツはいろいろお持ちでしたが、休日用の服がなかなか上手に着こなせないとのこと。「そういうものに作り替えられたらいいのにね」と言われたんです。リピーターのお客さまが多かったので、何回かやりとりさせていただくうちにその方が好きなラインがわかっていましたから、作り替えも好みを踏まえたラインをご提案し、仕上げることができると思いました。コマツのお得意さまは洋服好きの方が多く、クローゼットにはきっと少し形を変えればまた着られる服がたくさん眠っているはずだろうと思いました。バイヤーさんも同じことを考えていて、「コマツでもリメイクを受け付けてみよう」ということになりました。

──こうして、フィッティング・コンシェルジュが誕生した。「リメイクでは、デザイナーの意図とお客さまの橋渡しを最も大事にしている」という庄司さんは、最善を尽くすために各シーズンのデザイナー・コレクションやトレンドの研究にも決して手を抜かない。「フィッティング・コンシェルジュがいて、“たんすのこやし”になっている服をリメイクしてくれる」という評判は、口コミで広がっていった。小松ストアーにあるという信用と庄司さんの真摯な仕事ぶりで、お得意さんも増えていった。その後、ビルを建て直すことになり早期に閉店したセレクトショップの後に、工事着工までの間、自分の店を開業するという幸運にも恵まれた。「Artisan salon de giso」が産声を上げたのだ。gisoは日本語の「偽装」。字面を見るとギョッとするが、それにしても、なぜ「偽装」?

 今の私からは誰も信じてくださらないのですが、子どものころは人とコミュニケーションをとることが苦手でした。それが、小学校2年生のときに父の転勤のために転校してガラッと変わったんです。小さなころから洋服で装うことが好きだったのが、前の学校では悪目立ちしていたのか「変わった子」扱いで友だちもいなかった。それが新しい学校では私の着ている洋服を見て、皆が「すごくステキでかわいい」と言って話しかけてきてくれた。洋服がきっかけとなり、子どもながらに人生が180度の転換。単純なもので、一度ほめられたらまた明日もほめられたいと、学校に着ていく洋服を毎日一生懸命に考えるようになり、友だちもたくさんできました。私にとって、洋服は単なるアイテムではなく、自分に自信を持って前向きに生きるための武器のような特別なツールになりました。「偽装」には、私がそうだったようにまず装うことから始めていただいて、いつかそれが「なりたい自分」になれればいい、そのお手伝いを私ができればとの思いを込めているんです。

──法務上の登録名にも「偽装」の2文字はしっかり入っていて、登記の際には法務局の担当者から「本当にいいんですか?」と念を押されたという。でも、そこには「人の生き方をも変える洋服を作りたい」という庄司さんの譲れない思いが詰まっている。銀座という場所とそこでの出会いが横糸だとすると、庄司さんの仕事を織り成す縦糸は、ものづくりに対する信念だ。次回の最終回は、庄司さんと職人さんと、ものづくりを巡る話です。

(構成・白田敦子/写真・前田光代)
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【しょうじ・ひろみ】
1974年兵庫県生まれ。大阪樟蔭女子大学、文化服装学院で服飾を学ぶ。卒業後、オーダーメードのアトリエでアシスタントデザイナーを経て、2001年に東京・目黒に有限会社偽装デザインオフィス設立。ギンザ・コマツ、株式会社ワールドなどとフィッティング・コンシェルジュとして契約し、08年に期間限定でギンザ・コマツ内にArtisan salon de gisoを開店。09年、ギンザ・コマツ建て替えにともない銀座1丁目に移転。
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