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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第8回 時と道と(下) (須藤岳史より)


 砂の小山を元来た道とは別の獣道を通って下りている途中で、木々の陰で砂に埋もれた煉瓦造りの壕を見つけました。これは戦時中に海岸沿いに配備された壕の残骸のひとつなのですが、調査と修復のリストから外れてしまったのでしょうか、人知れず砂丘に埋もれています。この壕は、あなたのお手紙にあった「なおも充実した現在をはぐくむ、郷愁とは無縁の廃墟」の類ではなく、完全に忘れ去られてしまった廃墟です。

 白川静によりますと、「むかし」とは「向かふ」と方向や時間を示す「し」が複合し、回想の向かう方向を指し、さらに対義語である「今」とは断絶した「以前の時」を意味するそうですが、この廃墟は今ここにあるにも関わらず、今とは断絶してしまったもののように見えてしまいます。

 それはきっと僕が、壕を「戦い」との関連で認識し、その機能にこの壕の本質を見出してしまっているからなのかもしれません。目的のないものや目的の曖昧なものは廃墟となっても引き続き現在を育みますが、その本質を目的に負うものは、その役目を終えた時に時からこぼれ落ちてしまうのかもしれません。

 流れる時と、そこからこぼれ落ちてしまうものを想像する時、その反対にあるもの、つまり常に生まれ続ける存在について考えないわけにはいきません。

 芸術は一定方向に流れる時間から自由です。その自由さは常に生まれ続けることに由来しているのだと思います。
 芸術は進化するのではく回帰するものであり、円環を生み続けるもの。芸術における新しさとは単に時間軸の先端にあるものを指しません。それは常に生まれ続けるものであり、誕生の瞬間への祝福そのものでもあります。

 芸術もそして季節も、増殖する円環において過去と未来が反復されます。それは「めぐるもの」です。めぐるものは主体を喪失しますが、消滅はせず、別の母体を通して生まれ続けます。

 廃墟でしばらく過ごした後は、元の道へ一旦戻り、それから反対側の丘を登りました。こちらの丘は通路が整備されていて、道の両側には季節の草花が咲いています。草花の名前には詳しくないのですが、リンドウの一種や季節を終えようとしているワイルドローズをはじめ、色とりどりの草花が暖かい季節の束の間の装いを競い合っています。それぞれは勝手に咲いているのに、そこには何かしらの規則性や構図があるようにも感じてしまうのは、認識の罠であると同時に、人が言葉を使う時のやり方にも似ています。

 断章形式の文章を読んだり書いたりしている時、いつも自然の植生を思い出します。そこにないのにあるように思えてしまう関連、そして飛躍の距離が生むメタファー。読む者によってその都度生み出される自由な解釈と引き寄せ。

 解釈することと、ただ眺めること。引き寄せることと受け入れること。その両方を行き来していると、心と感覚が自分から溢れ出してしまうように感じることがあります。そんな時は、季節に関わらず、慈圓のこの歌を思い出します。


野辺を見るになほあまりゆく心かな秋より外の秋の夕暮れ


 慈圓のこの歌は、あなたからのお手紙にあった「情熱の果ての静寂」を一瞬思い起こさせるのですが、「秋より外の秋」という言葉のせいでしょうか、予定調和などには決して行き着かない広がりと、そこへ溢れ出し、こころの境界がふとあいまいになり、野辺の風景と溶け合ってしまう様子が心に浮かびます。

 丘の上で風に吹かれ、鳥の声を聞きながら、野辺を眺める。
 そのうちにこころが溢れ出してしまいそうになる恐怖と快感の混在に恍惚する。
 思うことと思わないこと。考えることと考えないこと。自分に引き寄せることとあるがままを受け入れること。

 遠くの波を眺めながら、その満ち引きにこころの横溢を重ね合わせているうちに、次第に音が遠くなり、まどろみ、全てが大切であると同時にどうでも良いことのように感じてきます。それでもなお、こうして言葉を綴り、何かをあなたに伝えたいという気持ちが生まれるのはなんと不思議なことでしょう! しかし、その心持ちは芸術とある種の相似をなしているようにも感じます。

 丘を降りると一本道の坂を少し登ります。
 坂の頂点に達すると海はもう目の前です。
 しかし、今日は坂を下りずに、そこから引き返しました。
 目的や終着点に立ってしてしまうことの惜しさと、もう手に入ることがわかっているものを手にすることに対する空虚さがあったというわけではなくて、今日感じた遊歩による感覚の広がりを大切にしたい、そしてできることなら終わりを見ることなく、何度も繰り返したいという欲(これはいわゆる「粋」の心の動きにも通じますね)の方が大きかったのかもしれません。

 何度も繰り返すこと。そして繰り返しの数を忘れること。
 しかし、ロンドーの主題のように、何度そこに回帰しても、けっして同じものではないという一回性の喜びにふれること。その喜びこそが、人を生かし続けているのかもしれません。

 なんだか取り留めのないお手紙になってしまいましたが、今日はこのあたりで筆をおきます。
 素敵な新しい朝をお迎えください。

須藤岳史拝




【須藤岳史 Twitter】
https://twitter.com/Artssoy

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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