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かもめアカデミー
パリ、40年ぶりの文学紀行 エンタメ水先案内人
仲野マリ
第3回(上) ミュージカルになったオペラの殿堂

【作品】『オペラ座の怪人』/ガストン・ルルー


【場所】オペラ座ガルニエ宮



 パリ・オペラ座、ガルニエ宮の正面玄関前。金色のミューズ像が青空に映える伽藍は神殿のごとき荘厳な佇まい。それでいて華やかな雰囲気をまとい、この前に立つとそれだけで胸が震えます!………でもそれは、今の感動。40年前の私は、まったく違っていました。

オペラ座を素通りした苦い思い出

オペラ座正面

 初めての海外旅行、初めてのパリでツアーに付いている半日観光の途中、「1時間の自由行動」と言われてバスを下りたのは、とある広場。「あれがオペラ座」と言う声に、ちらっとは見たけれど、バカな私は「オペラには興味がないの」と素通りしてしまったのです! あの灰色の石の建物の中に、ルーブル宮に勝るとも劣らぬ豪華絢爛なロビーがあることも、客席から見上げればシャガールの天井画があることも、当時の私はまっっっっったく知らなかった!(泣)

 やがてクラシックバレエを観るようになると、パリ・オペラ座は憧れの劇場となります。オペラ座バレエ団の素晴らしさ! 「オペラ座」ではオペラだけではなくバレエもやることや、オペラの中にはよくバレエの場面が挟まれることも、その頃ようやく知りました。さらに建物の豪華さや歴史、華やかな雰囲気と、どんどんオペラ座に惹きつけられていく私。あの時なぜ、背を向けてしまったのか? なぜ実物を見ておかなかった? 後悔先に立たずとはまさにこのことです。1979年、冬のことでした。

 その7年後、アンドリュー・ロイド・ウェーバー(*1)がミュージカル『オペラ座の怪人』をこの世に送り出します。このオペラ座をめぐる物語に心底魂を奪われ、DVDは言うに及ばず原作小説から楽譜まで買ってしまう人生が待っていることなど、当時の私には知る由もありません。


ミュージカル『オペラ座の怪人』はなぜ“凄い”?

ミュージカル『オペラ座の怪人』楽譜表紙

 「オペラ座」と聞いてミュージカル『オペラ座の怪人』(*2)を真っ先に連想する人、多いと思います。パイプオルガンによる「🎶ジャーン、ジャジャジャジャジャジャーン、ジャジャジャジャジャーン……」というおどろおどろしいオーヴァチュア(=序曲、オープニングの音楽)、豪華な巨大シャンデリアが客席に向けて落ちてくる大迫力シーン、黒の燕尾服に白い仮面と赤いバラ……。

 この作品は1986年にイギリスで発表されて以来、現在も世界中でロングランを続け、2004年には映画にもなっています。日本では1988年に劇団四季が初上演。「劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい」のキャッチフレーズは、オーヴァチュアとともに当時よくテレビから聞こえてきました。

 数あるミュージカルの名作の中でも、『オペラ座の怪人』は特別だと私は考えています。圧倒的な楽曲の完成度。すべての楽曲が美しく、音楽の殿堂オペラ座に捧げた、と言っても過言ではありません。オペラ座を舞台にミュージカルを作ることは、敢えて申し上げれば「能楽堂殺人事件」のようなお話のドラマ化にたとえられるでしょう。もし、その中で能楽師を演じる俳優がまともに能を舞えなければ、物語の世界観や品格は崩れ去ってしまいますよね。

 アンドリュー版『オペラ座の怪人』がミュージカルファンにもオペラファンにも愛されるのは、現実に存在するオペラ座という芸術の最高峰を題材に、決してその「本物観」をゆるがせにしなかった音楽性の高さがあればこそではないでしょうか。
 

原作はミステリー
 原作はガストン・ルルーの幻想ミステリー小説です。オペラ座の地下階深くに棲む「怪人」は、オペラ座の「主」として歴代の支配人に「5番のボックスシート」(*3)を自分のために差し出すことを求め、「もし他人が座ろうものなら恐ろしいことが起きる」と脅す手紙を送りつけます。

怪人のための5番のボックスシートは、ひときわ豪華なインペリアルシートの隣にある

 そんな「怪人」が、若く美しいオペラ歌手クリスチーヌの才能に惚れ、愛し、自分のものにしたいと願って拉致。するとオペラ座のバレエダンサーのパトロン・フィリップ伯爵の弟で、自らも子爵という身分のラウルが、彼女を救出すべくオペラ座の地下迷路に突入します。
 彼にとって、クリスチーヌは少年時代にスウェーデンの田舎町で出会った初恋の相手。再会を機に恋心は再燃、巨大万華鏡のごとき密室拷問部屋、地下湖に引き込まれるなど次から次へと襲いかかる仕掛けをくぐり抜け、命を賭けて怪人と対決する、という物語です。

 小説では怪人と対決するのはラウルだけでなく、謎のペルシャ人が協力し、オペラ座の支配人や捜査に加わった警部が真犯人を取り違えるなど、推理と種明かしに多くのページを費やしています。アンドリュー・ロイド・ウェーバー(以後、アンドリュー)はこの「推理小説臭」を全てカット! さらに怪人についてもなぜオペラ座にいるのか、その経歴を原作ほど詳しくたどりません。
 実の親にさえ一度もキスされたことがなく、「醜さ」へのトラウマを抱えて生きてきた彼の苦しみだけにフォーカスし、ただただ音楽と愛に特化して物語を紡いでいきました。


ベテランvs新星の一騎打ちが胸に迫る
 アンドリュー版の歌はどれもドラマチックでメロディーは覚えやすく、観客の耳に馴染みやすい一方、歌う側にとっては音域幅が広く手ごわい楽曲ばかり。設定は「オペラ座の歌手」ですから、最高レベルの技量で軽々と歌わなければ役に説得力が生まれないというもの。その意味で、オペラ座の看板歌手・カルロッタを演じ、劇中劇として本物のオペラ曲も歌う女優の実力は、舞台の出来を大きく左右すると言えるでしょう。

天井画とシャンデリア(現在)。天井画がシャガールの絵になったのは1964年

 彼女は「舞台出演を休め」という怪人からの手紙を無視して出た公演中、突然カエルのような声になってしまいます。この場面があるため、ともすればコメディリリーフ的な役回りだけの人間と写る向きもありますが、彼女が大プリマの名にふさわしい声量と音域で堂々たるアリアを披露してこそ、その後に登場するクリスチーヌがいよいよ輝くのです。
 カルロッタの爛熟した芸より、クリスチーヌの真珠をころがすような、清く瑞々しい声に観客が息をのむ! その瞬間が厳然と描かれているからこそ、この物語にリアリティが生まれます。決して「カエルみたいな声」で失脚したのではありません。

 どんな名優にも「旬」があり、いつか「伸び盛り」の新星が出現し、気がつけば王座を譲らねばならない--それはどんな芸術にもあてはまる法則ではないでしょうか。その意味で力量を問われるのは、クリスチーヌを演じる歌手も同じ。ベテラン歌手を脅かす新風が、物語の中だけでなくそれを演じるミュージカル歌手にも感じられなければ、これまた成立しない舞台なのです。
 残酷な世代交代の摂理。芸術の殿堂とも言えるパリ・オペラ座を舞台に、芸術を追求する者たちの姿を真摯に描ききったからこそ、彼の「オペラ」「オペラ座」に対するリスペクト、ただのミュージカルでは終わらせない意欲と理想が、名作を世に残したのです。(つづく)



(*1)イギリスの作曲家アンドリュー・ロイド・ウェーバーは、多くの人気ミュージカルを世に送り出している。特に作詞家ティム・ライスとコンビを組んだ『キャッツ』『ジーザス・クライスト・スーパースター』『エビータ』などは、劇団四季でもロングラン公演を繰り返す人気の作品。

(*2)アンドリュー版の前に、ケン・ヒルが演出したミュージカル『オペラ座の怪人』も存在する。アンドリューもこのケン・ヒル版を観てインスパイアされた。ケン・ヒル版のストーリーは原作により忠実で、使う音楽も『ラザロの復活』『ロミオとジュリエット』など、原作に示されているとおりにクラシック音楽の名曲を使っている。

(*3)日本の劇場でいう1階席は「オーケストラ席」と呼び、2階席は全て仕切があるボックス席。下手(舞台に向かって左側)にあるひときわ大きいのが皇帝専用ボックス(現在は大統領などが使用)で、その隣、円柱と円柱に挟まったボックスが、怪人が要求した5番ボックス(現在は3番ボックスとなっている)。


(写真提供:仲野マリ)

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http://www.nakanomari.net

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【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。
 2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)「同性愛の至福と絶望-AMP版『白鳥の湖』をプルースト世界から読み解く」で佳作入賞。日本劇作家協会会員。『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラムhttp://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01)、雑誌『月刊スカパー!』でコラム「舞台のミカタ」をそれぞれ連載中。
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