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食べるしあわせ
世界まるごとギョーザの旅 「旅の食堂ととら亭」店主
久保えーじ
第1回 ギョーザを巡る旅のはじまり~トルコのマントゥ~?

※WEB連載原稿に加筆してまとめた単行本『世界まるごとギョーザの旅』が絶賛発売中です(発行:東海教育研究所、発売:東海大学出版部)。



奇岩が連なるカッパドキア
 キノコ岩が林立するカッパドキアを巡り、ランチは隣街のアヴァノスへ行く予定だった僕たちが舗装路まで引き返した時、

「お腹が空いてきたね。その陶芸の街まではどうやって行くの?」
「そうだな、タクシーを拾うか。いや、待てよ、ちょっと地図を貸してくれる?」

アヴァノスはカッパドキアの真北か。

観光案内所でもらったフリーマップは、かなり大雑把なものでした。

 コンパスで確認してみると、北北西にはテーブル状の岩山が聳え、北側は荒れ地が広がっています。その向こうに、遠く街が見えました。

「ほら、見えるかい? あれがアヴァノスの街だ。」
「どこ? あ、あれね!」
「まだ昼まで時間がある。歩いてあの荒野を突っ切ろう。」
「え! 歩いて?」
「ああ、ちょっとしたトレッキングさ。」
「でも、けっこう距離があるんじゃない?」
「いや、そうでもないよ、だって見えているんだ。概ね1時間くらいで着く筈さ」

どこまでも、どこまでも、荒野を行く
 そうして誰もいない荒野へ踏み出した僕たちですが、不安はありませんでした。なぜならまだ陽は高いし、行き先は見えているのですから迷いようもない。ところが歩き始めて1時間が過ぎても、見えている街は一向に近付いてきません。さながら荒野で足踏みをしているかのような錯覚に陥りそうです。

まずいな、目測を誤ったか・・・

 最初は冒険気分で楽しんでいた僕も真剣になって来ました。結局、スピードを上げ、休みなく歩いて2時間半。ようやくアヴァノスの街に入ったころには、二人とも、もう行倒れ寸前。ともこが不機嫌になったのも無理からぬ話です。ともあれ、かのサヴァランも言う通り、空腹は最高の調味料。ここで食べたマントゥは最高の味でした。
 ともこはこの一件が忘れられないらしく、しばらくの間、旅先で僕が地図を見ながら何かを言うと、疑り深い顔をしていましたけどね。

 そんな旅から帰った或る日、自宅の夕食で僕を待っていたのは、そのマントゥ。味といい見栄えといい、記憶とそっくりの再現度には驚きましたが、智子に訊けば、図書館で見つけたレシピ本だけを頼りに皮から作ってみたとのこと。もしかすると、現地の料理を再現するというととら亭のコンセプトは、この時に始まったのかもしれません。

「ところでさ、マントゥって言葉はトルコ語なの?」
「いや、違うんじゃないかな。前に何かの本で読んだのだけど、韓国ではギョーザのことをマンドゥって呼ぶらしいよ」
「へぇ~。両方ともマンジュウに似てるね。どこかで繋がっているのかしら?」
「分からない。そもそも何でトルコにギョーザがあるのだろう? しかも呼び方はずっと離れた韓国とよく似ているなんて」
「だったら韓国のマンドゥもヨーグルトソースで食べるの?」
「どうなんだろうね?」

 3年後、この小さな疑問が、自分たちの人生に大きな影響を与えることになるとは、この時、つゆも気付かなかった僕たちでした。

トルコのギョーザ 「マントゥ」
 旅のメニューは何度も試作を重ね、2人が納得できるまでリリースすることはありません。しかし自信を持って作っているものの、当該国のお客さまがご来店された時はさすがに緊張します。とあるディナータイムで、どう見ても外国人の方がマントゥを注文されました。そして間もなくお代わりも。そこで国籍を尋ねてみたら「トルコ人です」! 本国の方においしかったと言って頂けたことは、旅の食堂にとって、最高の勲章でした。この料理、ギョーザ本体を除けばとても簡単なので、ぜひトライしてみて下さい。

(1)無糖のヨーグルトに好みの量のガーリックをすりおろし、塩を少々加えます。
(2)フライパンにバターを溶かし、焦がさないようにパプリカパウダーを炒めます。
(3)茹で立ての水ギョーザに(1)と(2)をかけ、刻んだミントを散らして出来上がり。

【「旅の食堂ととら亭」のホームページアドレス】
http://www.totora.jp/
※写真はすべて筆者提供
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【くぼ・えーじ】
1963年神奈川県横浜市生まれ。ITベンチャー、商業施設の運営会社を経て独立。「旅の食堂ととら亭」代表取締まられ役兼ホール兼皿洗い。20歳のころからオートバイで国内を旅し、30歳からはバックパッカーに転身。いつかはリッチな旅がしたいと常に夢見ているが、いまだ実現していない。特技は強面の入国審査官などの制服組から笑いを取ること。妻・智子(ともこ)は1970年群馬県高崎市生まれ。食品成分分析会社、求人誌営業を経て料理業界へ転身。フランス料理、ドイツ料理のレストランで修業し、旅の料理人となる。見かけは地味だが、スリルとサスペンスに満ちたジリ貧の旅を好む。特技は世界中どこでも押し通す日本語を使った値切り。
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