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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第9回 存在の青い灰(上) (小津夜景より)


 前略。あえて想ったりはしないけれどいつも心のどこかにいて、ひょんな場面でおやっと出くわす。青ばかりつかう美術家イヴ・クラインと自分との関係がそんな感じになったのは、彼がニースで生まれ育ったというのを知ってからのこと。彼の青はふるさとの空の色に由来するのだそうです。

 ニース近現代美術館にはイヴ・クラインのための展示室があります。そこでの私のお気に入りは、柔道家でもある彼が講道館から授与された四段の段位証で、これは1954年当時における欧米人の最高位でもありました。証書の氏名が「イーヴ・クラン殿」とちゃんとフランス語の発音で記されているのもうれしいかぎりです。そんなわけで今日はひさしぶりに美術館を訪れました。


 イヴ・クラインというと、インターナショナル・クライン・ブルーという名称の顔料で制作されたモノクロームのタブローが有名ですが、1959年ソルボンヌ大学での講演で、彼はこの一連のタブローについて「私の芸術の『灰』にすぎない」と語っています。彼が真に夢見ていたのは空無を創造することで、この夢想は「空虚展」「空虚の劇場」「空虚への跳躍」「空気の彫刻」「空気圧ロケット」「空気の建築」など作品の題にもおおっぴらに反映していました。たとえば「空気の彫刻」という作品は1001個の風船を空いっぱいに飛ばすだけ。風と共に去る彫刻です。彫刻ってなんだろうみたいな思いわずらいのないところがとてもいいなと思います。

 イヴ・クラインの作品にかぎらず、美術家がこの世界をどんな風に捉えているかを知るのはたのしいことです。またそれは詩でもおなじで、かつて私は世界という語が江戸時代の短詩でどんな使い方をされていたのかを調べてみたことがありました。きっかけは、

三千世界のからすを殺し ぬしと朝寝がしてみたい  高杉晋作

をふと思い出したことで、というのもほら、この都々逸ってほんのり縁起がかって仏教臭いじゃないですか。それで、いまの私たちがつかう「世界」と江戸時代の人々のそれとはかなりニュアンスがちがうのかしら、またもしそうならば、彼らの思い描く世界とはどんなだったのだろうと興味が湧いたのです。ところがいざ蓋をあけてみると、

鴫焼は夕べをしらぬ世界哉    其角『五元集』
世界をや酒壺となす朝かすみ   信相『鷹筑波』(山本西武さいむ編)

と、拍子抜けするほどいまと変わらない感性の句ばかり。其角の〈夕べをしらぬ〉は西行〈心なき身にもあはれはしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮〉の本歌取りで、つまりこの句は悟りも哀れもどこふく風で、おいしい鴫焼を食べながら俗世を謳歌している内容なのでした。また信相の句は、もうこれは見たまんま。よほどお酒のことばかり考えて暮らしていたのでしょう。『鷹筑波』は松水貞徳の弟子が編集した貞門俳諧撰集で、1610年頃から約30年分の句を収録しています。世界という語が江戸初期の時点でこれだけこなれた使い方をされていたとは実に驚きです。

ともかくも瓢のうちの世界にて  一茶「みはしら」(百堂編)
夕朝の露でもちたる世界哉     一茶『七番日記』

 壷中の天地、すなわち酒を飲んで俗世間を忘れる楽しみをおどけた口調で吟じた〈瓢〉の句と、露の玉に世界がとじこめられた神秘のようすをいくぶんかしこまって詠んだ〈夕朝〉の句。ミクロコスモスにマクロコスモスを見出すのが一茶の趣味っぽいですね。

世界皆昼を楽屋にけふの月    鶴史『綾錦』(菊岡沾涼編)
嫦娥今宵世界に見せる化粧哉   嘯山『葎亭句集』
灯籠も恋の部に入る別世界    二丁『柳多留』
灯籠見とうろみ硝子びいどろ世界羅綺世界    晩得『哲阿彌句藻』

 こうしたファンタスティックな夜の光景においても世界という語は活躍していました。〈昼を楽屋に〉といったいかにも江戸風の見立てによって、この世界は夜こそが舞台なのだと豪語する鶴史のかっこよさ。大道具としての月が一点豪華主義のきらめきを放っています。また月のようすをかの星に棲む美人〈嫦娥〉の貌になぞらえた嘯山の句も、夜を幻想的にいろどる灯籠の異次元的恍惚を描いた二丁ならびに晩得の句も、かけがえのない今宵の歓の味わいを、世界という語によってよりふかめようとしたのがわかります。

(つづく)




【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)




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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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