× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
昭和モダンの家を建てる 日本モダンガール協會 × 音楽史研究家
淺井カヨ × 郡 修彦
第2回 昭和モダンの家を建てようと思つた理由 その1㊦ 淺井カヨ
 19歳で豫備校のすぐ近くの名古屋の今池で一人暮らしを始めたが、そこから家に關する問題が始まつた。その部屋にゐると消毒液のやうな異樣な臭氣があり、ひどく息苦しくなるのだ。何かがをかしかつた。六疉一間のそのアパートにゐた時、私はそれまでの環境と激變したからか、身體だけでなく、精神が追ひやられて行つた。當時は實家にも居場所がなかつた。いつしか豫備校も通へなくなり、近所のユニーへ出掛けては何となく家庭用品を見たり、戻つてニュース番組ばかり家で見て居た。19歳の私はとうとう欝になつてしまつたのだ。

昨年秋に完成した「小平新文化住宅」の玄關前に立つ、淺井カヨさんと郡修彦さん(撮影:永田まさお)
 暫く豫備校を休んだら最初に知り合つたHさんから「淺井さんどうしたの?」と電話がかかつて來た。その頃、電話に出ることも恐怖を感じてゐたが、何度もかかつてきて、出ざるを得なかつた。かくしてその電話に私は救はれた。豫備校の費用や生活費を親から援助して貰つて一體何をしてゐるのか。私は受驗對策を再開した。それでも、豫備校へはあまり通へなかつた。

 このアパートへ引つ越して以來、氣分が塞ぐことが極端に多くなり辛い日々を過ごした。また友人からの助けもあり、最後は一人で受驗對策をして何とか一年間を乘り切つて、第一志望の大學に合格した。そして何年か經て、漸くあの時の自分の症状が、シックハウス症候群であることに氣がついたのである。あれは、浪人や初めての一人暮らしから來る緊張だけでは決してなかつたのだ。あの部屋にゐると息が苦しくなるのは、住環境のせゐだつたのだ。アパートは取り壞されてもう何もない。あの時の經驗で、住環境がいかに身體や心にとつて重要であることかと氣が附いた。第一志望の大學へ進學しても、まだあまり馴染めなかつた。

 次に住んだ場所は、長久手古戰場の首塚の通りにあるアパートで、何となく暗い感じがした。あの頃の記憶はもう定かではないが、何とかお金を工面して、旅へ出たことが轉機となつたのである。確か東山動植物園のきしめん屋で、きしめんを作るアルバイトもしてゐた。20歳の夏に1箇月間、バックパッカーで英國と佛蘭西を一人で旅行して、毎日美術館や博物館へひたすら出掛けたのだ。現地に留學してゐた友人を訪ねた時以外は、殆どパンと水だけで過ごした。

 翌年1月11日に、私は大學を休學して、現地で働く爲に英國へ出發した。英國在住の伊太利亞人家族の元に1ヶ月滯在し、その後老人施設に住み込みでボランティアをして、當時のお年寄りのお世話をしたのだ。幾らかの小遣ひ錢や時々は食事が出たので、生活には困らなかつた。この老人施設は百年以上前に建てられた瀟洒な洋館であつた。休みのたびに長距離バスや格安航空劵でも出掛け、各地で見る古い建築にどんどん興味を持つやうになつたのである。(つづく)

【日本モダンガール協會の「週刊モガ」】
http://moderngirlkayo.blog.shinobi.jp
【郡修彦東奔西走記】
http://blog.livedoor.jp/kohri0705/

 結婚を機に、大正から昭和にかけて建てられた和洋折衷住宅の新築を計画した淺井カヨさんと郡修彦さんご夫婦。新居となる「小平新文化住宅」を昨秋完成させました。古きよき時代の家を現代によみがえらせた家づくり秘話を語る、日本モダンガール協會・淺井カヨさんのインタビュー「ようこそ、小平新文化住宅へ」はコチラをご覧ください。
ページの先頭へもどる
【あさい・かよ × こおり・はるひこ】
◆淺井カヨ◆大正65年(昭和51年)名古屋市生まれ。平成19年に日本モダンガール協會を設立。大正末期から昭和初期を生きた日本のモダンガールと、その時代の調査や研究、講演を行うだけでなく、ファッションから生活様式まで当時のスタイルを追求し実践する。著書に『モダンガールのスヽメ』(原書房)がある。
◆郡 修彦◆昭和37年東京都生まれ。音楽史研究家。拓殖大学大学院修了(修士)。作曲家・音楽評論家の故・森一也氏に師事。SPレコード時代の音楽史を一次資料の徹底した調査により解明し、CD解説書・新聞・雑誌・同人誌に発表。SPレコードの再生・復刻で世界最高水準の技量を有し、200枚以上を世に送り出した。企画・構成・復刻を手がけた『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』で文化庁芸術祭大賞を受賞。
記事一覧
新刊案内