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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第4回 辺境への誘惑(上) (須藤岳史より)


 お手紙ありがとうございます。溢れんばかりにいっぱいの無のお話、楽しく拝読しました。そして「無し」からの「梨」。 梨は大好物なのです。梨狩りというと朝ごはんを抜いて駆けつけるくらいに。

 オランダにも初夏の気配が漂い始めました。家の裏手のマロニエも青々とした葉を茂らせ、クロウタドリもちょくちょく遊びに来てその歌声を披露してくれます。この季節のオランダは控えめに言って最高です。天気が良いと人々のムードもよくなるのは世界共通でしょうか?

 先日はハーグのそばの砂丘地帯へ出かけてきました。ここはハーグの水源にもなっている場所で、豊かな緑ときれいな水が自慢です。様々な水生生物を観察できるのですが、この季節の主役はやはり何と言ってもおたまじゃくしです。塊のようになった群は、人が近づく気配を察すると散り散りなります。それぞれが重なり合ったり、一匹のおたまじゃくしとしてその存在感を見せつけたりと、見ていて飽きません。おたまじゃくしの名は音符の別名としても使われるように四分音符にそっくりで、まるで水中で音楽が鳴っているかのようでもあります。メロディーや和音を作ったり、独自の対位法を生み出したり。

 さて、あなたのお手紙にあったデュラスのインタビュー(お願いしていた海のお話!)、興味深く拝読しました。全体の文脈も不明ですし、またあなたがなぜ、一風変わったその箇所のみを覚えているのかがとても不思議でなりませんが、それはさておき、その言葉が、今を生きるあなた自身と新しい文脈で共生していることに、なんとも言えない感動を覚えます。言葉の「断片」、それは限定されているが故に自由なのですね。

 先日読んだ本でたまたま見つけたのですが、デュラスが海を見つめることについて書いている文章があります。デュラスはÉcrireというエッセイで「私が無に帰するまで海を眺めたのはトゥルーヴィル」と書いています。海に面したトゥルーヴィルでの生活はデュラスに少女時代に過ごしたインドシナの海を思い起こさせたに違いありません。プルーストの「見出された時」的に!

 さて、話を戻します。「断片」は失われた部分への想像を掻き立てると同時に、多義的な世界へ溶け出し続ける存在でもあります。全く異なる文脈で何かと結びつき、あらたな意味を獲得する。これは僕に「胴体のない鳥」を想像させます。そしてそれは、断片となってもまだ飛び続ける不吉さではなく、断片だからこそ飛翔できる遠き地平のまばゆさを思わせます。

 有と無の話ついでに、ふと思ったことを書きたいと思います。人間の認知活動の根源には「ないもの」を何かに代理させる働きがあります。言葉もそうですし、空に目を向けてみれば、形を変えながら毎夜やってくるあの月にも、古来より人は会えぬ友や恋人への思いを投影したものです。

 この心の働きは、不完全なもの、例えば欠けた月をもって、その完成形であり、恐らくはたどり着けないであろう完全なるものへの憧れを生み出しているのではないか? そんなことを時々考えます。この心の働きは芸術にも常に応用されていますね。例えば、岡倉天心は「故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる」と、茶室における不完全崇拝について書きました。

 そして、あるものとは反対に、ないもの、つまり暗示的なものには形がありません。形とは時間の痕跡であり、それが伸びていった限界点を示しているともいえます。そうしますと、形の外は非時間的な領域とも言えます。そんなことを考え出すと、有形無形のものが揺らぎ、溶け合い、漂いはじめます。あなたの大好きなクラゲのように。

(つづく)


【須藤岳史 Twitter】
https://twitter.com/Artssoy

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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