× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 新刊・既刊案内 お問い合せ
かもめアカデミー
パリ、40年ぶりの文学紀行 エンタメ水先案内人
仲野マリ
第2回(上) ジャン・バルジャンが潜入したパリ

【作品】『レ・ミゼラブル』/ヴィクトル・ユゴー


【場所】フィリップ・オーギュストの城壁



パリは城壁に囲まれていた
 パリはセーヌ川の中洲・シテ島を中心に発展してきました。「シテ=cite」とは、英語のcity=都市であり、その語源は「城塞」。つまり「都市」とは、城壁で囲まれた町を指すのです。でも今は「壁」などありませんよね。パリは時代を経るにつれて膨張し、そのたびに新たな城壁を作っては、古い城壁(*)を壊しています。

 城壁を壊した跡は「ブールヴァール(Boulevard)」という名の大通りになりました。Boulevardとは城壁の上を歩く通路のこと。中国の万里の長城に行ったことのある人は、きっと長城の上を歩いたと思いますが、その時歩いた道が、まさに本来の「Boulevard」なのです。後に、パリを囲む環状道路を新設するときは、城壁跡でなくても「Boulevard」と名付けられるようになりました。現在パリを囲む一番大きな環状線は無料高速道路のすぐ内側にあり、そこにはトラム(路面電車)も走っています。

現在は高校の運動場の壁となっている「フィリップ・オーギュストの城壁」の一部

 一部でも現存する壁として最古のものは、13世紀初頭までに作られた「フィリップ・オーギュストの城壁(*)」です。右岸(セーヌ川の北側)のマレ地区、聖ポール寺院裏のシャルルマーニュ通りを行くと、石組みが高校の運動場の壁となって今もそびえ立っている光景に遭遇。物見のような丸い塔部分もあり、中世の城壁らしさを感じさせます。

 なぜ私がこんなにも「壁」にこだわるのかというと、2012年公開のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』で、主人公のジャン・バルジャンがパリの城壁をよじ登るシーンに、心を惹かれたのがきっかけでした。そのとき強く感じたのは、パリという町が、「壁」の中にいる人々に対しては守りが堅く、外から入ろうとする人には厳しい場所だということです。

ジャン・バルジャンが越えた壁
 ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』はジャン・バルジャンを中心に、19世紀前半のフランスにおける虐げられた人々、不遇な人々、あるいは世の中を変えようと立ち上がったものの無残に倒れた人々について、その生活や心情を丁寧に描いた長編小説です。

シャルルマーニュ通りの壁

 幼い頃、貧しさからパン一切れを盗んだだけなのに刑務所に入れられ、脱獄失敗を繰り返して17年も服役したジャン・バルジャン。出所後出会ったミリエル神父の親切によって改心し、マドレーヌと名前を変えて片田舎の市長にまでなりますが、刑務官だったジャベール刑事に素性を知られ、執拗に追いかけられます。逃亡生活を続けるジャン・バルジャンの心の支えとなるのが、孤児のコゼットでした。

 彼女の母親ファンティーヌは恋人に捨てられ未婚でコゼットを産んだ後、テナルディエ夫婦に預け8年間仕送りを続けますが、そのために娼婦にまで身を落とし、死んでいまいます。その臨終に立ち会ったジャン・バルジャンは彼女にコゼットの幸せを約束し、パリ郊外の町モンフェルメイユに向かいます。そこでコゼットは、預けた夫婦につらく当たられ、下働きとして最低の扱いを受けていました。


 映画の中にあった、逃避行が「壁」に阻まれるシーンは、夫婦に大金を渡してコゼットを引き取ったジャン・バルジャンが、ジャベールの追跡を受けながらなんとかパリへ入ろうとするくだりです。私は原作を読んでいましたが、そのときは、狭い通りに面した壁、どちらかというと家や建物を取り巻く背の高い塀のようなものを越えていくイメージでした。
 ところが映画では、それがどこまでも続く堅牢な城壁! ところどころに小さな門があり、その門にはジャベールの手下が見張っていて容易には通れません。そこで彼は垂直に切り立った城壁に手をかけ、爆発的な怪力でボルダリングをするように、上へ上へと城壁をよじ登っていくのでした。

 ジャン・バルジャンが命がけで越えた壁の片鱗が、パリのどこかにあるのではないか? 私は「壁」を探すことにしました。

「失われたパリ」のかけら

サン・マルタン門

 『レ・ミゼラブル』が書かれた19世紀半ばのパリは、半世紀のうちにフランス革命、七月革命、二月革命と内戦が繰り返され、政治体制も二転三転する激動の時代でした。今、私たちの知るパリは、戦後の東京が空襲の焼け野原の上につくられたように、昔の通りをなぎ倒し、区画整理を施して再開発をしたところも少なくないのです。それでも地名を頼りに、失われたかつての街並みを想像できる界隈もたくさん残っています。

 たとえばかつての城壁に沿って、サン・マルタン門、サン・ジャック門など、「門(ラ・ポルト)」がつく地名あるいは駅名がたくさんあります。それらのいくつかは、王の凱旋を讃えるためにつくられましたが、多くは通行税を徴収する税関であったり、あるいは不審者の入市を制限する検問所でした。

ナシオン広場(旧トローヌ広場)の円柱

 パリの東に位置するナシオン広場(フランス革命前の名は「トローヌ(王座)広場」)には、徴税のための施設が今も残っています。広場にそびえる二つの円柱の市内側に彫られた女神たちは、小麦の穂を持ち手を広げ、王に豊穣を約束しているけれど、その足元で庶民は通っただけで税金をとられ、前科があったりパスポートがなかったりすれば追い返され、ましてお尋ね者など、みすみす捕まりに行くようなものでした。

 では、ジャン・バルジャンはどこからパリに入ったのでしょうか。原作によると、モンフェルメイユでコゼットを引き取った後、まず北にあるモンソー門からパリに入り、馬車で市内を南北に突っ切ってセーヌ川も越え、対岸(リヴ・ゴーシュ=左岸=セーヌ川の南側)の南端、サン・ジャック門に近いさびれた貧民窟にいったん身を隠しています。ですから映画のように「パリに入るときに城壁を越えた」のではありません。「壁」を越えたのは、隠れ家を見つけられて再度パリの市内を逃げまどう最中ということになります。


ピクピュス修道院はどこか
 物語では、その「壁」の向こうは修道院の庭でした。「プティ・ピクピュス」と名付けられたこの修道院がどこに存在するのか、それはユゴー研究者やレ・ミゼラブル愛好家によってこれまでさまざまな研究がなされていますが、正確な答えは出ていません。
 「ピクピュス」という地名は右岸ナシオン広場の近くにあるけれど、克明に描かれた地形と一致する場所がないのです。多くのフィクションがそうであるように、実在の地名とフィクションとをないまぜにして、わざと特定できないようにしているのかもしれません。

 現在は左岸パンテオン近くの、修道院や教会のひしめく場所だと推定されています。そこは5世紀、パリをフン族の侵攻から守るための精神的支柱となったといわれる聖ジュヌヴィエヴゆかりの地であり、「オーギュスト・フィリップの城壁」によって守られたパリの心臓部でもあります。そして丘を南に下れば、ジャン・バルジャンが最初に身を隠したサン・ジャック門界隈も、目と鼻の先にあるではありませんか!

 私はパリ左岸の、地下鉄カルディナル・ルモワヌ駅に降り立ちました。少し坂になったクローヴィス通りをパンテオンに向かって上がっていった左側の、建物と建物の間に「壁」らしきものを発見! その堅固さ、厚み、高さ。ジャン・バルジャンとコゼットがパリの夜陰にまぎれ越えたのは、このあたりの壁だったのでしょうか?? この壁を越えて、無事ジャベールの手から逃れたのでしょうか?

 もちろん、ジャン・バルジャンもコゼットもジャベールも、フィクションの産物にすぎません。でもこの石積みの間にジャン・バルジャンの節くれだった指がかかり、超人的なエネルギーでコゼットを背負いつつ、一つ、また一つとつかんでは登っていったのではないか……。そんな光景を感じさせる野性味や迫力が、700年以上前につくられた城壁から溢れてきました。(つづく)

(*)13世紀につくられた「フィリップ・オーギュストの壁」が残存する最古。フィリップとは、フランス・カペー朝第7代王フィリップ2世(在位1180~1223)のこと。「オーギュスト」は「尊厳王」の称号。ほかに18世紀末フランス革命直前に作られた「徴税人の城壁」、1844年に完成した「ティエールの城壁」などが有名で、ティエールの壁は現在のパリ市域を囲む環状線と、ほぼ一致する。

(写真提供:仲野マリ)

【仲野マリ公式サイト「エンタメ水先案内人」】
http://www.nakanomari.net

※WEB連載原稿に加筆してまとめた単行本『恋と歌舞伎と女の事情』が(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)が好評発売中です。

※WEB連載「恋と歌舞伎と女の事情」はコチラをご覧ください。
※新刊発売を記念して開かれた著者・仲野マリさんとイラストレーター・いずみ朔庵さんのトークショーの模様はコチラをご覧ください。

ページの先頭へもどる
【なかの・まり】
1958年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒。演劇、映画ライター。歌舞伎・文楽をはじめ、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど年100本以上の舞台を観劇、歌舞伎俳優や宝塚トップ、舞踊家、演出家、落語家、ピアニストほかアーティストのインタビューや劇評を書く。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視したわかりやすい劇評に定評がある。2013年12月よりGINZA楽・学倶楽部で歌舞伎講座「女性の視点で読み直す歌舞伎」を開始。ほかに松竹シネマ歌舞伎の上映前解説など、歌舞伎を身近なエンタメとして楽しむためのビギナーズ向け講座多数。
 2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)「同性愛の至福と絶望-AMP版『白鳥の湖』をプルースト世界から読み解く」で佳作入賞。日本劇作家協会会員。『歌舞伎彩歌』(衛星劇場での歌舞伎放送に合わせた作品紹介コラムhttp://www.eigeki.com/special/column/kabukisaika_n01)、雑誌『月刊スカパー!』でコラム「舞台のミカタ」をそれぞれ連載中。
新刊案内