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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第3回 なしのたわむれ(下) (小津夜景より)


 それはそうと、日本では「梨」の語は不吉な音とされていたため和歌に詠まれることが稀で、「ありの実」という忌み言葉でもほとんど見かけません。片や狂歌は縁起など気にしないので、いくつも例を引くことができます。

  真つ白に咲け乱れしを雪かとぞ見ればそうでもなしの花なり  笑馴

 満開の梨花に遭遇したときの錯覚を、さらりとした一筆書き風に仕上げています。

  世の中は有無の二つをなしの木のいかに悟りてありのみの花  桃李園栗窓

 こちらは「世界における有と無とをいかにして認識するか」といった文言の中に「なしの木」と「ありの実」を織り込んだ一品。たわごとっぽく仕込んだ有と無に、粋な雑味が感じられます。それから、あの一休にも「有無空の歌」という梨の歌があります。

    有無空の歌
  ありのみと梨といふ字はかはれどもくふに二つの味はいはなし  一休宗純

 伴信友『動植名彙』より。ありのみと梨は、なるほど字は違う。しかし食べれば同じ味しかしない。「くふ」は「食う」と「空」の掛詞。有無空という壮大な主題と、けろりとした内容との落差がチャーミングです。


 ワインの話からずれて、長々と梨のことばかり書いてしまいました。実は書きたかったのはほんものの梨についてではなく、存在と無のほうだったのですけれど。とりわけ存在と無が、私にはたいして違わない味に思われることを語るつもりでした。だってそれらは――と、ここまで書いて、そういえばあなたからの手紙に「海の話が聞きたい」とあったことをはたと思い出しました。とりいそぎ、こんな話はいかがでしょうか。

 まだ私が京都の学生だったころ。ある日ELLEをひらいたら、マルグリット・デュラスのロング・インタビューが目に飛び込んできたことがありました。今となってはその全容を少しも思い出せないのですけれど、文中、唯一記憶している箇所があって、それは「あなたの書斎からは海が見えませんね」というインタビュアーの唐突な問いかけに対しデュラスが「私は一日中海を見ているような人間じゃないわ」と答えていたことです。

 それを読んだ当時の私は「なんなの、この奇妙なやりとり。まさか海が実存の本質に関わるとでもいうわけ?」と、これっぽっちもその意味を解さなかった。だから、あれから四半世紀の歳月を経て、いつのまにか自分が海ばかり眺めている人間になってしまったことに深く驚いています。なるほど、あれはこういうことだったんだと。

 さらにあなたは「音が意味に変わってしまう瞬間がある」とも書いていましたね。意味とは意識に関わるものですが、西洋の伝統的文脈に則るならば、音なる声の受容ならびに光なる意識の発現という両軸の織りなす座標は、一個の主体を実現するアルケーとみなされます。ただ、この座標はかなめのゆるい扇に似て思いのほか危うく、「声と、意識と、私」はいつでもずれにさらされている、たとえばこんなふうに。

  海鼠なまこ踏んだらトウキョウと音がした  倉本朝世

 〈トウ〉や〈キョウ〉といった音は、ものを踏んだときの擬音描写としてさほど風変わりではないでしょう。なのにこれを読むと、人は〈トウキョウ〉から東京を思い浮かべてしまい、〈海鼠〉から〈東京〉までの飛躍に不条理を感じてしまう。つまり〈トウキョウ〉なる音の表象から意味らしきものが発作的にはみ出すことで、それを意識した(すなわち自分の声を聞いた)主体の安定が破綻するのです。これは「声と、意識と、私」の関係においてわりあい起こりやすい種類のずれかと思います。しかしこの句でもっと重要なのは、倉本自身が〈トウキョウ〉を東京とは決して書かないことで音と意味とのあいだに留まりつづけている――それはきわめて言葉派の柳人らしい態度なのですが――点です。

 海の話にもどると、そこにいるときの私は、音と意味とのあいだに留まっているような気分に近いのです。感覚と意識とのかなめがふっとゆるむ、というか。私の中の「感じる人」と「考える人」が空と海の果てしなさに興奮し、てんでばらばらな方向にわっと駆け出して、互いから遠慮なく遠ざかりつつもたわむれている、というか。

 私という一個の座標がほどけるとき、彼らはこの上なく無と親しい。

 からっぽの世界の、いっぱいの無。空と海をうずめる、その圧倒的な物質感。

 とはいえ、はたから見ると、私はみじんも無ではない。そのことは、もちろん私も知っています。

  なきひとはひかりをとほしゐたりけりこのわたくしはひかりをかへす  小池純代

 おいしい梨。むつまじい無。もしもいつかあなたにお会いすることがあれば、海の見えるレストランでそんな話をしたいですね。

小津夜景拝


【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/


(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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