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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第7回 ひとつぶのたぶららさ(下) (小津夜景より)


 徐志摩が文学に目ざめたのはケンブリッジ大学留学中のことでした。帰国後は胡適らと「新月派」を創立して中国詩の近代化に尽くしますが、1931年、飛行機事故のため34歳の若さでこの世を去っています。そんな彼の功績は、西洋詩の骨組に中国詩の古典技法をのせて音楽性の高い白話格律詩を生み出したことなのだそうで、なるほどこの詩にも、まごうことなき彼の知識人性や、座右の書だったといわれるウォルター・ペイター『ルネサンス』中の名言「すべての芸術はたえず音楽の状態に憧れる」の精神があらわです。また、実をいうとこの詩は彼のオリジナルでなくウィリアム・ブレイク「無垢の予兆」の翻訳なのですが、原詩を訳すのに中国詩の古典技法である「一字詩」を借りて、華厳経およびライプニッツのモナドロジーを引用してみせた技もクールです。

一花一世界 一木一浮生
一草一天堂 一葉一如来
一砂一極楽 一方一浄土
一笑一塵縁 一念一清浄

 一における多の表出(expressio multorum in un)という究極の境地。仏教の哲理を要約したこの一字詩を徐志摩は知っていたのでしょう。ただし念のために書き添えると、私じしんは一にも多にも関心がなく、情熱のはての静寂といった予定調和へと言葉を差し向けるのも嫌です。だって言葉をつかうとは概念を、すなわち分節化された世界を生きることにほかならないのですから。とはいえ絶対的同一がないありえないのと同じくらい、絶対的分節もまたありえない。試しにいま目をとじて、自分の頭の中をのぞいてみましたら、そこには重なりあった言葉がもうろうと木霊したり、たがいにへばりついて聞いたことのない言葉になったりと、気のふれたサーカスがくりひろげられているばかりでした。

 この日さいごの庭はアンリ・マティスの眠る霊園です。マティスの墓は、ほかから完全にはなれた一角で、色とりどりの忘れ草に囲まれていました。墓の前に立ったとき、正午の大砲が聞こえたので、私は鞄からそらまめのコロッケとメスクラン(メスクランはシミエ修道院発祥のニース料理で、5、6種類の野草の若葉だけをとりまぜたサラダのことです)をふんだんにはさんだ手製のサンドウィッチをとりだしました。そして周囲に人の気配がないのをたしかめつつ、墓石にそっと腰かけて、おもむろに一口、また一口とそれをほおばりました。

わがこころありやあらずとさぐりみれば空吹く風の音ばかりなり  良寛
はじめなくをはりもなきにわがこころ生まれ死するも空の空なり  一休

 僧侶たちの歌が頭にうかんだのは墓石にお尻をのせていたせいでしょうか。心得の悪い私とは対照的に、オリーブ樹をおよぐ光のつぶは風に洗い清められ、たぶららさ、とひらがなでやわらかく呼びたくなるほどきれいです。でもニースの空を愛したあなたのために、空のかけらのゼリー寄せをもってきてるの。これをお供えするから許してね。私はタヒニソースでよごれた指をタオルでぬぐい、鞄からとりだした天青石(セレスタイト)をマティスの墓のすみに置きました。天青石(セレスタイト)は休息の石言葉にふさわしく、オアシス風にかがやいています。もしもこのまま夜になったら、ここに空の泉があるとかんちがいしたホタルがやってくるかもしれないな――私は心の中でしゃべりつづけました。

モナドからモナドへうつるつかのまを
見失ふたは
蛍のしわざ  小池純代

 もしもあらゆる光が、存在ではなく不在を照らしだすものだとしたら。あたかも思う行為が、思わざる空間をかすかに照らしだすように。このまま天青石(セレスタイト)といっしょに夜を迎えてみたい。そして忘れ草のむせかえる香りの内にホタルを囲いこんで、そのお尻が照らしだす奇妙な忘却に出会ってみたい。思いにとってなくてはならない、かずかずの不在のモナド。失われたものとしてよみがえる埋葬の祖型。けれどもこの庭は夜どころか黄昏にも遠く、光のたぶららさを、そのひとつぶひとつぶを、いまだ睡っているホタルのように白く震わせているのでした。

小津夜景拝



【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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