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美しいくらし
東京ぶらり老舗散歩 江戸文化研究家
安原眞琴
第6回 朝顔市を粋に楽しむ①
 夏の花と言えば、何を思い浮かべますか? 最近はヒマワリでしょうか。ヒマワリ畑を探訪するツアーに人気があるようですね。このような花の観賞は、なにも今に始まったことではなく、すでに江戸時代から楽しまれていました。第6回「東京ぶらり老舗散歩」では、満開のひまわりならぬ朝顔がところ狭しと咲いている、そんな光景が見られる〈朝顔市〉に行きましょう。また、今回は散歩の前に老舗で食事をしたいと思います。なぜなら、このコース自体、昔からの伝統的なコースだからです。さあ、昔の〈粋な遊び〉を体験しに出かけましょう。

根岸の里の侘び住まい

江戸の夏の花・朝顔
 「根岸の里の侘び住まい」という文句をご存知ですか? 
 その前に5文字を付けるだけで、何となく素晴らしい俳句ができてしまうという、魔法のような言葉です。たとえば、「うぐいすや」という5文字を付けるだけで、「うぐいすや根岸の里の侘び住まい」というステキな俳句が、たちどころに完成してしまうのです。

 では、〈根岸の里〉とはどんなところだったのでしょうか。そんなことにも注目しながら散歩を始めましょう。
 スタート地点は、JR山手線〈鶯谷駅〉の北口です。しかも、朝7時までには着くように、この時ばかりは早起きしましょう。朝顔は早朝に咲いて、すぐにしぼんでしまう花だからです。

 さて、根岸の里はこの鶯谷の駅の周辺、つまり〈谷〉にあります。線路を挟んだ反対側は〈山〉になっているのですが、この山は現在の〈上野公園〉がある所で、江戸時代には〈寛永寺〉があった所です。

 実は、谷側の根岸の里もまた、寛永寺と深く関わっていました。寛永寺は、徳川幕府直属と言うべき権威のあるお寺だったので、最高位のお坊さんには、天皇の皇子、つまり〈宮様〉が就任することになっていました。その宮様の別邸が〈根岸の里〉にあったのです。なお、この別邸は〈御隠殿〉(ごいんでん)と呼ばれていました。

 今でこそ根岸の里は、人家のひしめく、いわゆる〈下町〉となっていますが、江戸時代にはのどかで風光明媚な田園地帯でした。古地図の「根岸・谷中/日暮里豊島辺図」を見ると、〈東叡山御山内〉と書かれた寛永寺から、川(荒川)に至るまでの一帯が、〈田地〉と書かれた緑色になっているのが確認できます。

老舗「笹乃雪」のはじまり
 鶯谷駅北口を出てまっすぐ進むと、5分足らずで目的地の老舗に着きます。根岸の里にあるその老舗を、〈笹乃雪〉(ささのゆき)と言います。東京は、京都と比較すると歴史が非常に浅いですが、そんな中でも笹乃雪は1、2を争う古い老舗です。

笹乃雪(台東区根岸)
 創業は、元禄時代(1688-1704)。江戸時代の前期です。名物はお豆腐。つまり豆腐料理のお店です。お店では、先代の9代目から〈豆腐〉という表記を〈豆富〉に変えたそうですが、ここでは一般的な豆腐の字を使いたいと思います。

 ところで、どんなお店でも繁華街に構えた方が儲かるのではないでしょうか。ではなぜ笹乃雪は、のどかな根岸の里に開店したのでしょうか。実は、先ほどの〈宮様〉と関係があるのです。
 初代は玉屋忠兵衞という、京都の修学院離宮に出入りしていた豆腐職人だったそうです。それがある日、寛永寺のお坊さんに就任することが決まった宮様に付き従って、江戸に下ってきました。
 そして、この頃の江戸はまだ新興都市で、文化も未熟だったので、宮様に美味しい豆腐を食べていただくために、御隠殿近くの根岸の里にお店を構えたのです。

 ちょうど地下水の水質もよかったので、職人の技量とも相まって、なめらかなお豆腐を作ることができました。笹乃雪は、江戸にはなかった〈絹ごし豆腐〉を、最初に作って提供したお店とも言われています。

 もちろんお豆腐は、宮様に献上されました。この時、ある名物料理が誕生しました。それは〈あんかけ豆腐〉です。笹乃雪では今でも、1つのあんかけ豆腐が入った1つの小鉢が、2鉢セットで提供されるのですが、それにはこんな理由がありました。
 なんでも、先ほどの宮様が、このお豆腐を召し上がった時に、「おいしいので、次からは2つずつ持ってくるように」と仰せになったため、以来2鉢で1セットにしたそうです。
 また、お店の屋号〈笹乃雪〉も、この宮様のお言葉がきっかけで付けられたと言われています。お豆腐をご覧になった宮様が、「笹の上に積もった雪のように美しい」とおっしゃったのが発端のようです。

朝顔市の日こそ笹乃雪へ
 現在でも、笹乃雪の豆腐は、昔ながらの製法で作られています。特徴は、しっかりとした味わい、そして〈コシ〉のようなものがありながら、舌触りが非常に滑らかなことです。また、〈飛龍頭〉や〈白酢あえ〉など種類も豊富なので、飽きることもありません。初めての方は、色々な豆腐料理が楽しめるコースを注文するとよいでしょう。

 でも、今回食べに行くのは早朝です。
「こんなに朝早くから、ガッツリ食べられないよ!」
という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 「そもそも、こんな早くからお店は開いているのかな?」
と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
 普段は11時30分からなのですが、朝顔市の時だけは7時に開店します。それと言うのも、笹乃雪で食べてから朝顔市に行くという、なんとも小粋なコースが、幕末・明治頃から流行り出し、その伝統が今も息づいているからです。

 笹乃雪で、朝食の定番である豆腐を食べ、また、お好きな方はちょっと一杯ひっかけて朝顔市にくりだす、こんな100年以上前から行われてきたことが、今でも気軽に体験できるのです。

名物のあんかけ豆富は2鉢セットで提供される
 かの正岡子規も、このような俳句を詠んでいます。
 「朝顔に朝あきないす笹の雪」 明治30年(1897)
 〈笹の雪から朝顔市へ〉というコースは、7月の風物詩のようになっていたことが分かります。

 では、早朝は何を注文するのがよいでしょう。お好みによりますが、名物の〈あんかけ豆腐〉は外せませんね。それから、夏なので、〈やっこ〉もよいのではないでしょうか。また、意外に思われるかもしれませんが、唯一の肉料理である〈焼き鳥〉もオススメです。戦後に出来た新しいメニューですが、やみつきになる美味しさです。お酒のおともにも最高です。ぜひ頼んでみてくださいね。(つづく)

【笹乃雪】
東京都台東区根岸2-15-10
電話03-3873-1145
[営業時間]
11:30~20:00L.O.
[定休日]
月曜日(祭日の場合は営業し、翌火曜日休)


【makoto office 安原眞琴公式サイト】
http://www.makotooffice.net/

【イラストと地図:鈴木 透(すずき・とおる)】
1965年福島県生まれ。「釣りキチ三平」などを制作する矢口プロダクションを経てフリー。
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【やすはら・まこと】
1967年東京都生まれ。文学博士。専門は日本の中世・近世の文学、美術、文化、女性史。吉原文化の最後の継承者を5年間取材したドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん―吉原最後の証言記録―」を2013年に発表。立教大学・法政大学・大正大学・東武カルチュアスクールなどで講師を務め、天台宗総合研究センター、日本時代劇研究所などの研究員でもある。NHKカルチャーラジオ「歴史再発見 芸者が支えた江戸の芸」を2016年に担当。著書に『「扇の草子」の研究――遊びの芸文』(ぺりかん社)、『超初心者のための落語入門』(主婦と生活社)、『東京の老舗を食べる』(亜紀書房)などがある。
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