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かもめアカデミー
絵画の一生を解き明かす 東海大学創造科学技術研究機構講師
田口かおり
第2回 美術作品の「履歴書」をつくる
 美術作品の分析研究などの傍ら、修復家兼コンサベーターとして国内外を駆け回っている田口かおり先生。修復と研究、2つの分野がぶつかるところに面白い発見があると言います。研究者としては、美術史の文献を探ると同時に、最先端の光学機器などを使って美術品を分析。科学の視点で絵画を分析すると、どんなものが見えてくるのでしょうか?

名画の今に至る時間軸を組み立てる


 イタリアの工房で修復家として働いていたころ、技術を磨くだけでは修復の仕事を全うすることはできないのでは、と悩みました。帰国して大学院に進み、修復理論や技法に関する研究を深めるうちに、科学的な調査と美術史の文献を突き合わせながら、作品が制作されてから現在に至るまでの遍歴を多角的に明らかにすることに可能性を見出すようになりました。
 オリジナルとは何なのか、より望ましい保存や修復とは何なのかを、技法的なことだけではなく、美学や思想史の文脈からも考察しながら進めていくような、理論的かつ実践的な「保存修復」を目指したいと思ったのです。

 さまざまな光学機器を使って絵画を分析すると、作者の実験的な試みや筆遣いの工夫など、肉眼ではわからない制作過程の情報が浮かび上がってきます。
 たとえば、X線や赤外線で絵画を撮影すると、下絵の有り無しがわかったり、何度も描き直した跡が見つかったりと、画家が試行錯誤を重ねて絵画を完成させていった様が見てとれます。作品に斜めから光を当てて撮影すると、ときには使われた手法や完成後の時間の経過によって作品に起こった出来事なども明らかになります。また、蛍光X線分析器という光学機器で作品を調査すると、肉眼では判断がつかない絵具の種類の違いが元素レベルの情報として挙がってきます。

マエストロ・デッラ・マッダレーナ『聖母子』(通称『マドンナ・ピカソ』)。13世紀と18世紀という異なる時代に描き重ねられた三つの絵具層が確認できる(提供・田口かおり)

 皆さんがよくご存じのフィンセント・ファン・ゴッホはよく手紙を書いた人で、「この絵にはこの赤色を使った」などと詳細な情報を書き残していることから、美術史的な資料が数多く存在する画家として知られています。そこに科学の視点を加えて、使われている絵具の種類を特定することができれば、ゴッホが実際に目の前の作品を描くのにどんな絵具を使い、それをどのように重ねていったのかなど、画家の技法をよりはっきりと解き明かしていくことができます。絵具の成分分析が、作品がいつ描かれたのか、制作時期の特定に役立つこともあります。
 例えば、もし、その時代には存在しなかった絵具が検出されたなら、その部分はゴッホの手によるものではなく、後年、その絵具が市場に出てから誰かが処置をしたり塗り重ねた部分――加筆や修復の痕であることがわかります。

 もちろん、それらの情報をつなぎ合わせていくつかの仮説を立て、入念に検証する必要はありますし、結局のところは不明のままに残される情報もあります。それでも、科学の視点を加えて可能な限り作品の成り立ちを明らかにすることで、2次元の1枚の絵画が、現在までどのような歴史をたどってきたのか、制作時の時代背景や作者・コレクターなどかかわった人々の思いも記録した「履歴書」として、立体的に見えてくるのです。

時間の経過をひも解くと、作者のキャラクターも見えてくる

15世紀後半に描かれたフランチェスコ・ボッティチーニ「戴冠の聖母子と諸聖人」(1479~1480)の修復後。絵が欠けてしまった部分をきれいに描き直すのではなく、絵に使われているどの色にもマッチする「中間色」で空白部分を補うことで、失われたものを尊重しながら、可能な限り視覚的な違和感を少なくする修復が施されている(提供・田口かおり)

 どんな作品もひとたび完成したら、目には見えなくても1秒ごとに静かに変化していきます。それはあたかも人間の皮膚が歳を重ねるごとに少しずつ変わり続けていくような「生」のあり方です。止められないその流れの中で、単に作品を制作された当時の状態に戻すことが修復の目的ではありません。
 だからこそ、現在から過去にさかのぼって調べ、今の作品の状態をできるだけ正確に把握し、個々の作品に合った最良の修復方法を考える必要があると思うのです。そのためには「調査なくして修復なし」というのが私の考え方で、調査により多くの時間を費やしています。

 静かな経年変化がわかってくると、作品の違う見方ができるようになり、作者のクセのようなものや、当時の姿も見えてきます。「せっかく描き始めたのに途中でやめちゃうんだな」とか「多分ここは気に入らなくて塗り潰してしまったのだろう」とか、あるいは「この人はキャンバスをおそらく自分で貼り直して作品の縮尺を変更しているな」などなど。よく知られた画家の人間味あふれる魅力的な側面まで浮き彫りになってくるようで、とても面白いんですよ。


田口先生の著書『保存修復の技法と思想 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』(平凡社)。表紙はアントネッロ・ダ・メッシーナ『受胎告知』(1474年)で、美術史家チェーザレ・ブランディ(1906-1988)が監修した中間色補彩が施されている

 研究対象は、コンサベーターの仕事を通して作品にかかわる中で見つけることも多いですね。展覧会では一人の作者の作品をまとまって点検することも多く、作品を遠まきに見ていてはわからない発見が数多くあります。

 たとえば昨年、エドヴァルド・ムンクの展覧会を担当したときには、間近で見るとキャンバスの下部がかなり傷んでいる作品がありました。興味が湧いて、ムンク美術館のクーリエと話をして、当時の写真資料などもいくつか見せていただきました。わかったのは、ムンクが大雪の降り積もるアトリエの半野外に作品を出しっぱなしにして保管していたために、キャンバスが水分を吸って絵具の剥落や欠損が起きたのだ、ということ。ムンクは作品がダメージを受けることに無頓着で、保管の環境についてもあまり気にしない、という一面があったのだろうと想像できます。
 このように、展覧会の際に間近で作品を見たことがきっかけで、画家の生活や人間性にまで興味がわき、「この作者をもう少し掘り下げて研究してみたい」と思うこともよくあります。(つづく)

――『叫び』の作者として有名なムンク。てっきり暗い人かと思っていたのに意外とおおらかだったとは……。次回は、田口先生が2年がかりで調査したゴッホの作品に関する発見と、作品のエイジングをテーマに企画した展覧会について聞きます。

(構成・宮嶋尚美+編集部)
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【たぐち・かおり】
1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科修了。約10年間、フィレンツェ市内の修復工房に勤務した後、帰国。2014年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士(人間・環境学)取得。東北芸術工科大学・日本学術振興会特別研究員PDを経て、2016年11月より東海大学創造科学技術研究機構特任講師。専門は保存修復史、修復理論。展覧会のコンサベーターとして近年は「ルーヴル美術館展」(国立新美術館)、「ミケランジェロと理想の身体」(国立西洋美術館)、「ムンク展」(東京都美術館)のほか、「ハマスホイとデンマーク絵画」(~3月26日、東京都美術館)、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」(3月3日~6月14日、東京・国立西洋美術館/7月7日~10月18日、大阪・国立国際美術館)なども担当している。
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