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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第8回 時と道と(上) (須藤岳史より)


 お手紙ありがとうございます。
 今日は海からの風にのった花々の香りに誘われて、ふらりと近所の海岸へ足を伸ばしました。花の季節がそろそろ終わるワイルドローズの香りと潮の香りの組み合わせはハーグの初夏の海岸沿いで最も美しい香りのひとつです。

 自転車で5分くらいのところから登りの坂道が続いていて、それを登りきると海が見えます。多くの人はまっすぐに続く道を登り、そこから坂を下って海へ向かうのですが、僕はたいてい寄り道をしてしまいます。

 過去から未来へと流れる時間の感覚は、直線的な道を歩くことから来ているのではないか? と思うことがあります。歩行による距離の感覚はそのまま時間の感覚となります。そうすると、寄り道をするということは、一本道が生む直線的な時間感覚を狂わせる働きをするとも言えます。

 「時」といいますと、現代では一定方向への流れをイメージしますが、もし「時」が「解く」と同じ仲間の言葉だとするならば、むしろ一定の流れからはぐれることのほうが、より本質的な時間なのかもしれません。

 音楽の演奏も時と深く繋がっています。
 音楽は時間の流れに沿って展開するので、別の時間の流れを体験することでもありますが、ときどき時間から出てしまうように感じることもあります。
 これはフェルマータやアゴーギク、消えてゆく最後の音などからも感じることができますが、そのほかにも、例えば重い音や軽い音が空気を震わす時にも起こります。
 重い音、とくに重くて低い音は空間を歪めます。そのとき時間の流れは熟れすぎたフルーツのようにどろりと溢れだします。

 そんなことを考えながら、今日はまず坂の麓のそばにある脇道へ向かい、そこからあるかないかの獣道へと分け入りました。このあたりにはスコットランド種の牛がたむろしていて、彼らが通った後には道ができます。それからたくさんの野うさぎも住んでいるので、文字通りの獣道です。

 結界じみた倒木を越え、トゲのある植物を避け、木の葉の下を腰を低くして通り抜け、砂でできた小山を登りきると、正面には海、背後にはハーグ市街の遠景が見えます。

 小山を登りきるまさにそのときの、海と空と地の境界が曖昧になる瞬間は格別です。
 あなたのお手紙にあった「思うと思わないのオーバーラップ」「存在と不在の共存」はこの感じと似ているかもしれません。

 そもそも認識とは人間化できないものまでも人間化すること、そして人間化することにより人間化できないものの存在を感じることなのだと思います。思うことと思わないことが濃淡の差であるとするならば、どちらともつかない状態こそがニュートラルなのかもしれません。

 音や香りは、自らの内にありながらも言語の外にある何かです。だからそれを記録することができない。そしてそれはいつも思うことと思わないことのグレーゾーンから到来します。その到来の仕方は人間化できない何かでありながらも、明確に隣にある何かとしてその存在を際立たせています。

 書かれるものの到来と移行に関しては、とても好きな言葉があるので、説明抜きに書き留めておきます。


書かれるものの到来の仕方は風に似ていて、むき出しで、それはインクであり、書きものである。その移行の仕方は、この世のほかのどんなものとも違う特異性をもっているだけだけど、ただひとつ似ているのは命そのものよ。
(マルグリット・デュラス著/田中倫郎訳『エクリール』河出書房新社)


(つづく)



【須藤岳史 Twitter】
https://twitter.com/Artssoy

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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