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かもめアカデミー
パリ、40年ぶりの文学紀行 エンタメ水先案内人
仲野マリ
最終回(上) イリエ=コンブレーの方へ

【作品】『失われた時を求めて』/マルセル・プルースト


【場所】コンブレーの鐘塔(サン・ジャック教会)



 今回のフランス行きの最大の目的は、イリエ=コンブレー再訪です。プルーストの長編小説『失われた時を求めて』に出てくる「コンブレー」という町のモデルとなった地。40年前、私はイリエが「シャルトルの近くにある」ということ以外は何も知らないまま、フランスに来てしまいました。
 パリの南西にあるシャルトルは大聖堂で有名な町ですが、その「近く」と言っても列車でどのくらいかかるのか、その町にあるはずのプルースト記念館が駅から歩いて行ける距離にあるかどうか、見当もつきません。運転もできないのによく調べもせず、とりあえずパリまで行けばわかるだろうと思っていた私。インターネットのない時代、今考えると甚だ無謀な海外旅行でした。

 たった6日の滞在期間に町の位置を特定し、最終的に目的地にたどり着けたのは本当に幸運でしたが、日帰りのためイリエ滞在時間はたったの3時間。2度目となる今度こそ、町の隅々まで味わい尽くすぞ!

「イリエ」を呑み込んだ「コンブレー」
 小説家のマルセル・プルーストは、幼いころ毎年のようにイリエを訪れていました。父親の姉に当たるエリザベス・アミヨーの家に行くためです。ここが『失われた時を求めて』では重要な場所となる「レオニ叔母の家」のモデル。この家だけでなく、「タンソンヴィルの方」へ通ずる道、その途中にある「プレ・カトラン」という庭園や、幾度も登場する町の教会の佇まいなど、この町のあちこちに小説の描写が現存するため、町まるごとが聖地!シャルトルから西へ20キロに位置し、パリから電車で約2時間半のこの町は、プルースチアン(*1)なら一度は訪れたい場所なのです。

 パリの南西玄関駅・モンパルナスを出発した列車は、私を乗せて豊かな田園風景を突っ切って行きます。車窓一面に、菜の花の黄色と草原の緑。シャルトル駅でローカル電車に乗り換えますが、40年前はオンボロ鈍行列車だった車両も、今はモダンにリニューアルされて窓も大きく、乗り心地は最高です。
 でも到着したイリエ=コンブレーは、驚くほど変わっていませんでした。人気のない、鄙びた小さな駅。駅前の広場も、それに続くメインストリートも、佇まいは昔の面影のままです。

 かつて「イリエ」といったこの町は、プルーストの小説のおかげで世界的に有名な聖地巡礼スポットとなり、プルースト生誕100年である1971年を機に正式に町名を変更、「イリエ=コンブレー」という名前になりました。ついにフィクションがリアルを呑み込んだ形です。私が初めて訪れた1979年は、イリエがコンブレーになってまだ10年経っていなかった……そんなことを考えながら見覚えのある道を歩いていると、教会の鐘の音が聞こえてきました。

町の中心は教会
 「サン・ティレールの鐘塔は、コンブレーがまだあらわれないうちにその忘れられない姿を地平線に刻み込んでおり、はるか遠方からでも見分けることができた。復活祭の週に私たちをパリから運んでゆく列車の窓から、この鐘塔が、その鉄製の小さな雄鶏を四方八方にぐるぐる廻しながら空に描かれた雲の畝を次々と移ってゆくのを見ると、父は私たちに言うのだった、『さあ、膝掛けをしまいなさい。もう着いたんだよ』」(*2)

 フランスの多くの田舎町がそうであるように、イリエ=コンブレーも、町の中心は教会です。見覚えのあるサン・ジャック教会の鐘塔が、駅から少し歩くと家並みを突き抜けるようにして、すぐに目に飛び込んできました。その時、「カーン、カーン」と素朴な鐘の音が鳴り出し、私は引き寄せられるように教会前の広場へ。人々がどんどん教会の中へと入っていきます。鐘は正午のミサを知らせる合図でした。

 この町を訪れた4月15日、それを狙って来たわけではありませんが、偶然にも復活祭の日曜だったのです。フランスではどの教会でも特別なミサが行われる日。そのミサが始まる直前に来られたなんて! 前に来た時は、パリからの日帰りだったため時間がなく、教会も広場に立ち寄って外から眺めるのが精いっぱいでした。今回はシャルトルに泊まるので、時間を気にせずじっくり回ることができます。せっかくなので教会に入り、隅の方でミサに同席させていただくことにしました。

ロビン・ウィリアムス似の司祭に案内される
 前述の引用にあるように、「復活祭」は小説の中でもキーワード。プルーストはまさにこの季節、イリエを訪れていました。日本人がお盆に田舎に帰るような感じでしょうか。ミサの始まりに、司祭は十字架を掲げた少年達とともに堂内をぐるっと回ります。私は信者でもないし、ましてや檀家でもない。ここにいていいのか?と思いつつの参加ですから少し不安。目をつけられて「ご遠慮ください」って言われるかなー?

 すると司祭さん、隅の方にいた私を目ざとく見つけました。そして「どこから来ましたか?」「プルーストが好きだから?」「時間があるなら案内するから、ミサが終わっても帰らないで」と矢継ぎ早におっしゃるではないですか! 「はい」とは答えたものの呆然とする私を置いて、司祭さんは子どもたちとともに、また祭壇の方に戻って行かれました。

 カトリックのミサの一部始終を見るのは初めてです。斉唱でメロディを歌う聖歌は、短調と長調が入り混じる中世的な響き。そうかと思えば流行歌のようなメロディがひょっこり顔を出し、興味深く聞き入りました。お説教ではその時フランスがシリア攻撃に参加したニュースに触れ、クリスチャンとしてどうあるべきかよく考えよう、と話されたのが印象的でした。信仰が「今」を生きている証拠ですね。
 ミサが終わると司祭さんは「Venez, Venez!(いらっしゃい)」と司祭の部屋に呼び入れてくれました。親しみやすい笑顔の彼は、ロビン・ウィリアムス似。脱いだ法衣の模様の説明をすると部屋を出て、今度は上の階に通じる狭いらせん階段へといざないます。


 教会のらせん階段はパリのノートルダム寺院でものぼりましたが、あちらは大聖堂で観光のための整備も十分。それに比べ、こちらは田舎の小さな教会です。石段は磨り減っているし狭いし、最後は急な木のハシゴ。足を踏み外さないかヒヤヒヤしながらたどり着いた吹き抜けの3階から眺める天井画や薔薇窓は、本当に素晴らしかった!
 パリでたくさんの教会内部を見てきたけれど、イリエのサン・ジャック教会の内部は木造で、これまでに見たことのないものでした。天井の羽目板一本一本が全部、聖人画で埋め尽くされているのです! 横の梁も装飾されており、三階は、それらを間近に見ることができる特等席でした。だから案内してくれたんですね。

親切に説明をしてくれた司祭さん

 司祭さんは正面に見える祭壇の上部のステンドグラスを指差しながら、5人の聖人の名前と彼らの業績をそれぞれ丁寧に説明します。この町を開いた人や、ジャンヌ・ダルクと関わりがある聖者もいる中に、この教会の名前である「サン・ジャック(Saint Jacque)=聖ヤコブ」と、この教会をモデルにした小説の中の教会の名「サン・ティレール(Saint Hilaire)=聖イレール」」が含まれていることがわかりました。

 司祭さんは1階に降りた後、祭壇に向かって左側後ろの席を私に示しました。
 「ここが幼いプルースト少年が座っていた席ですよ」
 私が嬉々として座ったのは、いうまでもありません! ちゃんとプレートも付けてありました。プルーストのファンは、皆ここに座っては、ほっこりとほほえむのでしょう。(つづく)


(*1)プルーストの作品を愛する愛読者、研究家のことを「プルースチアン」(女性の場合は「プルースチエンヌ」と呼ぶ。
(*2)引用は、集英社・鈴木道彦個人全訳決定版『失われた時を求めて』全13巻の第1巻『失われた時を求めて <Ⅰ> 第1篇―スワン家の方へ』第一部「コンブレー」(1996年9月発行)より。



(写真提供:仲野マリ)

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http://www.nakanomari.net

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【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。
 2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)「同性愛の至福と絶望-AMP版『白鳥の湖』をプルースト世界から読み解く」で佳作入賞。日本劇作家協会会員。『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラムhttp://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01)、雑誌『月刊スカパー!』でコラム「舞台のミカタ」をそれぞれ連載中。
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