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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第6回 音のこどもたち(上) (須藤岳史より)


 こんにちは。ハーグはすっかり初夏の雰囲気です。良い天気が続くことが多いのですが、この季節になると日本の梅雨の美しさを懐かしく思い出さずにはいられません。日本を離れてから20年近い日々が流れましたが、離れれば離れるほど、そして梅雨の体験が遠くなればなるほどに、梅雨のイメージそのものが心の中で際立ってきたように感じています。

 日本は四季がはっきりとしているとよく言われますが、この梅雨の季節、そして秋の長雨の季節を入れると、四季ではなくて六季ともいえますね。

 梅雨になると聴きたくなる音楽があります。ジョン・ケージのIn A Landscapeと題された小曲です。音楽の意味は曖昧なものですし、この曲は雨とはなんの関係もないかもしれませんが、個人的になぜか雨の情景と結びついてしまいます。

 雨の日の午後、あなたは街を歩きます。
 青葉は雨をうけて、そのやわからな香りをあたりにぼんやりと漂わせます。
 雨粒が街路樹やアルファルトを打ちます。
 あなたがさしている傘にも雨粒があたって、ぱるんぱるんという音を立てます。
 ほかにもたくさんの音が聞こえてきます。窓ガラスや金属の看板、水たまりを打つ雨音。
 車のクラクションや車輪の音、靴音、遠くの店からの騒々しい音楽。

 やがてあなたは気がつきます。
 音楽はどこにでもあるのだと。
 音楽とは音を聞こうとする心の指向性そのものであることを。

 ひとつひとつの小さな雨音は、やがてひとかたまりの音響となります。
 そして、その音響はあなただけの音楽であるということに思い至ります。
 あなただけの音楽は誰とも共有することなくそのまま消えてしまいます。

 ケージのこの曲を聴いているとそんな風景が心に浮かんできます。

***


 大戦期の短詩の流行のお話、興味深く拝読しました。このお話を読んでリルケの一節を思い出しました。『ドゥイノの悲歌』の第九の悲歌で、リルケはこの地上でのたった一度だけの生を讃えたあとにこう書いています。


ああ、しかし地上の 存在の後に来るあの別の連関へは
何をわれわれはたずさえて行けよう? 地上でおもむろに習得した
観照、それをたずさえては行けない。
 なにもかも。
それゆえたずさえてゆくのは、苦痛や悲しみだ、とりわけ重くなった体験だ、
愛のながい経過だ。――つまりは
言葉にいえぬものばかりだ。しかし、さらにのちに
星々のあいだに達したら、それらのものも何になろう、星々・・こそは、よりすぐれて・・・・・・
 言葉にはいえぬものなのだ。
とすればこうだ。登山者は山上の懸崖けんがいから
ことばになりえぬ一握ひとにぎりの土を谷間へもちかえりはしない、
かれがもちかえるのは、獲得した純粋な一語、すなわちあおに咲く
りんどうだ。だから、たぶんわれわれが地上・・に存在するのは、言うためなのだ。家、
橋、門、つぼ、果樹、窓――と、
(中略)
この地上・・こそ、言葉でいいうるもの・・・・・・・・・の季節、その故郷だ。
されば語れ、告げよ。
(リルケ『ドゥイノの悲歌』手塚富雄訳/岩波文庫)


 ここでリルケは、地上でない場所、つまり死後の世界には、あれほど何かを保有しようとして集めた言葉を携えては行けないと書いています。しかしながら、だからこそ「地上に存在するのは、言うためなのだ」「この地上こそ、言葉でいいうるものの季節、その故郷だ」と、地上でのつかの間の言葉を讃えています。

 言葉はいつも足りなかったり、過剰だったりすることを私たちは知っています。ロラン・バルト/スタンダールの言葉を借りるのならば、「人はつねに愛するものについて語りそこなう」とも言えます。初めから負けることがわかっていて、そしてそれをいつまでも保有できないことを知っていながらも、私たちは言葉にある種の信頼を寄せています。語りそこなった先にさえ、いやその先こそ、なにか語りえなかったことが残るのかもしれませんね。そこで、あなたの句を思い出しました。


語りそこなつたひとつの手を握る
(小津夜景『フラワーズ・カンフー』ふらんす堂)


 人が何かを伝えあったり、わかり合ったりする究極の方法は二人がひとつに溶け合うことだと思います。人の名における救済もまた、相互に助け、助けられる関係によってしか成立しません。だから、それはきっと一生に一度だけおこるかもしれない奇跡なのだと思います。何度も繰り返すことはできないから、地上での特権的な存在である言葉でもって、私たちは何かを伝え会おうとしているのかもしれません。キニャールの一節を引いておきます。


人は一度しか愛さない。そして唯一愛するとき、人は愛していることを知らないでいる。愛について発見しているのだ。
(パスカル・キニャール『秘められた生』小川美登里訳/水声社)


(つづく)


【須藤岳史 Twitter】
https://twitter.com/Artssoy

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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