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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第7回 ひとつぶのたぶららさ(上) (小津夜景より)


 前略いかがおすごしでしょうか。私はいま、ざわめく旧市街をはなれ、丘の上にあるフランシスコ会シミエ修道院ゆきのバスにゆられています。

 シミエ修道院へゆくには考古学博物館の前でバスをおります。そして毎年夏になると野外ジャズ・フェスティバルがひらかれる広大なオリーブの樹園を奥の奥まで抜けなくてはなりません。樹園のまわりには考古学博物館のほか、マティス美術館や古代ローマ時代の遺跡が点在し、崩れかかった円形闘技場やら共同浴場やらが草や苔とむつみあうようすは荘厳な石庭そのものです。なおも充実した現在をはぐくむ、郷愁とは無縁の廃墟。樹園をはるかにしのぐ楽園性。すでにほろんでしまったものがもうけっしてほろびないというのは本当なのかもしれません。

 オリーブの樹園を抜けて、シミエ修道院にたどりついた私は、さしいそぎ一息つこうと僧院の庭へまわりました。どこの僧院にもたいてい存在する、かつては修道士の生活を支える菜園だった庭です。石の柱に丸太をかけわたした夾竹桃の緑廊に腰をおろし、海からと山からの風に吹かれながら英気をやしなっていると、葉っぱが空気を奏でる楽器となって涼しい雨を耳もとに描くのがわかります。あるいは逆巻く波の肩を。あるいは噴水にひらく花を。あるいは緑のあわいに滴るしずくを。またあるいはこれといって何も描かず、散りしぼんだ蔓日日草の上をただひっそりとすぎてゆくのでした。

 息の整ったところで、私はまず朝の礼拝堂を見学しました。それから上階のがらんとした資料館で、むかしの修道士たちが実際に使用していた部屋や調度、日用品、修行の日々をおさめた写真を眺めました(なかでも若き修道士たちが裸木にのぼった一枚はすこぶる気に入りました)。資料館から下り、地階の回廊に出ると、生活感あふれる小ぶりの中庭がぱっと目の前にひらけました。オリーブの樹園、古代ローマ遺跡の石庭、かつて畑だった花園についで本日よっつめとなる庭です。スタージャスミンのからみつく井戸はこの修道院でもっとも古い水源で、ふりつもる埃のような、とこしえの膜のような、乳色の光に沈んでいます。心のひだがゆるみ、いっぽん、またいっぽんと、たゆたう波紋になってゆく。さめない夢とはこうした状態をいうのでしょうか。

思ひなき思ひに似たる思ひかな思ひのうちに思ふ思ひは  作者未詳

 平安後期の歌学書『新撰和歌髄脳』にみえる、「思い」をはぐくむ「思い」それ自体を詠んだ畳語歌です。こんふうに「思う」には能動とも受動ともいえないところにおもしろみがありますね。また「思う」よりさらにおもしろいのが「思わない」の風景です。

たのしみの中のまことの楽しみは物を思はぬ心なりけり  夢窓疎石
心のみ昔のままと思ひしがそも物ごとにうち忘れつつ   小沢蘆庵

 「思わない」の実態はひどくつかみづらい。何かを「思う」とき、その思惟のうごめきが周囲をほんのりと照らすことで、かろうじてその領野を感じることがあるくらいでしょうか。あとまれに「思う」と「思わない」とがオーバーラップすることもあります。ちょうどジョルジョ・モランディの絵画で、存在と不在が、光の濃度の加減によって共存しているように。と、こんな例をあげるのは、あなたからの手紙にあったブレイクの詩に、本日いつつめの庭となる、有限と無限とが共存する楽園を描いた詩を思い出したからです。

天真的予言  徐志摩

一沙一世界
一花一天堂
掌中握無限
刹那見永恒


汚れなき予言  徐志摩

一粒の砂に一つの世界があり
一輪の花に一つの天国がある
てのひらの上の無限をつかみ
ひとときの中の永遠とであう

(つづく)


【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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