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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第9回 存在の青い灰(下) (小津夜景より)


 さらには西洋の科学的知見を匂わせる句もありました。

名月の中のくもりや世界の図     信鴻『蘇明山荘発句藻』
世界から見る影ならむ月の中   飛泉『庭竃集』(越智越人編)

 雲のかかった名月を世界図になぞらえるというのは地球儀を知っている者の発想でしょうか。いつだったか「円球」に「せかい」とルビをふった狂文を見たことがあって、その折も少し調べてみましたら、日本で地球儀がつくられるようにったのは江戸時代に入ってすぐとありましたので、華麗なる趣味に生きた郡山藩主・柳沢信鴻ならば現物を承知していたかもしれません。かたや飛泉の句は、月の模様を世界の影が映ったものだと言い、詩と科学とのあわいをただようかの風情です。

古池は世界へひゞく水の音    柳雫『柳多留』

 こちらは芭蕉〈古池や蛙飛びこむ水の音〉のもたらす経験を、世界の開示する一瞬として捉えた句。ついでに古池で遊んだ作品をいくつか引いてみます。

ばせを翁ぽちやんといふと立留り  間々
古池のぽちやんが末世迄ひゞき   竹子
一つづつ蛙を仕廻ふ水の音      無記名
蛙とぶ池はふかみの折句なり    〃

 さいごは古池の句の頭韻がふ・か・み(深み)となっていることを指摘したもの。どの遊びもたのしげで、あなたからの手紙にあった「芸術は進化するのではなく回帰するものであり、円環を生み続けるもの。芸術における新しさとは単に時間軸の先端にあるものを指しません。それは常に生まれ続けるものであり、誕生の瞬間への祝福そのものでもあります」との言葉がしのばれます。回帰の中の一回性は定型にたずさわる者にとってなじみぶかい感覚ですが、古池の句についてはこうした文脈に加えて、その内容自体も水の音をきっかけとした世界の更新にまつわる点が愉快です。ひょっとすると古池の句が芭蕉の代表句であるとともに、数百年ものあいだ俳句の代名詞でもありつづける理由は、この句が「水への飛び込みによる死の暗示から新たな世界の再生まで」を俳句ならではの手法で生け捕っていることにあるのかもしれませんね。


 以上、世界の旅はいかがだったでしょうか。ふたたびイヴ・クラインの話にもどると、はじめに書いたように彼は自作の青いタブローを「私の芸術の『灰』にすぎない」と自解しましたが、この講演の翌年に批評家ジョン・アンソニー・スウェイツに宛てた手紙の中では「私の芸術は、私の作品である『灰』の背後にではなく、その灰のアウラさながら内部や周囲に存在するのです」とも語っています。

 いったい彼の芸術とはなんなのか。ここでひとつ思い出すのが、青く塗った裸体を画布になすりつけたり、画布にしがみついた裸体の周囲に青いスプレーを吹き付けたりといった彼の「人体測定」シリーズが、日本の魚拓ならびにヒロシマの石段に焼きついた人間の影に着想を得ていることです。存在が消えたところに残る灰。そこに物がないことを知らせるアリバイとしての影。私たちにじかに迫り、じかに響く不在そのもの。線も形も失い、一塊として凝固しつつも、なぜかうごめきやまない奇妙な青。しかしざんねんながらこの問題に深入りするにはもはや便箋が足りませんので、かわりに江戸時代の絵師にして俳人でもあった酒井抱一の句を引きます。

朝がほや瑠璃の世界に人は今朝  抱一『屠龍之技』

 切れ字〈や〉の一撃によって朝顔が昇華=無化し、ただ瑠璃色のみが残された世界に佇む朝。瑠璃とはウルトラマリンの顔料である半貴石ラピスラズリの和名ですが、インターナショナル・クライン・ブルーもウルトラマリンをつかったふかい青である偶然に私は酔いに似たよろこびを覚えます。そしてほのかなかなしみも。どうしてだろう。ねえ、どうしてなのでしょうね。ただ、存在が消え去ったのちに残る世界の影がふかい青色をしていることを抱一も知っていたのだと思うと、ほんの少しだけ胸がつまるのでした。

小津夜景拝



【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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