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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第2回 耳は意味を探してしまう(下) (須藤岳史より)


 それから、紀野恵の〈ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条がある空〉という歌も素敵です。
 最初の「ことり」というのは物音です。その物音が動きを表す動詞を連れてきます。物音がオノマトペとなった時、つまり一つの意味を代理する言葉として世界へと放り出された時、それはあらゆる意味が堆積する水底となり、その意味の堆積は思いを引き出す鍵となります。この「ことり」という、まるで無から生まれた有のような音(の代理)が「思い」のトリガーとなっていることに、とても心惹かれます。

 音といえば、先日、ニューヨーク州サウス・セーラムのオオカミ保護センターが投稿した、オオカミの遠吠えの声がとても印象的でした。僕は音楽を生業のひとつとしていますが、もっとも興味があるのは曲よりも音それ自体、そして声です。名前は書き付けでもしないとなかなか覚えられないのですが、声はだいたい一度で覚えてしまいます。だから、電話がきてもたいてい最初の「もしもし」あるいは「ハロー」で誰からかかってきたかわかります。それはさておき、このオオカミの声が凄くて、あらゆる音楽や言葉を超えていたのです。それはまるで、遠い昔、人間が言葉を獲得したその瞬間の最初の一声、漠とした深淵から、この世界の光と同化するかのように発せられた空を切り裂く衝撃、言葉の意味分節の汀に打ち寄せては砕ける波のような何かが、その起源を辿るというやり方ではなく、目の前で新しいものとしてまさに生まれ出るかのような響きでもって、意味や無意味やその他のあらゆるものを飲み込んだ音声おんじょうとして襲来する。その豊かさにさらわれて、まるで時間の外に出てしまったかのような気分になりました。そこであらためて思ったのです。音楽って、そしてその根幹をなす音っていったいなんなんだろう? と。

 ついでに、もうひとつ音の話を。僕の住む街にはたくさんの野鳥が生息していて、裏手のバルコニーの目の前のマロニエの巨木にもたくさんの鳥たちがやってきます。樹上で大合唱する鳥たちのポリフォニーに耳をすましていると、面白いことに気がつきます。やり方はこんな感じです。まずは音楽を聞くときのように各声部の線を見つけます。十を数えるあたりからは、個々の線が少し曖昧になってくるものの、不思議なことにそれらを聞き取ることができます。音楽もまた、多くの旋律が同時になっていても聞き取れます。声部間の関係が何かを生むから。たいして、多くの人が同時に話すと何を言っているのか聞こえなくなります。耳が意味を探してしまうから。鳥たちのポリフォニーはちょうどその中間にあるような気がしてならないのです。 分節と未分節の汀。そこで遊ぶ鳥。そういうイメージが思い浮かびます。

 そんなときにもまた、最初の方に書いた「ヒトの耳は意味を探してしまう」ということについて考えてしまうのです。そして、意味の汀にあるもの、意味として形をとりそうでいて、同時に意味の生成を阻止する働きも含んでいる漠としたもの、そういったものに心が騒ぐのです。

 そういえば、先日、あなたのブログで「私に言葉を与えてくれるのは海である」というようなことを読みました。もう少し海の話が聞きたいです。

須藤岳史拝


【須藤岳史 Twitter】
https://twitter.com/Artssoy

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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