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かもめアカデミー
恋と歌舞伎と女の事情 エンタメ水先案内人
仲野マリ
第5回 女殺油地獄 犯罪被害者の叫びが聞こえる~お吉の物語~①
「今、そこにある殺人事件」を描いた現代的作品
「女殺油地獄(おんなごろし・あぶらのじごく)」は近松門左衛門最晩年の作で、当時実際に起こった事件をもとにしていると言われています。クライマックスは殺人現場。文字どおり繰り広げられる「油まみれで殺される女がみた地獄」が、まるで再現ドラマのように描写されます。
 23歳の若者・与兵衛が遊興費のためにつくった借金を返すため、知り合いの店のカネを盗んでその家の妻を殺害するという短絡的な犯罪は、現代社会において、いつどこで起きてもおかしくありません。そうした共感性があるのか、戦後に入ってから上演が増え、人気の演目となっています。

イラスト:いずみ朔庵
 歌舞伎にはよくあることですが、犯罪者の方が主人公。与兵衛の人物造形の複雑さは、単純な「悪人」の域をこえ、私たちに「若者が犯罪者になる過程」をさまざまに考えさせてくれます。わがままに育った大店の次男坊の甘さ、傲慢さ。そうかと思えば殺伐とした修羅の顔に、途方もない孤独が漂う瞬間。 根は悪い人じゃない、と思わせたかと思うと、突然スイッチが入ったように暴力の限りを尽くす。一筋縄ではいかない男です。

 こうした微妙な心理の変化や表情の陰影は、昭和39年(1964年)の主演以来、与兵衛を当たり役とする片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)が作り、練り上げて完成しました(*)
  また家庭内暴力の場面など、血のつながらぬ我が子とどう接してよいかわからず右往左往する義父、ためにならぬと厳しく突き放しながらも、お腹をいためて生んだ子を憎みきれずあれこれ画策して力になろうとする母の親心など、両親の心理の描き方に普遍性があり、そのまま現代に通用するリアルな描写となっています。

油屋の若妻はどうやって殺されたか
 もしこの事件が21世紀の今起こったら、現代のマスコミはどのように報じたでしょう。物語の概要を記事仕立てにすると次のようになります。

「5月5日未明、大阪市北区・天満橋近くの油商、豊島屋七左衛門さん(42)宅に強盗が入り、妻の吉(きち)さん(27)が殺害された。七左衛門さんは4日午後7時ごろ集金先からいったん店に立ち戻り、それまでの集金分を戸棚に収めた後、再度集金のため出かけた。深夜帰宅したところ、店内は油樽が散乱し一面油まみれで、妻の吉さんが倒れているのを発見した。吉さんは刃物のようなもので何カ所も刺されており、すでに死亡。戸棚に収めた集金分50万円がなくなっていた。3人の娘は奥で寝ていたため無事。警察の調べによると、七左衛門さんの外出後、午後8時ごろ近所で同業者の河内屋夫妻が訪問しており、そのとき吉さんに預けた1万円も見つかっていない。河内屋夫婦は、前日勘当した次男・与兵衛(よへえ)さん(23)のことで、相談に訪れていたという」

 これを読んで、皆さんはどう感じますか? 犯人は誰だと思いましたか?  

浮き彫りになる容疑者の家庭環境
「勘当された」という河内屋の与兵衛、気になりますよね。油屋仲間の人妻と不良少年!こりゃあ売れるぞ!……と、週刊誌の記者やTVのワイドショーのリポーターたちは、きっと色めき立って周辺取材に走るに違いありません。そこで浮かび上がる事実とは?

・与兵衛は油を扱う商家・河内屋の先代の息子で、母・お沢は夫の死後、番頭だった徳兵衛と再婚して気丈に店を守ってきた。
・長男の太兵衛は真面目で優秀、すでにのれん分けを許され支店の主人となっている。
・それにひきかえ、与兵衛は昔から怠け者で遊び好き。カネがなくなれば義父を見下しては小遣いをせびる。思いどおりにいかないと、義父だけでなく実母や兄妹にも手を出すという家庭内暴力の常習者。
・義父は穏やかな人間で、昔の主人に面影の似てくる与兵衛をなかなか叱れず唯々諾々。
・親戚筋に迷惑をかけてしまい、やむなく勘当したが、詫びを入れればすぐに許すつもりでいた。
・事件当夜は勘当直後だったので、もし与兵衛が困って油屋仲間の豊島屋に寄ることがあれば、詫びに戻るよう口添えしてくれ、と頼みに行った。

 生い立ちに多少同情の余地があるとはいえ、同じ境遇の兄は立派に独り立ちしていることもあり、23歳にもなってこれでは、誰も庇ってくれません。
 世間の厳しい目は、容疑者だけでなく、容疑者の家族にも容赦なく向けられます。

「複雑な家庭だからね」
「甘やかしすぎ。しつけがなってない」
「自分の子どもには、もっと毅然とするべき」

 普通より裕福な商家だっただけに、物見高さややっかみも手伝って、なおさらバッシングは強くなったのではないでしょうか。与兵衛には借金もあり、「動機」は十分です。江戸時代にもかわら版とか読売(よみうり)といった新聞のようなものがありました。今と違って「犯人」と「容疑者」の区別もはっきりせず、「人権」などという言葉のなかった時代、こんな事件が起こったら、おそらく世間はすぐに「犯人は与兵衛」に傾いたと思います。彼や彼の家族のことは、瞬く間に人の噂にのぼっていくことでしょう。(つづく)

(*)片岡仁左衛門が一世一代と銘打ち主演した2009年6月歌舞伎座さよなら公演の舞台を映像化したシネマ歌舞伎が、2月11日から17日まで全国で上映されます。
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/14/



【仲野マリの歌舞伎ビギナーズガイド】
http://kabukilecture.blog.jp/
【エンタメ水先案内人】
http://www.nakanomari.net

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【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラム)http://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01
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