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美しいくらし
東京ぶらり老舗散歩 江戸文化研究家
安原眞琴
第3回 文豪の道から根津神社へ①
 「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものですね。『広辞苑』を引きますと、「春秋の彼岸を境として、寒暑それぞれ衰えて、よい気候になる」と書いてあります。そんなお彼岸も過ぎた4月は、散歩にもってこいの季節と言えるでしょう。そこで、「東京ぶらり老舗散歩」第3回では、この時期にピッタリの散歩コースをご紹介したいと思います。それは、文豪たちの歩いた知られざる道から、由緒のある境内でツツジを愛でることのできる〈根津神社〉周辺を歩く散歩です。その後は、100年以上続く老舗の和食屋さんで、絶品の季節料理をいただきましょう。

起伏に富んだ東京の中心部

谷中 魚善(台東区谷中)
 〈谷中〉〈根津〉〈千駄木〉を総称して〈谷根千〉(やねせん)と言いますが、ご存知でしたか? 今でも迷路のような路地がたくさんあって、懐かしい下町情緒が味わえることで有名な、人気のスポットです。
 今月は、そんな谷根千のなかの「千駄木駅」から出発しましょう。電車は、地下鉄の東京メトロ千代田線が通っています。
 今回の散歩は、下町コースではなく、まだあまり知られていない山の手コースです。でもこれから人気が出るかもしれませんよ。最近人気の〈地形〉が楽しめるコースだからです!

 実は、東京の中心部は、かなり起伏に富んでいるのですが、〈千駄木〉から〈根津〉にかけても、デコボコ好きにはたまらないエリアです。
 もしかしたら「足腰が心配」という方もいらっしゃるかもしれませんが、安心してください。楽に登れて起伏はしっかり確認できるコースをご案内しましょう。

 千駄木と根津は、地下鉄に乗れば1駅しか離れていない隣接する町で、地形で言いますと、どちらも〈谷〉にあります。
 「谷からスタートするのだから、山に登る必要はない」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。でも、デコボコを楽しむのが目的であり、広い裾野を歩くより距離も短くて済みますし、山とはいえ都会の山ですので、それほどハードでもありません。それではさっそく〈登山〉に挑戦しましょう!

知られざる文豪の道

 〈山〉というものは、〈谷〉の両側にありますね。千駄木も同じで、両脇が山になっています。一方の山は〈上野台地〉、もう一方は〈本郷台地〉と言います。どっちの山も面白いのですが、今回は根津神社のある本郷台地を登りましょう。
 〈千駄木の交差点〉に立ちますと、谷あいを走る道があります。それを〈不忍通り〉(しのばずどおり)と言います。そして、それに直交する2つの登り坂があります。上野台地側の坂を〈三崎坂〉(さんさきざか)、本郷台地側の坂を〈団子坂〉(だんござか)と言います。今回登るのは、団子坂の方です。
 この坂の名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるかもしれませんね。夏目漱石の『三四郎』や、二葉亭四迷の『浮雲』など、明治の文豪の小説にしばしば登場しますし、大衆小説では、江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』で有名だからでしょう。D坂とは団子坂(DANGOZAKA)のことです。

文豪たちが歩いた団子坂
 実は、団子坂から根津神社までの山あいには、文豪の家がたくさんありました。明治時代の文豪にはエリートが多かったので、〈東京大学〉が近かったこととも関係があるのでしょう。根津神社のすぐ先が東京大学です。
 今日は、なかでも有名な、2人の文豪の旧居跡を訪ねましょう。1人は、団子坂の頂上手前に住んでいました。この家は、2階の書斎から東京湾が臨めたことから、「観潮楼」(かんちょうろう)と呼ばれていました。
 この潮(海)の観える高台の家に住んでいたのは〈森鷗外〉です。鷗外は、明治25年(1892)から亡くなる大正11年(1922)まで、ここで暮らしていました。『雁』や『高瀬舟』などの有名な小説が執筆されたのもここです。

 団子坂を少し登ると、左手にスタイリッシュな建物が見えてきます。今では「文京区立森鴎外記念館」になっていますが、ここが森鷗外の家だったところです。
 記念館の裏門には庭があり、そこには観潮楼時代からの〈銀杏〉の大木がそびえています。また、その門こそが実は観潮楼の正門だったので、門を出たところに、〈門柱跡〉や〈石畳〉が残っています。
 その観潮楼の旧正門を出ますと、1本の細い道があります。ここは、「藪下道」あるいは「藪下通り」などと呼ばれています。笹藪を踏み分けて歩くうちに自然にできた〈けもの道〉のような道で、今でも何となくそんな雰囲気が漂っています。
 観潮楼では歌会(かかい)が催されていたので、その参加者だった〈石川啄木〉や〈斎藤茂吉〉なども、この道を通っていたようです。知られざる〈文豪の道〉と言ったところでしょう。

おばけ階段と〈猫の家〉
 藪下道は、頂上付近にあるので、谷側は断崖絶壁になっています。それは、観潮楼旧正門の向かいの、谷底を見下ろせる細い階段から確認することができます。高所恐怖症の方にはオススメできませんが、段差好きにはたまらない絶景が臨めます。この階段は、誰が名付けたのか、「おばけ階段」「へび坂」「へび道」などと呼ばれています。

 さて、旧正門を出て藪下道を右に少し進んだら、適当なところで右折しましょう。〈適当〉と言ったのは、崖とは反対の山側は、いわゆる閑静な住宅地になっているので、これといった目印がないからです。

漱石旧居跡はこの猫が目印
 右折して少し行くと、藪下道と並行する通りがあり、そこに〈日本医科大学同窓会館〉の新しい建物が建っています。見つけにくいようでしたら、高い塀をノコノコと歩く〈ネコ〉のオブジェを目印にしてください。
 ここは、森鷗外と並び称される明治の文豪〈夏目漱石〉の旧居跡です。まだ第一高等学校(現・東京大学教養学部)の英語教師だった頃の、明治36年(1903)から同39年(1906)まで、3年10か月住んでいました。
 最初の小説『吾輩は猫である』を書いたのもこの家です。だから〈ネコ〉のオブジェがあるのですね。〈猫の家〉と呼ばれて親しまれていましたが、愛知県犬山市の〈明治村〉に移築され、今は〈石碑〉のみが建っています。
 その石碑によりますと、漱石が住む約13年前の明治23年(1890)には、なんと森鷗外が住んでいたそうです。鷗外は約1年後に、先ほどの観潮楼に引っ越しました。(つづく)

【makoto office 安原眞琴公式サイト】
http://www.makotooffice.net/

【イラストと地図:鈴木 透(すずき・とおる)】
1965年福島県生まれ。「釣りキチ三平」などを制作する矢口プロダクションを経てフリー。
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【やすはら・まこと】
1967年東京都生まれ。文学博士。専門は日本の中世・近世の文学、美術、文化、女性史。吉原文化の最後の継承者を5年間取材したドキュメンタリー映画「最後の吉原芸者 四代目みな子姐さん―吉原最後の証言記録―」を2013年に発表。立教大学・法政大学・大正大学・東武カルチュアスクールなどで講師を務め、天台宗総合研究センター、日本時代劇研究所などの研究員でもある。NHKカルチャーラジオ「歴史再発見 芸者が支えた江戸の芸」を2016年に担当。著書に『「扇の草子」の研究――遊びの芸文』(ぺりかん社)、『超初心者のための落語入門』(主婦と生活社)、『東京の老舗を食べる』(亜紀書房)などがある。
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