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気づけば幸せ「不便の益」 不便益システム研究所
川上浩司さん+平岡敏洋
第1回 「不・便益」ではなく「不便の益」なんです

 京都大学のどこかにあるというウワサの「不便益システム研究所」。不便益って一体何? どこの誰が、どんなことを研究しているの? 何だか気になる謎の研究所――その正体を確かめようと、いざ京都へ。所長の川上浩司さんと広報担当の平岡敏洋さんに会いに行きました。


――「映画やドラマになった『ガリレオ』の撮影に使われそうな建物です」「普段は鍵がかかっているので、キャンパスに着いたら電話してください」。インタビュー取材を快諾いただいた川上さんの言葉に、「?」「!?」「!??」のかもめ編集部。もしかして研究所の場所まで不便なのかも……。謎が深まってくる。そもそも「便利はいいことだ」という意識が根強い世の中にあって、なぜ、あえて「不便」? そんな疑問を抱いたまま指定された部屋にようやくたどり着き、早速、質問を投げかけてみた。「不便益って、何なんですか?」

川上 「不・便益」ではありません、「不便の益」(benefit of inconvenience)のことなんです。手間いらずで効率的に要求が満たせる便利な道具よりも、「オートマ車よりマニュアル車のほうが“運転している”という実感があって楽しい」「電気鉛筆削りを使うより、ナイフを使ったほうが自分の思いどおりに削れて面白い」などなど、むしろ不便な道具を使うほうがうれしいことはありませんか? このような不便がもたらす効用(利益)を、私たちは「不便益」と名づけているのです。

平岡 カメラもそうですよね。僕は大学時代に山登りを趣味にしていましたが、そのころはフィルムカメラだったので36枚撮りのフィルムを5本くらい持って山に行き、「今ここでこれだけ写真を撮ってしまうと、下山するまでフィルムが足りるかな?」と考えながら撮影をしていました。そうやっていると家に帰って現像したとき、いつ、どんなシチュエーションで撮影したのか、そのときの記憶がよみがえってくる。でも、枚数を気にせず何枚でも写真が撮れるデジタルカメラにしたら「一写入魂」の精神が薄れ、撮影した本人ですら覚えていない写真が増えてしまいました。しかもオートフォーカスだから、初心者でもそこそこの写真が撮れてしまう。便利で誰もが使いやすくなった半面、制約があるがゆえの工夫や成長する喜びが薄れてしまったのではないでしょうか。

――確かにそうかも。小学校の遠足で記録係になったときに初めて父親からカメラの使い方を教わったけど、偉くなったような気分になったし、出来上がった写真を見て誇らしさや達成感があった。すべてのものが「便利だからいい」というわけではないんだな。そういえば、最近の車のほとんどがリモコン式のドアロックだけど、あれは便利なようでなんだか不安。先日、取材でレンタカーを借りたけど、車を降りてリモコンでドアをロックしてもちゃんと閉まっているのか心配になって、結局もう一度車まで引き返してドアノブに直接手をかけて確認しなければ気が済まなかったっけ。

川上 便利にする方策としてさまざまな場面で多用されている「自動化」は、作業者のモチベーションの低下や自分の手で修理や改善ができない機械をもたらしました。「より便利なもの」が「生活を豊かにする」という考えが無批判に受け入れられ、結果としてそれが数々の技術進歩を促してきたシステムデザインの現場では、便利になったことで新たな問題が生まれています。そこでこれらの問題を解決するために、便利の押しつけで見過ごされてしまったけれども実は重要であったはずの事象――つまり「不便益」という視点から新たなシステムデザインの指針を探ろうと研究を続けているのです。

――学生時代から人工知能の研究を続けていた川上さん。15年ほど前、恩師である片井修先生(京都大学名誉教授)から「これからは不便益の時代。機械に知能を持たせて人の代わりをやらせるなんて、そんな便利な物を作ってどうするんだ」と言われたことがきっかけで不便益の研究に取り組み始めた。そもそも不便益という言葉自体、片井先生が考えた造語なのだ。

川上 私もそうですが工学部で学んできた者の多くは、自動化や最適化といった「便利な機械」を作るための方法を学び、便利が世の中を豊かにすると教えられてきました。そのため最初は不便と益は相反するものだろう、不便益って何だろうと、あまりピンと来ていませんでした。でも、よく考えていくうちに「不便は大切なことであり、人が本来のあり方であるうえで不可欠なものである」という片井先生の思想を、ぼんやりとではありますが理解できるようになったのです。

平岡 僕も、もともとは川上さんと同じく片井先生のもとで学びました。だいぶ世代は違いますけどね(笑)。昔から人間に興味があって人工知能の研究の道に進みましたが、そのうちに「なぜ人間はこんなにすごいんだろう」ということを解明するのではなく、それを生かしていくほうがシステムとして合理的なんじゃないかと思い始めました。現在は車の運転支援システムの研究のかたわら不便益の研究をしていますが、その根っこは一緒だと考えています。

川上 不便益という概念は、ある種もやもやとした抽象的な概念だから、わかりづらいといえばわかりづらい。研究を続けるうちになんとなく腑に落ちてきたことを、あえてその一部だけ切り出してわかりやすく説明すると、「人の主観的な益」ということではないでしょうか。

――「不便益というのは“楽しい”とか“うれしい”という根源的な主観なんだと思うのです」という川上さんと平岡さん。ウ~ン、わかったような、わからないような。「楽しい」とか「うれしい」という感じ方は、人によってそれぞれ違うと思う。

川上 まさしくそのとおり! 新幹線で京都から東京まで日帰りできるようになって、便利になりました。これは所要時間の差として数字で示すことができます。けれど「日帰りができなかった分、東京で1泊して友人とゆっくりお酒を飲むことができてうれしかった」という気持ちを数字で表すことはできません。「不便でよかった」「モチベーションが上がった」といったその人自身の主観を数字で表すのは難しいことです。

――川上さんも平岡さんも工学が専門だから、不便益を主観で語るのではなく、事例を集めてそれを抽象化・一般化してから別のデザインに当てはめるという工学的視点でひもときたいと考えている。

川上 まだ研究半ばではありますが、いずれは「こんなことに気をつけてシステムをデザインすると、不便の益が得られやすいですよ」といったある種の原則を提示したいですね。それにあたっては「これはこれに影響する」「これはこれに含まれる」とか、そういうある種いろいろな緩やかな関係をきっちり定義し、原則の奥底にある人々の気持ちの絡み方などを、皆が納得する形できちんと示したいとも思っています。だからこそ工学分野の考え方だけではまとめられない。教育、心理、医療など、他分野の研究者とのコラボレーションが必要なのです。

平岡 たとえば、手を動かさないと漢字や英単語が頭に入ってきませんよね。僕は中高生のころ、ノートと教科書だけでなく自由帳も机の上に並べて、必ず何かを書きながら勉強していました。字がぐちゃぐちゃでもいいんです。「字を書く」という手の動き(ひと手間)があることで覚えられる。そういった意味でも、教育に不便益を活用する場面は多々あると思います。

川上 医療の現場も同様です。看護師が入院患者のデータをとる際、1時間ごとにベッドサイドに行って数値をチェックし、それを用紙に書き込んだうえでパソコンに入力する。その手間が大変だ、不便だということで、その作業を機械にやってもらおうとする。でも、果たしてそれで間違えが起きないのでしょうか? 「手間を省けば安全になりますよ」「入力ミスがなくなりますよ」といいながら、当事者である看護師や入院患者のことを考えると、逆に危険だったりする。そういう意味で医療の現場では、「では、どこらへんまで不便や手間を残せばいいのか」をすごく大事に考えています。不便益についても注目してくれていて、「私たちと一緒に議論できませんか?」と呼びかけてくれたりもします。

――山口県防府市にあるデイサービス施設「夢のみずうみ村」では、建物内に少々の段差を付けたり、長いスロープや階段を作るなど、あえてバリアを取らない“バリアアリー”を実践しているそうだ。

平岡 ちなみに、不便益システム研究所というのはウェブ上にあるバーチャルな組織であって、実体はありません。所長である川上先生を中心に、不便益を研究する全国の研究者が集う情報交換の場なんですよ。

――てっきり京都大学にあるんだと思ってた!! そういえば今回の取材場所として指定されたのは、実は川上さんの研究室。どこにも「不便益システム研究所」の看板は掛かっていなかった。それにしても川上先生の研究室がある工学部建築学教室本館は、趣きあふれる建物。この建物は京都大学における最初の鉄筋コンクリート造建築で、大正11(1922)年に竣工。京大に工学部建築学科を創設した建築家の武田五一教授が設計した由緒正しき建物なのだとか。う~ん、素晴らしい。さて、不便益システム研究所とはどんな組織なのかわかったところで、次回はその名を世間に広めるきっかけとなった“素数ものさし”誕生エピソードなどを交えつつ、不便益の正体に迫ります。


(構成・編集部)


【不便益システム研究所のホームページアドレス】
http://fuben-eki.jp
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【かわかみ・ひろし】
1964年島根県生まれ。京都大学大学院工学研究科修了。博士(工学)。京都大学学際融合教育研究推進センターデザイン学ユニット特定教授。著書に『不便から生まれるデザイン』(化学同人)。

【ひらおか・としひろ】
1970年福岡県生まれ。京都大学大学院工学研究科修了。博士(情報学)。京都大学大学院情報学研究科助教。デザイン学ユニット構成員。

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