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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第5回 ことばはこばと(下) (小津夜景より)


 西部戦線激戦地シュマン・デ・ダーム。この句を読むと、錯乱と理性のはざまで言葉をつむぐ行為についてのさまざまな連想が頭をよぎります。正気もまた狂気の一種であるとみなすべきほどに人間はいつだって狂っている、と書いたパスカルのこと。モンテーニュ考案のエセーという文学形式をつかい、一篇の主題における記号論的自由放任主義、すなわち集中と拡散といった相反する牽引力を舵取りしつつ錯乱と共生したベーコンのこと。そのベーコン的方法の極北と言うにぴったりな、定型性と脱定型性とがレッスルする柳本やぎもと々々もともとの川柳のこと。

人生のさんさんななびょばいおれんす  柳本々々

 柳本の文体は、世界に対峙するとき、しばしば状況へのおそれとおののきでぶるぶるとふるえていますが、このぶるぶるは、定型と脱定型との境界を揺るがす機能を明確に担っています。またおそれとおののきといえばキルケゴールの著作ですが、彼の別著『死に至る病』には「人間は有限性と無限性との、永遠的なるものと時間的なるものとの、自由と必然との、綜合である」との一文があり、この無限性という概念が、有限的存在である人間からみたとき脱定型性としてしか認識されないのも興味ぶかいことです。さらに友人の死をめぐって、錯乱と理性のあわいに立ち尽くすこんな詩も忘れられません。

夢微之  白楽天

夜来携手夢同遊 晨起盈巾涙莫收
漳浦老身三度病 咸陽草樹八廻秋
君埋泉下泥銷骨 我寄人間雪満頭
阿衛韓郎相次去 夜台茫昧得知不


げんしんのゆめ   白楽天

よるはてとてを つなぎあい
あなたとあそぶ ゆめをみた
あさにめざめて はんかちで
ふけどなみだは とまらない

ショウホの ほとりで としをとり
さんどやまいを やしなった
カンヨウの きに くさばなに
はちどのあきが やってきた

あなたはよみを さまよって
ひきずるほねは どろのよう
わたしはひとの すがたして
ねんねんかみを しろくする

アウェイ ハンラン あいついで
かえらぬひとに なったけど
よみのせかいは もことして
だれのかおやら わからない

 題名の「微之」は白楽天の友人元稹の字。「阿衛」「韓郎」は元稹の近親者で発音は英訳に準じました。

 何かを切望し、夢や狂気とたわむれ、墜落する。墜落する先は死の世界のこともあれば生の世界のこともあるでしょう。しかしどちらの世界に墜落しても、羽ばたくものだけが負う傷がのこる点は変わらない。そしてまた、いつかその古傷が見知らぬ人の手の中で、かけがえのない断片として読まれるかもしれないことも。

白き夜のことばはこばとはばたかむ

 書くこと。それはぶるぶるとふるえつつ、もことした闇を羽ばたくこと。羽ばたいているときの言葉は、錯乱と理性とが和解したとても幸福な珍獣です。そうだ、今日サリヤ広場の露天で見つけたシュマン・デ・ダームの絵葉書を同封しますね。夜も更けましたので続きはまた。良い夢を。

小津夜景拝





【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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