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美しいくらし
東京ぶらり老舗散歩 江戸文化研究家
安原眞琴
第5回 御茶ノ水から秋葉原まで神田川を下る①
 秋葉原と言えば、〈電気街〉として、またアニメやアイドルなどの〈オタク文化の聖地〉として、世界的にも知られています。でも、だからこそ、「江戸時代とは全く関係なさそう!」と思われる方も多いのではないでしょうか。ところが実は、江戸時代から繁華街だった上に、その面影もたくさん残っているのです。そこで第5回「東京ぶらり老舗散歩」では、あまり知られていない秋葉原周辺のタイムトラベルをしたいと思います。その後は、老舗の甘味処で、まったりと美味しい名物をいただきましょう。

2つの聖堂をつなぐ橋

竹むら(千代田区神田須田町)
 地球温暖化のせいでしょうか、ここ何年も、夏は暑過ぎるくらいの気温になりますね。でも6月は、まだそれほど暑くなく、木々の緑も目に心地よく、吹く風も爽やかでしょう。
 また今回は、川沿いの道で、自然豊かな場所を選びましたので、木陰で休みながら、のんびりと古地図散歩を楽しんでください。

 スタート地点は、御茶ノ水駅または新御茶ノ水駅からすぐの〈聖橋〉(ひじりばし)です。電車は、JR中央線か総武線、または東京メトロの丸の内線と千代田線が通っています。

 聖橋という名称は、橋をはさんで、一方に〈湯島の聖堂〉、もう一方に〈ニコライ堂〉という2つの聖堂があり、それらをつなぐことから、一般公募で名付けられたそうです。ちなみにニコライ堂は、正式には、〈日本ハリストス正教会復活大聖堂〉と言います。

今月の散歩は秋葉原周辺のタイムトラベルへ
 まずは、駅から橋を渡って〈湯島の聖堂〉に行きましょう。橋の下を流れているのが〈神田川〉です。聖堂はちょうど、山の上の〈御茶ノ水駅〉から山の下の〈秋葉原駅〉までの傾斜地にあります。だから敷地内を散策することで、はからずも川ぞいに下ることができちゃいます。



 ここで、ちょっと古地図を広げてみましょう。安政4年(1853)の古地図「小石川・谷中/本郷絵図」を見ると、〈聖堂〉という文字が書かれていて、木々が生い茂っている様子も描かれています。

 では、いったいここはどんな場所だったのでしょうか。答えは〈孔子〉をお祀りする〈孔子廟〉です。孔子とは、『論語』でお馴染みの〈儒教の祖〉です。
 でも、それだけではありません。江戸時代には〈昌平坂学問所〉(しょうへいざかがくもんじょ)という、今で言う〈大学〉でもありました。しかも、唯一の公の大学、つまり〈国立大学〉だったのです。

江戸時代の大学を見学する
 さっそく、江戸時代の大学のキャンパスに入ってみましょう。古地図に描かれている通り大木がいっぱい植わっていて、お陰で空気が澄んでいるように感じられます。
 今回は、〈西門〉という名の裏門から入り、〈正門〉から出るという、順路とは逆さまのコースを辿ります。いわば裏口入学をします。そのため、本来は3つの門をくぐって、ようやく大学の校舎である〈大成殿〉(たいせいでん)にたどり着くはずなのですが、こちらを先に見学します。
 3つの門は、正門に近い方から、第1に仰高門(ぎょうこうもん)、第2に入徳門(にゅうとくもん)、第3に杏壇門(きょうだんもん)となっています。
 大正12年(1923)の関東大震災の時に、建造物の大半が焼失してしまいましたが、第2の〈入徳門〉だけは、宝永元年(1704)に再建された当時のままの姿で残っています。

湯島聖堂・大成殿
 さて、裏口入学という多少の背徳感を抱きつつ、第2門と第3門をくぐって、階段を登り、その頂上にある〈大成殿〉に向かいましょう。到着すると、威風堂々とした青銅色の巨大な建物に圧倒されるでしょう。手前に広がる、これまた広々とした〈庭〉と呼ばれる石畳の広場も威圧感があります。その中に立つと、中国の広い宮殿に来たかのような錯覚におそわれます。

 では、そこを出て〈正門〉に向かって下りていきましょう。その途中でも、異国情緒を味わうことができます。それは、4.6メートルもある巨大な〈孔子の銅像〉です。仏像を見る機会はあっても、孔子像はめったにお目にかからないのではないでしょうか。また、手前の〈楷樹〉(かいじゅ)も異国らしい木と言えます。
 〈楷書〉という書体の由来となった木でもありますが、ここにあるのは、孔子の弟子の子貢(しこう)が、師のお墓の前に植えたと伝えられているからです。孔子ゆかりの木なのですね。

 ところで、江戸時代の武士道では〈文武両道〉が理想とされていました。そのため、最高学府の〈湯島の聖堂〉で勉強したい人々が全国から集まってきました。敷地内には、地方から来た武士のための〈寮〉もあったそうです。
 教科の中心は、孔子の教えである儒教、特に〈朱子学〉(しゅしがく)と呼ばれるものでした。武士にとって漢文の知識は必須だったのですね。今の大学と変わらず、定期試験もあったようです。
(つづく)

【makoto office 安原眞琴公式サイト】
http://www.makotooffice.net/

【イラストと地図:鈴木 透(すずき・とおる)】
1965年福島県生まれ。「釣りキチ三平」などを制作する矢口プロダクションを経てフリー。
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【やすはら・まこと】
1967年東京都生まれ。文学博士。専門は日本の中世・近世の文学、美術、文化、女性史。吉原文化の最後の継承者を5年間取材したドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん―吉原最後の証言記録―」を2013年に発表。立教大学・法政大学・大正大学・東武カルチュアスクールなどで講師を務め、天台宗総合研究センター、日本時代劇研究所などの研究員でもある。NHKカルチャーラジオ「歴史再発見 芸者が支えた江戸の芸」を2016年に担当。著書に『「扇の草子」の研究――遊びの芸文』(ぺりかん社)、『超初心者のための落語入門』(主婦と生活社)、『東京の老舗を食べる』(亜紀書房)などがある。
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