× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
廃墟から「未来」が見える 「J-heritage」代表・産業遺産コーディネーター
前畑洋平
第2回 廃墟が文化財を変える!?
 神戸の旧・摩耶観光ホテル(マヤカン)は今年の3月19日に国の登録有形文化財として登録される答申を受け、近く正式に登録される見込みです。これが全国的にニュースになったのは、マヤカンが廃墟だから。その登録・保存活動に取り組む前畑洋平さんに廃墟の魅力を聞くインタビューの2回目は、廃墟と産業遺産の違いから話を聞きます。

軍艦島の通称で呼ばれる端島(長崎県)。明治から昭和にかけて海底炭鉱で栄え、日本初の鉄筋コクンクリート造高層集合住宅が残る。1960年代には東京をしのぐ人口密度だったが74年に閉山し、以後は無人島となった。2015年に世界遺産に登録


――前畑さんは産業遺産が持つ歴史的価値や魅力を多くの人に伝える活動をしているNPO法人「J-heritage(ジェイ・ヘリテージ)」の代表を務め、産業遺産コーディネーターという肩書きでも活躍しています。世界遺産の産業遺産領域に登録された長崎県の軍艦島(端島)は一見して廃墟ですが、廃墟と産業遺産はどう違うのでしょうか?

 産業遺産に厳密な定義はありませんが、近代化という激動の時を生きた先人たちの記憶が刻まれているものだと僕は考えています。ですから廃墟と明確に線引きするのは難しいと思います。
 皆さんは写真を撮るときに普通は「JPEG」という形式で保存しますよね。JPEGはそのまま画像として見ることができるようにデータをそぎ落としているけれど、加工には限度があります。実は写真には「RAW」という別のデータ保存形式があり、英語でRAWは「生」「未加工」を意味する言葉。つまり生のデータです。加工されていないからそのままでは閲覧できないけれど、いくらでも加工ができる。廃墟を写真で例えるなら、このRAWデータに当たると思うんです。

旧・摩耶観光ホテル(マヤカン)

 もう少し詳しく説明すると、RAWデータとしての廃墟は人が去ったあとでもいろいろなものが内部に残されていたり、外部は植物に侵食されていたりと、まさに非日常の景色。見られることを想定して加工されていないので、見る人それぞれの視点に委ねて感じとってもらうことができる。それに対して世界遺産や産業遺産など登録された文化財は、ある一定の価値を理解できる専門家の物差しによって認定されるので、見る人にはあらかじめ価値がわかりやすく伝えられる仕組みができているのだと思います。

 そう考えると、前回お話ししたマヤカンの国の登録有形文化財認定への取り組みは、より多くの人にマヤカンを見て歴史や文化や廃墟のあり方について考えてもらえるようになる一方で、「こんなに価値があるんですよ」とラベルを貼ることになりかねない。少なくともこれまで廃墟として愛でてきたマニアにとってはおもしろくないでしょう(笑)。そんなジレンマも感じます。

富岡製糸場(群馬県)の繰糸場。1872年に開業し1987年に操業停止。その後も当時の所有者であった片倉工業により維持・管理がされてきた。2014年に世界遺産に登録


――なるほど。世界遺産や重要文化財、登録有形文化財など、歴史的な遺産を守るための制度はいろいろあります。私が訪ねたことのある世界遺産の富岡製糸場は、きれいに建物が補修されて見学路が整えられていました。一方で長崎県の軍艦島やマヤカンのように朽ちた景観のまま保存されるものもあり、文化財の保存や整備について選択肢が増えてきたように感じます。

 そうですね。文化財の保存や修復は、竣工時の美しい姿に戻しましょうというのが基本的な考え方でした。ですが、今年の3月下旬に約半年がかりで5回目の保存修復工事を終えた広島の原爆ドームの場合、今回の補修でドーム状の屋根部分を被爆直後に近いとされる焦げ茶色に塗り替えました。そこには、原爆の閃光と爆風を浴びた1945年8月6日の朝の状態を鑑賞者に想像してもらいたいという明確な狙いがあります。廃墟となった原爆ドームを見た人に時間の旅をしてもらい、記憶や歴史といったバトンを受け取ってもらうことが目的なのです。

原爆ドーム(修復前)。1915年に広島県物産陳列館として竣工、45年に原子爆弾により被曝。96年に世界遺産として登録された

 
 廃墟となった軍艦島やマヤカンの場合も、その場を訪れて、見て触れることで過去に旅をして、廃墟となるまで放置された歴史や時間の流れ、そこにまだ息づいている人々の記憶や思い出といったバトンを受け取ってもらう。それができる仕組みまで整えることが、生きた文化財として残していくことつながると思います。

 京都や奈良の木造寺社建築のような、教科書に載っている文化財の整備保存のシステムはある程度出来上がっています。でも、そこで営まれていた人たちの生活は、あまりに遠い時代なので想像しにくいですよね。その点、廃墟となっても明治以降に建てられたものは時代が近いがゆえに現在の私たちと重ね合わせやすい。それは文化財の意義を、逆説的に身近なものから考え直す機会になるのではないでしょうか。過去と現在を比較して、今はこれが良くてあれが悪いとか、先人が失敗してしまったことを僕らが解決できるかもしれないと、未来を一緒に考えていくきっかけにできる可能性もあるのです。(つづく)

――マヤカンへの注目をきっかけに、日本でも文化財保護のあり方が変わりそうな予感がします。その発端となるのが、人知れず廃墟を愛でてきたマニアたち。一体、どんな人たちなの? 次回はそんなマニアたちの生態をちょっとのぞかせてもらいます。

(写真:前畑温子、構成:白田敦子)

【産業遺産の価値と魅力を発信するNPO法人「J-heritage」】https://www.j-heritage.org/
ページの先頭へもどる
【まえはた・ようへい】
1978年生京都府生まれ。兵庫県神戸市在住。産業遺産の価値と魅力を発信するNPO法人「J-heritage」総理事として全国の産業遺産の見学ツアーや遺産を活用した地域活性プロジェクトの企画運営などを手がけている。兵庫県ヘリテージマネージャー(第14期)、兵庫県地域再生アドバイザー、地域力創造アドバイザー(総務省)、地域活性化伝道師(内閣府)、湊川隧道保存友の会幹事などを務める。
新刊案内