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かもめアカデミー
絵画の一生を解き明かす 京都大学大学院 人間・環境学研究科
田口かおり
第1回 展覧会の「コンサベーター」という仕事
 最先端の科学技術を用いて美術作品の分析を手がけ、その成果を生かした作品の保存修復に取り組んでいる東海大学創造科学技術研究機構の田口かおり先生。本場・イタリアで絵画の修復家として修業を積み、美術展覧会の運営に欠かせないコンサベーターとしても活躍する異色の研究者です。修復の実体験や研究を通して考える「モノを直す」ことの意味や、「作品のオリジナリティー」とは何かについて聞きました。

展覧会のために国内外から集まった作品の状態を点検する


田口かおり先生

 日本の大学を卒業した後、イタリア・フィレンツェの大学で絵画の修復を学び、修復士の資格を取得して市内の工房に勤務。修復家として本格的に修業するうちに、スキルを高めるだけでは修復という仕事の全容をつかみきれないと感じるようになりました。それまで培った技術や知識を修復の歴史や理論と体系づけて整理したいと考え、帰国して大学院で学び、研究者の道へ。現在は研究活動の傍ら、美術展覧会で展示される作品の管理や、必要に応じて部分的な修復を担うコンサベーターとしての活動も増えています。

 長い年月を経た芸術作品の価値を損なわぬよう、傷んだところを直す「修復家」の存在を知っている人は多いと思いますが、「コンサベーター」という言葉はまだまだ日本でなじみがないでしょう。両者の違いを明確に表現するのは難しいのですが、修復家が「壊れている部分をなおす」仕事、という印象が強いのに対して、コンサベーターは「今あるものの延命や保存を図る」というとイメージしやすいでしょうか。実は、海外では修復についてもこのような考え方が主流になりつつあり、修復に携わる者は「修復家(レスタウラー)」ではなく、「コンサベーター」と呼ばれることが増えています。
 私は修復家でもありますが、芸術作品の現状をできるだけ維持する「作品の状態管理」に重きを置くという意味あいで、美術展覧会にまつわる仕事では基本的にコンサベーターを名乗っています。

『カラヴァッジョ展』開催にあたり大作「ゴリアテの首を持つダヴィデ」の状態をイタリアのスタッフと一緒にチェックする(2019年、写真提供・田口かおり)

 その役割はというと、美術作品を借り受けて展覧会を開くにあたり、責任を持って作品の状態を点検し、現状を把握し、問題があれば対応策を練ること。実際にどのような仕事をするのか、具体的にお話ししていきましょう。

 たとえば、教会や個人のコレクターから直接送られてくるものはロウソクの煤や埃がたくさん付着していたり、ときには虫のフンなどにまみれていることもあり、作品の入っている箱(クレート)を開けてはじめて、驚くこともあります。場合によっては煤をはらい、万が一、新しい虫穴などがあれば、作品の中にまだ虫が生存しているのか、あるいは過去に虫がいた形跡にすぎないのかどうかを確認し、まだ虫がいると判明した場合には駆除するために燻蒸の提案をするなど、作品の状態を改善させることもあります。
 また、作品を吊って展示するための金具がなかったら、ふさわしい展示方法を考えたり、新たに金具を選定して付けたりします。梱包が不適切な場合はどうすれば次の巡回先まで無事に運べるのかを検討し、提案する。このように業務は多岐にわたりますが、それも美術作品の構造や技法、保存、修復に対する見識があって初めてできることなのです。

「コミュニケーション能力」が大事


 一方、コレクションを所蔵し管理している海外の有名な美術館などから作品を借りる場合、先方にもコンサベーターがいることがほとんどで、その管理のもとにしっかり梱包され、安全に輸送されてくるので作品の状態はほぼ心配ありません。そこでコンサベーターとして求められるのは、意外なことにコミュニケーション能力なのです。
 美術品を専門に梱包、輸送、展示するプロ(=クーリエ)が作品と一緒に旅をしてくることがあり、クーリエとともに作品の点検をした時点で、「この傷は搬出したときにはなかった」「絵の具が波打っているのは湿度のせいか?」といった問題を指摘されることがあります。その場で一つひとつ検分し、「これは昔からある傷で見過ごされていたのでしょう」とか、「作品が展示される環境を考えて温湿度をこうしましょう」などと話し合いながら展覧会に向けて展示点検を円滑に進めていくことが、受け入れ側であるコンサベーターの大切な役割になります。ときには、クーリエの横で本国の作品所蔵者を相手に電話で話し合うケースもあります。

「ボッティチェリ展」開催にあたり代表作「ラーマ家の東方三博士の礼拝」をチェックしているところ(2016年、写真提供・田口かおり)

 そのような経験から、私は修復家としての技量とともにコミュニケーション能力も重要な条件だと考えています。できれば英語以外にもう1カ国語できると、重宝されるかと思います。私の場合は5年ほどの滞在経験からイタリア語。英語があまり得意ではない方が国外からいらっしゃることも多いので、母国語で込み入ったやりとりができると現場がスムーズに動くのです。

 コンサベーターとしていろいろな美術館とお付き合いをするようになり約7年。今ではだいたい、毎月2つほどの展覧会を担当しています。ここ数年は、日本でもあまり知られていなかった作家の展覧会や、展示の方法が難しい作品が並ぶ展覧会、また、大変作品数が多い展覧会などが増えているように感じます。修復家というと一人でコツコツ作品と向き合う職人的なイメージを持たれる方が多いですし、そういう面も確かにあるのですが、展覧会のコンサベーターは「ある程度の経験の蓄積があり、保存修復処置ができて、言語が幾つかできて、人とオープンに話をするのが苦ではなく、なおかつ旅が好き」という人が向いていると思います。(つづく)

――日本に美術館は数あれど、専属のコンサベーターがいるところはほぼなく、展覧会のたびに田口先生のような“アートの仕事人”が外部から呼ばれることも多いのだそうです。緊張感ある現場経験を積み、今では全国から引っ張りだこの田口先生。次回は、“研究者”としての顔に迫ります。

(構成・宮嶋尚美+編集部)
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【たぐち・かおり】
1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科修了後、フィレンツェ市内の修復工房に勤務し、帰国。2014年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士(人間・環境学)取得。東北芸術工科大学・日本学術振興会特別研究員PDを経て、東海大学創造科学技術研究機構に日本学術振興会卓越研究員として着任(特任講師)。東海大学教養学部芸術学科准教授を経て、現在、京都大学大学院 人間・環境学研究科准教授。専門は保存修復史、修復理論。国内で開催される展覧会のコンサベーションを数多く担当している。
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