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美しいくらし
ワインと旅するスペイン ソムリエ・ライフスタイルデザイナー
河野佳代
第3回  無名品種を見出した青年の情熱(上)

レストランでの試飲会の準備風景

 北半球では、秋に収穫したブドウの仕込みが一段落する冬が展示会のシーズンにあたる。地中海に開かれた中世以来の大学都市として知られるここ、フランス南部に位置するモンペリエでは、この時期、世界中から何万人ものプロが訪れるワインの国際見本市が開かれる(※2018年を最後に現在は形を変えてパリで開催)。
 しかし、私の狙いはこれだけではない。噂を聞いてやってきたのは、郊外の1軒のレストラン。ここで本日1日限り、地元の自然派ワイナリーが集う小さな試飲会が開かれるのだ。大手がひしめくメッセ会場にはない、土の匂いがする造り手から生きた買い付けができるこんな素朴な集まりで、インディーズのアウトローを発掘するのは純粋に楽しい。マイナーレーベルに心躍る私が本領を発揮できる場である。

 さて、私がなぜフランスにいるのかといえば、この頃はまだ駆け出しで、ヨーロッパでもフランスワインだけを専門にしていたからだ。その後、スペインが加わり、ドイツを始め、ワイン造りのイメージがないイギリスのポテンシャルにも早くから注目して、足で稼いだ情報をたどっては価値があると信じるワインを日本に紹介してきた。そうこうしているうちに、気づいたら9カ国にもなっていたというわけだ。
 ワインにはどこで出会うかわからない。スペインでドイツワインに出会うこともあれば、空港の搭乗口での雑談や、売り込みの電話だって私にとっては出会いの場。「ひょんなことから世界がつながる」、これが買い付けの醍醐味なのである。だからフランスでスペインワインに出会ったとしても、(まあ普通は珍しいことではあるが、)なんら不思議なことではない。

 南仏ワインを探しに来たこの日、目ぼしい生産者も見つかって気持ちにゆとりが出てきたところで、向学をかねて数少ないその他の産地も回ってみた。ラングドックやローヌなど、地元勢で盛り上がるメイン会場から少し離れた寒々しい通路で、簡素なテーブルにたった2本の赤ワインを並べている若者が目に留まった。
 「Bonjour(おはよう)」と声をかけても、ちらっとこちらを見ただけで返事がない。「Je peux goûter, s'il vous plaît(試飲してもいい)?」とつたないフランス語で続けると、本人より先にマヌエルと名乗る友人が現れて、「どうぞ、どうぞ」と英語で答えながら、流れるような美しい所作でワインを注いでくれた。

 自分たちはこの日唯一のスペインワインで、はるばる車で8時間以上もかけて来たこと、マヌエル自身はマドリッドのミシュラン一つ星レストランでメートル・ド・テル(レストランでサービスチームを率いる最高責任者)をしていること、この青年のワインはかつてのスペインワインのイメージを覆すものだと熱く語る。
 バイヤーの嗅覚を刺激する大好きな話だが、造り手本人が話さないという謎に加えて、ラベルはあろうことかホームプリンタ印刷。でもこれが美味しいのだ。これまでフランスでは経験したことのない土着的な味わい、それでいて楚々とした品がある。残念ながら当時の私に、“バイヤー”という視点でスペインワインを目利きすることはできなかった。それでも良いものはわかる。若いのに職場で重責を担うマヌエルが、友人とはいえわざわざ付き添って来て応援しているのも気になった。

 だが今は詳しく話を聞くのはよそう。例え条件が合ったとしても、フランスワイン専門のバイヤーである私には買えないのだから、結局がっかりさせるだけだ。でもいつかスペインのワインを担当することになったとき、真っ先に彼らに会いに行こう。「あの美味しさは何なのか?」「どうしてあんな未完のラベルで出展したのか?」という疑問はそのときまでお預けだ。ワインの世界は狭いから、いつかまた会える。そう思って会場を後にした。

初めてのスペイン


 そのときは2年後、不意に訪れた。スペイン語のできない私が、スペインワインの担当になったのだ。誰も知らない未知の国。でも私にはあのワインがある。あのワインが私を遠い世界に連れて行ってくれる気がしてならない。根拠のない確信と、マドリッドの一つ星、メートル・ド・テル、マヌエルという記憶だけを手がかりに、早速ミシュランガイドで絞り込みをかけて1軒1軒電話をすると、何軒目かで、「ああ、ここにはいないけどマヌエルなら知ってるよ」と取り合ってくれる人物にたどり着いた。
 教えてもらったレストランの電話はいつも話し中だったので、「2年も前なので覚えておられないと思いますが、モンペリエの試飲会でお会いした日本人のバイヤーです。これからスペインのワインを担当することになったので、あのときのワイナリーを訪ねたいのです」とメールで丁重に問い合わせると、だいぶ経ってから「忙しくて返事が遅れてごめんなさい。あなたのことはよく覚えていますよ」とマヌエル本人から返信がきた。電話で詳しい話を聞いているうちに、「僕もしばらく訪問できてないから、今度スペインに来たら連れて行ってあげるよ」ということになった。

 マドリッドに向かったのはその後すぐ、まだ寒さの残る3月初旬のことだ。「初めてのスペインはどうですか?」とホテルまで迎えに来てくれたマヌエルの車に乗って朝早くに出発し、あの青年がいるワイン産地「マンチュエラ」へとひた走る。こんな経緯だから、マヌエルも私もお互いのことを全く知らない。「ワインの世界に入ったきっかけは?」「一番痺れたワインは何?」と自己紹介で盛り上がっているうちに、気がついたら車は首都を抜け、南下していく車窓には、果てしなく続く乾いた平原に穀物畑がどこまでも広がっていた。

ラ・マンチャの大地


 ここはスペイン中央部、カスティーリャ・ラ・マンチャ地方。深い森のなかに中世の面影を残す村が点在する南フランスとは、まるで景色が違っている。やがてぽつぽつとブドウ畑が見えてきた。国が違えば言葉や文化が違うように、ブドウの樹もフランスとは明らかに様子が違う。初めて見る赤褐色の土壌に、ゴツゴツと丈の低い無骨な樹々が、大地を掴むように根を下ろして力強い。
 そのうえ年中吹いているという強風が、さらに異国情緒を掻き立てる。風はワイン産地のシンボルだ。フランス南ローヌの冷風ミストラル、ミネルヴォアの山風タラモンタン、そしてここスペインのラ・マンチャを行けば、東方の地中海からほこり混じりの乾いた風、ソラノが吹いている。いよいよスペインにやって来た! 待ちに待ったスペインだ!

 ラ・マンチャとはアラビア語で「水のない土地」、または「高い平原」が訛ったという説が有力だ。かつてムーア人がやってきて高い灌漑技術で農業を起こし、羊を連れてきて牧畜も根づかせた。広大な平野に褐色のレンガでできたイスラム時代の城跡が、抜けるような青い空を背にぽつんと佇む廃墟の美。セルバンテスの名著『ドン・キホーテ』の舞台である。
 南へ行けば行くほど風が強くなるのもそのはずで、ここはスペイン語で「メセタ(テーブル)」という、標高700メートルを超えるテーブル状の高原にある。強い風を利用した風力発電が盛んで、はるか地平線上に連なる風車の数が凄まじい。途中の観光名所、カンポ・デ・クリプターナの丘の上には、ドン・キホーテが巨人と信じて突撃した風車もかくありなんと思われる昔ながらの白い風車群が、4枚羽根に風を受けてゆったりと回転していた。

 「フランスとは随分違うでしょう?」。私の心を見透かしたようなマヌエルの問いかけに、返事をしようとしたその時。「ちょっと待って!」と窓を開けた彼が、にわかに現れた隣車線の車に近づいて何やら楽しそうに話し出した。「えぇ!?こんな道路のど真ん中で友だち?」。いや、まさかそんな訳はない。道を確かめたのだ。聞かれた相手は驚くどころか、身振り手振りを交えて教えてくれて、グッドラックと親指を立てて爽やかに走り去っていった。こんなの見たことない! スペインという国を大好きになる予感がした瞬間だ。

 マヌエルはこの日、自分も勉強になるからと、運転手、ガイド、通訳までしてくれて――当時私はスペイン語が話せなかった――、一日中私に付き合ってくれた。ワイナリーの場所を聞きたかっただけなのに、ここまでしてくれた彼には感謝しかない。(つづく)

【河野佳代さんのinstagram】https://www.instagram.com/kayohanako/?hl=ja
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【こうの・かよ】
日本の酒類専門商社で17年間のワインの買い付けを経て、2020年よりパリの高級スピリッツ「ディスティレリ・ド・パリ」、スペイン王室御用達シェリー「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」のブランドアンバサダーに就任。これまで買い付けたワインは、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ポルトガル、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアの9カ国、52地域。延べ1000回以上のイベントセミナーを通して造り手と向き合い、本物のワインを広める活動を行っている“美味しく食べて幸せに暮らす”を実践し、お酒をきっかけに世界をつなげている。J.S.A.ソムリエ、トリリンガル(日本語、英語、スペイン語)。
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