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食べるしあわせ
職人醤油のつくり方 「職人醤油」代表
高橋万太郎
第8回 揺るがぬ信念が支える“田舎の香ばしさ”(上)

清浄な空間に漆を塗られた木桶が整然と並ぶ
 何かの雑誌で紹介されているのを目にしたのだと思います。きれいな桶が並んでいる写真と、しっかり醤油と向き合っている雰囲気が伝わってくる紹介文。すぐに訪問したいことを伝える電話をかけました。
 当時はもっぱらアポイントをとらずに飛び込みで訪問。電話をかけるなんてめったにないことだったので、よく覚えています。各地の蔵元の醤油を100mlの小瓶で販売していることを伝えると、「あぁ、うむり無理だよ」という返答。「それでもいいので伺いたい」と電話口でやり取りを続けていると、しぶしぶ受け入れてくれることになりました。

 信州・松本にある大久保醸造店。主である大久保文靖さんと初めて会ったのは、2008
年10月のことでした。
 約束は朝の10時。ガラガラと懐かしい音がする引き戸をくぐると小さな事務所スペースがあり、右手には木桶が並ぶ諸味(もろみ)蔵が続いていました。お茶をいただきながら話をうかがうと、醤油の話以前に、「濃縮還元のジュースと果物を搾ったジュース。この違いはなんだと思う?」と、こんな話になるのです。
 どう答えるのが正解なのかと頭をフル回転させながら聞いていると、「果物を搾ったジュースは“樹液”だよね」と大久保さん。同じ果汁なら、より自然に近いものがいい――。今、振り返ると、このような原理原則を大切にするという大久保さんの考え方は、初めて会ったときからずっと変わらないことに気づきます。

長野県松本市にある大久保醸造店
 蔵を見学させていただくと、今まで見てきた醤油蔵とは明らかに違う。桶の外側がきれいなこげ茶色で、ピカピカに光っています。これは、漆を塗っているからなのだそう。その理由を尋ねると、「醤油をつくるのは微生物だよね。ただし、微生物には悪さをするものもいる。おれは桶の内側に住み着く微生物だけを大切にしたいんだ」と大久保さん。だから桶の表面には漆を塗り雑菌が付かないようにして、さらには床と壁に何トンもの炭を埋め込んで湿気がこもらないようにする徹底ぶり。そのため、古い蔵にはありがちなカビ臭さとは無縁です。

 2階に案内されると、そこは麹室。一般的な麴室は、中の温度や湿度を調整しながら麹菌を繁殖させるために、人が中に入って作業することもできるように小さな部屋になっています。ところが、目の前にある麴室は麴だけが入るように密閉され、見た目にはまるで宇宙船のよう。これもまた見たことがない形です。「装置の面積は倍にしたけれど、つくれる量は変えなかったんだ」と大久保さんは言います。「小さな蔵が大手のまねをしてもダメ。安価で均一な醤油をつくるのではなくて、“田舎の香ばしさ”をもっと前面に出していきたいと思う」
 量ではなく質を追求するコンセプト。ある地域の味噌づくりにつかわれていた装置を醤油麹用に改造するなど、蔵の中は至るところに大久保さんの創意工夫が施されています。

麴を「下に落とす」ことで移動距離は最小限に
 階段をのぼると3階が仕込み場になっています。わざわざオゾン水をつくって床を洗浄し、天窓を開けると風が1階まで通り抜けていきます。清潔に保たれている床には穴があいていて、蒸された大豆や炒った小麦を階下に落とすことができるようになっています。その先には麹室があり、さらにその下には桶の並ぶ諸味蔵。このように麴を移動させる距離を最小限にすることで、雑菌が付く要因を少なくしているのです。「横に移動させるには動力が必要だけど、下に移動させるには重力の力を借りればいい。しかも楽だよね」と、大久保さんは笑います。

 ほかの醤油蔵とあまりに違う部分が多くあっけにとられていると、「そろそろ昼どきだね。蕎麦でも食べに行くかい?」とご案内いただきました。ここは蕎麦でも有名な長野県、蕎麦業界では大久保さんの醤油は有名な存在で、県外の老舗も愛用しています。その大久保さんに案内してもらう蕎麦がおいしくないはずがない。絶品のお蕎麦をいただき、その足で大久保さんの私邸に伺うことになりました。

 卓上には、品のある小皿に乗せた奥さまお手製の漬物。「これは酢っぱいよ。だけどこれが本当の乳酸発酵の味でさ」と大久保さんに勧められ、口にすると確かにとても酢っぱい。市販されている漬物とは全く違うし、家でつくる糠漬けなどとも違う味です。それがなんとも美味しくて思わずポリポリ食べ続け、おかわりをお願いしてしまったほど。「おれはね、食べることが好きなんだけど、贅沢をしたいわけじゃない。そのものズバリを食べたいだけなんだよ」

 外が暗くなってきたころ、「そうそう、100mlの醤油だったね。面白そうだ。ぜひやらせてもらうよ」と予想外の回答をもらい、車に乗り込むと18時を回っていました。これは、初回の訪問での滞在最長記録。これからもこれをこえることはないだろうと思います。(つづく)
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【たかはし・まんたろう】
1980年群馬県生まれ。立命館大学卒業後、(株)キーエンスにて精密光学機器の営業に従事し2006年退職。(株)伝統デザイン工房を設立し、これまでとは180度転換した伝統産業や地域産業に身を投じる。現在は、一升瓶での販売が一般的だった蔵元仕込みの醤油を100mlの小瓶で販売する「職人醤油」を運営。これまでに全国の400以上の醤油蔵を訪問した。
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