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かもめアカデミー
パリ、40年ぶりの文学紀行 エンタメ水先案内人
仲野マリ
第3回(下) 劇場の光と影、そして“怪人”の正体とは?

【作品】『オペラ座の怪人』/ガストン・ルルー


【場所】オペラ座ガルニエ宮



 歴史的建築物は、タイムカプセルのようなもの。その建物が当時の人々の人生を私たちに教えてくれます。フランスの栄光を形にしたかのごときパリのオペラ座にもあった、「影」の部分。そこから『オペラ座の怪人』に託された思いが見えてきます。

「見られる」を最大限に演出した空間
 40年前、オペラ座を素通りしてしまった私。今回は必ずオペラ座でバレエを観るぞ!と意気込んでいたものの、プログラム日程とスケジュールが合わず、公演以外の時間に開催されるガイド付き劇場内見学ツアー(*1)に参加しました。

大階段。一段一段が直線ではなく、優雅な曲線になっている

 まず目に飛び込んでくるのが、大階段。ミュージカル『オペラ座の怪人』には、仮面舞踏会に集う人々がきらびやかな衣装で集合し、「マスカレード!」の大合唱から始まる歌を熱唱する場面があります。まさにその場所に自分が立っている不思議! 周りの壁という壁、柱という柱が色とりどりの大理石彫像に飾られた空間は万華鏡のようで、ただただ目を見張るばかり。
 とりわけグラン・フォワイエ(大ロビー)には圧倒されました。ヴェルサイユ宮殿の鏡の間や、ルーブル宮(現・ルーブル美術館)に残るナポレオン三世の間に、勝るとも劣らないゴージャス感。オペラやバレエを観るためだけに、ここまで贅を尽くす必要ある?と思ってしまうほど。


ボックス席は「見られる席」。1階席からよく見える

 それもそのはず、19世紀半ばにこの劇場を建てられたこの劇場、デザインコンセプトは「観るための空間」ではなく「見られるための空間」だったのです。つまり、劇場の「主役」はステージ上の歌手やダンサーではなく、社交界の紳士淑女! 観客席の色をワインレッドのビロードとゴールドの組み合わせにしたのも、貴婦人たちの肌や身につけた宝石が最も美しく輝いて見えるよう、宝石箱をヒントに考案されたのだとか。
 着飾ったご婦人たちはこのグラン・フォワイエに集って、今日は誰が誰を連れてやってきた、誰が誰に話しかけた、あの人とは目も交わさなかった、などなど、政界財界そして花柳界のゴシップに花を咲かせていたのでしょう。


劇場のもう一つの顔

絢爛豪華なグラン・フォワイエ(大ロビー)

 このように贅を尽くしたオペラ座は、1860年にナポレオン三世のもとで着工し、完成は1875年。その間に普仏戦争(1870)、ナポレオン三世の亡命、第三共和制の発足に至る内戦(*2)もあり、激動の15年。建築途中のオペラ座はパリ中心部にある地上5階地下5階規模の大建築物として、戦争中は武器弾薬や食料備蓄に使われ、内戦時は迷路のような地下通路に潜む者も。地下水が吹き上げるため、地下貯水池を作って対処するなど工事自体も難航の連続でした。
 地上部分が新しい光溢れる希望と未来の象徴であるとするなら、地下部分には、そこに至る負の記憶の一切合切が封印されているようにも思えてなりません。

 フランス人ガストン・ルルーが著した原作が新聞小説として発表されたのは、1909年。ベル・エポック華やかなりし栄光のパリ、栄光のフランスを享受しながらも、戦争の記憶は人々の内に生々しい時期。死んでいった身内や知り合い、発展の裏で打ち捨てられた人々を忘れることのできない気持ちが、「オペラ座に怪人が潜んでいる」「地下に通じる迷路がある」「地下に湖があって外の通りに通じている」などの設定により、一層の信憑性と共感を与えたのでしょう。
 「醜い顔を隠すため、仮面をかぶって暮らす世捨て人」を、戦争でひどい怪我を負った知り合いと重ね合せる読者もいたかもしれません。


“怪人”はアンドリュー自身?
 では1965年に発表されたミュージカル『オペラ座の怪人』において、イギリス人のアンドリューは、この「怪人」に何を重ねたのでしょうか。
 音楽の才能に恵まれながらも、「醜い」顔であることから外の世界から断絶し、オペラ座の地下で孤独に生きていた男。彼の楽しみは、作曲。そして、たまには密かに5番ボックスに出向き、毎夜奏でられる音楽に耳を傾け、今日の演奏は上出来だ、いやあいつの声は最低だ、などと思っていたことでしょう。

 そんな時、彼の目と耳を引きつけたのが、クリスチーヌでした。今は未熟だけれど、磨けば光るダイヤの原石! 「俺が導けば、最高の歌手になれる!」――怪人の人生に、初めて光が射し込んだ瞬間です。
 クリスチーヌは楽屋の壁の中から聞こえる怪人の声を、亡き父親が自分に遣わした音楽の天使(エンジェル・オブ・ミュージック)だと信じ、才能を開花させて天国から降り注ぐような清廉な歌声を獲得。オペラ座のセンターで堂々と歌い上げるチャンスを得ます。

どの石像も石が持つ本来の色を生かして作られている

 現実でも、これを彷彿とさせるようなことがありました。アンドリューと、最初のクリスチーヌ役の一人(*3)サラ・ブライトマンの関係です。『オペラ座の怪人』公演を前に、アンドリューは自分の別荘に関係者を集め、舞台装置などを小規模にしたプレ公演を開催しました。彼がクリスチーヌ役に抜擢したサラ・ブライトマンは、当時無名。痩せっぽちのサラはまさに「小娘」で、おどおどと舞台の袖から現れ、並居る大物たちに紹介されても笑顔も出ないほどの緊張だったと言います。
 けれど歌い始めた途端、そこに「クリスチーヌ」が現れる! ……クリスチーヌが一夜の代役によってプリマになったように、サラもまた、この日の成功によってスターダムの階段を上り始めたのでした。

 師弟だったアンドリューとサラはやがて恋愛関係となり、結婚。サラというディーヴァに恵まれ、アンドリューの創作はいよいよ輝きを放ったといってもいいでしょう。しかしこの男女は、やがて袂を分かちます。


「なりたい自分」を求める心と手放す心
 先生につき従っていた小娘が、いつしか自我に目覚め、巣立ちの時を迎える――少し年の離れたカップルでは、よくある話かもしれません。2人が別れた理由がなんであれ、その後サラは「世界の歌姫」として活動範囲を大きく広げ、生き生きと羽ばたいていきます。
 サラとの離婚に応じた時、アンドリューの胸には何がよぎったのでしょう。彼女を自分が作り上げた最高の“作品”として世に送り出す気分だったのか、それとも、なくなるはずがないと思っていた愛がもぎ取られていく痛みだったか……。

 物語の最後、怪人はクリスチーヌが自分ではなくラウルを愛していることを認め、彼女が望む彼女の幸せを与えます。愛する女性に愛される自らの幸せを、血を吐く思いで手放したのです。
 人間には誰にでも「人の役に立ちたい」と言う願望があるといいます。一人孤独に生きていくだけでは得られなかった喜びが、彼に今までにないエネルギーを与え、「どうせ俺は愛されない」という諦めは、「こんな俺でも愛されたい」という願いに変わっていきます。
 けれど、人を愛し、その人の役に立ったとしても、その見返りに、必ず自分が愛されるわけではない。そういう現実は、誰の人生にも起こりうる。だからこそ怪人が殺人者で恐喝者、かつ拉致誘拐犯でありながら、私たちは彼の喜びにも悲しみにも感情移入することができるのでしょう。

クリスチーヌは何を手放したか
 こうしてクリスチーヌとラウルは結ばれました。ミュージカルでは2人が添い遂げたことが暗示されています。原作でも2人が社交界を離れパリを離れ、小さな田舎町でひっそりと結婚式を挙げたとあり、2人の愛は最高の結末を迎えた……はずですが、私にはどうしても、気にかかることがありました。
 彼女にはオペラ座を揺るがすほどの才能があったはず。その才能はどこへ? 

 ラウルにとって “怪人”は、恋人を奪おうとする危険なストーカー男でした。怪人との一騎打ちに勝つまで、彼は決して「クリスチーヌ、お前を愛してる!死んでも離さない!」のスタンスを変えません。ここで思い出していただきたいのが「怪人」の別名「エンジェル・オブ・ミュージック」です。ラウルとクリスチーヌの間に割り込み、彼に嫉妬心を燃やさせた恋敵とは、生身の男性ではなく、芸術の殿堂オペラ座の魔力に引き寄せられた、夥しい音楽家たちの魂、「音楽の道」そのものだった、とも考えられます。
 音楽の道。彼女には、人生を捧げるに足る選択肢がたしかにもう一つあった。でも彼女が魂込めて築いた歌手としてのキャリアは、結婚と同時に完全に閉じられたのです。

オペラ座から望む広場とその先のルーブル美術館

 好きな人と一緒になるために、自分の夢をあきらめるのは当然のことでしょうか。誰にでも「なりたい自分」がある。それは男性でも女性でも同じです。でも愛する女性を「私のものだ」「私が守る」と当然のように決めつける男たちにとって、この真実は容易には受け入れられないものなのかもしれません。

 『オペラ座の怪人』で、多くの女性がラウルより怪人に魅力を感じるのは、怪人が最後にたどり着いた、愛する女性の意志を尊重する愛のかたちに感銘を受けるとともに、クリスチーヌもまた、愛と引き換えにもう一つの人生を手放している、その切なさを、後ろ髪引かれる思いを、自らのこととして体感するからではないでしょうか。
 結婚後、クリスチーヌの人生がラウルとの愛にあふれ、そしてプロにはならなかったとしても、音楽とともにあったことを願わずにはいられません。



(*1)オペラ座は、公演のない時間帯に建物内を見学できるチケットを発売している。自由見学のほか、ガイド付きツアー(英語またはフランス語)もある。見学の時間帯は、ミュージカルに出てくる「5番ボックス」に通じる廊下に立ち入れないことが多い。

(*2)市民の不満からナポレオン3世の帝政を打ち倒したパリ・コミューンは、内戦の末、一時は人民自治政府を打ち立てるが孤立し、数ヶ月で瓦解、殲滅される。この内戦で数万の命が失われた。

(*3)初演のクリスチーヌ役は、サラ・ブライトマンとクレア・ムーアのダブルキャストだった。



(写真提供:仲野マリ)

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http://www.nakanomari.net

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【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。
 2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)「同性愛の至福と絶望-AMP版『白鳥の湖』をプルースト世界から読み解く」で佳作入賞。日本劇作家協会会員。『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラムhttp://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01)、雑誌『月刊スカパー!』でコラム「舞台のミカタ」をそれぞれ連載中。
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