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きれいをつくる
描く弾く語る! ビートルズ 東海大学教授×ジャズピアニスト
石塚耕一×木原健太郎
第1回 2人を結んだ「イン・マイ・ライフ」
 WEBマガジン「かもめの本棚」の連載から生まれた単行本『ビートルズのデザイン地図』が発売されました。これを記念し、著者の石塚耕一さんとジャズピアニストの木原健太郎さんが対談。ビートルズの魅力や完成した本に込めた思いについて、たっぷりと語ってもらいます。

――石塚さんと木原さんは北海道出身で友人同士。今回出版した『ビートルズのデザイン地図』の本の帯には、石塚さんの強い希望で、木原さんに推薦文を寄せてもらっています。まずは2人の出会いのお話から……。

石塚 私は2011年から2年間、北海道釧路明輝高等学校の校長をしていました。明輝高は、釧路北高校、釧路西高校、釧路星園高校の3校が統合されて2007年に開校した新設校です。しかし、私が赴任した当時は学生の数もギリギリ状態。「こんなによい学校で、よい学生ばかりなのに、なぜ生徒が集まらないのだろう。何か学校を元気にするイベントはできないものか」と思案していました。また、在校生には「明輝生」であることを誇りに思ってほしかった。そのとき力になってもらえると思ったのが、同校の校歌の作曲者でもあるジャズピアニストの木原健太郎さんだったんです。

木原 僕は明輝高に統合する前の釧路北高の出身です。最近は生徒数が減って、学校が統合されていくケースが多いんです。以前にも、統合されて新しくなった母校の中学校から依頼を受けて校歌を作曲したことがありました。その流れで明輝高からもお話をいただいたんです。

石塚 赴任して初めて校歌を聴いたとき、「今までこんな校歌は聴いたことがない。この新鮮なメロディーは何なんだ!」と思ったことをよく覚えています。普通の校歌って、生徒は積極的に歌いませんよね。ところが、明輝高には校歌のディスコバージョンがあるほど生徒の間に浸透していました。日本にはたくさんの学校がありますが、これほど楽しく校歌を歌える学校は明輝高だけでしょう。
 その木原さんに、学校で演奏会を開いてもらえないかとお願いしたところ、快く引き受けてくださった。そして実現したのが、2011年に体育館で行った「木原健太郎 母校に還る講演奏会」です。あれは本当に素晴らしかった。これまで高校で行われたさまざまな演奏会を見てきましたが、これほど盛り上がったケースはありません。木原さんの校歌は全校生徒を一つにしてしまいました。

木原 ありがとうございます。僕もあのコンサートは楽しかったなあ。ピアノは通常、ステージの上にあるものですが、石塚先生の発案で舞台から降ろし、みんなでピアノを囲むようにして演奏を聴いてもらったんです。全部で15曲ぐらい弾いたと思いますが、校歌は最初と最後の2回。最後はみんなのリクエストで、全員が立ち上がってノリノリで一緒に歌いましたね。

――木原さんの演奏によって生徒たちも音楽の素晴らしさを体験し、母校に誇りを持てるイベントになったのですね。

石塚 地域の方にも一緒に聴いていただいたのですが、とても感動して、終わったときには涙を流していました。その演奏の中で1曲、不意を打たれたのが、ビートルズ6枚目のアルバム『ラバー・ソウル』に収録されている「イン・マイ・ライフ」です。そのとき私はコンサートの様子をカメラで撮影していたんですが、思わずのけぞってしまいました(笑)。「木原さんがビートルズを弾くんだ!」と。今回、拙著『ビートルズのデザイン地図』の推薦文をお願いしたのも、あの1曲が根底にあったからです。

木原 「イン・マイ・ライフ」は自分にとって、すごく特別な曲です。僕は、いわゆる「ビートルズ世代」ではありません。正直に言うと、今回の石塚先生の連載で、彼らのファーストアルバムが『プリーズ・プリーズ・ミー』だと知ったくらい。「イン・マイ・ライフ」も実はビートルズではなく、バークリー音楽大学に在籍中に観た映画『フォー・ザ・ボーイズ』で、主役を務めたベット・ミドラーが歌っていたのを聴いたのが最初です。イントロが静かに流れた瞬間から曲に聴き入ってしまった。理屈抜きで、メロディーが深いところに到達した気がしたんです。調べてみるとそれがビートルズの曲だった。以来、僕の中でのビートルズといえば、「イン・マイ・ライフ」になったわけです。
 その後、“ヒーリングの女王”と呼ばれる歌声を持つスーザン・オズボーンさんとコンサートで共演することになり、初めての音合わせで何曲か演奏するうちに、ふと思いついて「イン・マイ・ライフ」を弾いた。そうしたら2人の間でめちゃめちゃハマったんですね。この曲を演奏したことでお互いに通じ合い、悲しいわけでもないのに涙が出た。それがきっかけでスーザンさんとの親交も深まりました。この曲はスーザンさんとのコンサートでは、今も必ず歌う曲の一つです。そんな僕にとっての思い出の曲を、生徒さんたちがどう感じてくれるかな? と思いながら演奏していました。

石塚 いつも思うのですが、木原さんの演奏は人間の持っている鼓動のようなものにスッと入ってくるというか、心に優しく問いかけてくるんです。ボーカルなしであれほど美しい「イン・マイ・ライフ」を聴いたのは初めて。生徒たちのほうを見たら、みんなも何かに打たれたような表情をしていました。そのとき、「やっぱり音楽っていいな、演奏者によって人の心を引きつけることができるんだな」と感じました。
 私も「イン・マイ・ライフ」は大好きな曲です。ジョン・レノンが亡くなった後にできた映画『イマジン』のエンディングでこの曲が流れるのですが、私はこの映画をボロ泣きしながら映画館で観ました。私にとっても大事な曲だからこそ、木原さんの演奏の素晴らしさをより強く感じましたね。

――ビートルズの楽曲を通じて絆を深めていった2人。次回は、アルバムジャケットが担ってきた役割やジャケットのアートワークと音楽とのつながりについて、画家と音楽家、それぞれの立場から語ってもらいます。

(構成:宮嶋尚美、取材協力:HARBOR'S CAFE大さん橋)

※WEB連載原稿に加筆してまとめた単行本『ビートルズのデザイン地図』が絶賛発売中です(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)。
WEB連載「ビートルズ~アートの視点から読み解く4人の奇跡」はこちらをご覧ください。


☆石塚耕一先生のブログ「学びの森」こちらから↓
http://manabinomo.exblog.jp/

☆ジャズピアニスト・木原健太郎さんの公式サイトはこちらから↓
http://kentarokihara.net/
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【いしづか・こういち×きはら・けんたろう】
◆石塚耕一◆1955年北海道生まれ。北海道教育大学卒業。北海道おといねっぷ美術工芸高校や北海道松前高校、北海道釧路明輝高校などで校長を務め、2013年より東海大学国際文化学部デザイン文化学科教授。アート、デザイン研究と同時に絵画や映像などの制作にも取り組み、北海道内を中心に数々の個展を開催。おといねっぷ高の生徒たちの成長を描いた著書『奇跡の学校 おといねっぷの森から』(光村図書・2010年)は、韓国でも翻訳版が出版されている。

◆木原健太郎◆1972年北海道生まれ。アメリカ・バークリー音楽大学卒業。帰国後ジャズピアニストとして活動を始めるが、徐々にシンプルなメロディー&演奏にこだわった作曲・演奏を始めるようになり、1999年以降数々のアルバムをリリース。ソロ活動のほか、アースミュージックシンガーのスーザン・オズボーンなど国内外のアーティストと共演。近年はポップジャズバンド「木原健太郎withベリーメリーオーケストラ」や、能とのコラボレーションユニット「縁~enishi~」での公演など活動の幅を広げ、作曲家としても活躍中。
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