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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第22回 解きほぐしを支えるもの(下) (小津夜景より)



 サミュエル・ベケットの小説『伴侶』は「声」と「聞き手」と「極限まで解きほぐされた主体」をめぐる世にもふしぎな関係を綴った作品です。『伴侶』はキメラ的とよばれる闇に「声」が届き、それに続いて意識が覚醒する場面から物語が始まります。或るユークロニックな世界への到達から始まる冒険であるという意味で、わたしはこの作品にユートピア文学の香りをうっすらと嗅ぐのですが、しかし通常のユートピア文学は主人公が体験した〈どこにもない場所〉での見聞を〈いまここにある場所〉に戻ってきて語る様式になっていて、つまり主人公は、彼岸と此岸の越境によって真の全体的視点を体得した特権的人物としてふるまうことが許されている。これに対して『伴侶』の意識がめざめたところに広がっているのは、どんな特権も与えられず、方向感覚も奪われた「幻の闇(noir chimérique)」でした。

一つの声が闇のなかの誰かにとどく。想像すること。

 これが『伴侶』の冒頭です。ここに目覚めた「想像する意識」は「光の闇」や「闇が輝く」などと形容される「幻の闇」を、自分自身の正体もわからず、ゆくあてもなく、もどるところもなく、世界の内と外を越境することも包括することも叶わないまま放浪しつづけます。

声それのみが伴侶だが、それでは不十分だ。聞き手に対するその効果が補足として必要である。

聞き手の像を明確にすること。

 この「聞き手」というのは、作中で唯一肉体をもった登場人物である「老人」のまたの名です(このことは作中で何度か暗示され、また一度だけ「われわれの年老いた聞き手」とはっきり明示されます)。「老人」は死に瀕し、もはや自己の同一性を保つことができず、一個の主体であることを放棄しています。またその結果、かつて主体を構成していた感覚、思惟、想起、組立といった諸能力もばらばらになってしまい、ただ声を聞いているだけの「お前」、声の意味を考える「彼」、声につられて思い出す「私」、声に従って組み立てる「我々」といった異なる人称代名詞で呼ばれつつ、まるで互いに別人であるかのように現れては消えるのでした。

 そもそも西洋の伝統的文脈において、音なる声の受容と光なる意識の発現といった両軸の織りなす座標は自己同一的人格を実現するためのアルケーです。ただしこの連携はテロスとしての私、すなわち「自分が話すのを聞く自分」からの遡行によってのみ認識できる超越論的因子であり、さらにいえば声と意識とが反応して私が生じるまでの過程は無時間ではありませんから、声と意識(アルケーとしての世界)と私(テロスとしての主体)とのあいだに存在するずれを決して無視することはできません。『伴侶』には、いまだ時空の編まれていない(すなわち連続的でない)いくつもの闇や、主体をまとっていない(すなわち同一的でない)いろんな誰かが現れますが、思うにそれはこの作品が声/意識/主体のあいだに存在するずれそのものを物語の舞台としているからではないでしょうか。

 秩序ある時空(espace-temps ordonné)が描く同一性の物語ではない、世界の地と主体の図とが一即多いっしょくたになった秩序なき間(espacement désordonné)の物語――。もはや主体という超越的な閉域を築き上げることができない代わりに、みずからを内在的な開域として「幻の闇」に開け放つ「老人」――。なんだか込み入った話になってしまいましたね。ごめんなさい。わたしが書きたかったのは、ええと、要するに『伴侶』とは死へと向かう生者の物語なのではなく、人間の内に広がる、生きたこともなければ死んだこともない不定=無限者の物語なのではないかしら、そしてこの作品の「老人=聞き手」とは、いかなる時空概念をもしりぞける不生不死なるものの母型=墓(womb tomb)なのではないかしら、といったことです。

 わたしは、何かを考えていて、ふと思惟がわたしの元を離れて勝手にうごめき出す様子を目の当たりにすることがあります。そんなとき、もしかしたらわたしはあの「老人」のように一つの母型=墓にすぎず、思惟はその欲動のまま、わたしの中のどこかに存在する玄室に、日々言葉による装飾を、さながら呪文の文様を刻むかのように施しているのではないか、と疑うのでした。

小津夜景



【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】https://yakeiozu.blogspot.com/
【ozuyakei】Instagram https://www.instagram.com/ozuyakei/

(写真提供:著者)


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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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