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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第17回 未来を読むこと(下) (須藤岳史より)
 物語をくぐり抜けることは、その物語を忘れてしまうことで、その営みを終えます。この終わりは新たな始まりでもあります。忘れられた物語はわたしたちのなかで雪のように、あるいは水底の澱のように積み重なり、新たなイマージュの土壌を形成します。そこでひとつの歌を思い出しました。


數億の雪の密毛を吸ふ湖面睡魔過ぎゆくごとく想ひき
葛原妙子『原牛』(白玉書房)より


 湖面に吸い込まれるように降りしきる雪の情景を想う歌ですが、その情景が時間にとらわれない時間である「まどろみ」のなかで展開されるというのが魅力です。忘れられた物語もまた、時間を超えた夢うつつのうちへと溶け出し、手の届かないどこかに眠っているのかもしれません。

 そしてもうひとつ思い出すのが、あの有名な詩です。


太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎をねむらせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
三好達治「雪」


 この詩には多くの謎と解釈の余地があります。太郎と次郎はいくつくらいなのか? ふたりは兄弟なのか? だとしたら、なぜそれぞれの屋根をもつ場所で寝ているのか? ふたりを眠らせているのは、ここには登場しない母(なるもの)なのかそれとも雪なのか? 全ての謎は謎のままであり、よってすべての解釈(わたしたちは意味を探してしまう生き物なのです)を受け入れます。

 個人的にはふたりを眠らせているのは「物語」であると思うのです。それは枕元で耳にする昔話であるかもしれないし、記憶や空想であるかもしれませんが、そのすべてをひっくるめた「物語的なもの」がふたりをそれぞれの眠りへと誘い、物語はその眠りの中に沈殿していく。そういう絵が思い浮かびます。

 記憶に沈殿した物語は、何かをきっかけとして、新しいものとして浮かび上がってくることがあります。その契機となるのはいつも何らかの名前であるような気がします。それはあなたのお手紙にあったトレーズ・デセールのなかのまるで宝石のような様々な名前であるかもしれないし、メロディーや香りなどのより抽象的な名前であるかもしれません。いずれにせよ、その名前(的)なものは、あるとき、本に貼られたたま理由が忘却された付箋のように、わたしたちに新たなフォーカスをもたらします。

 あなたのお手紙にあった「自由なエスプリ」はこんなイマージュの土壌から呼び起こされるものかもしれません。そして創作における「いま・ここ」という現在進行形のなかで、忘れられた物語は新しい文脈を与えられ、未来完了形で経験=作品として成立しているのかもしれません。

 音楽の場合はこの時間的なスパンが極端に短くて、ほぼリアルタイムで一度にこのすべてが生起しています。そして面白いのは、音楽の演奏の場合、この創造の作業に加えてある種の「未来の先取り」があることです。

 演奏をするとき、演奏者の半分くらいは今起こっていることに耳を澄ましています。そして4分の1くらいはたぶん音楽を聴いている人と共にあります。残りの4分1がどこにあるかというと、未来にあります。この未来というのは、音楽の中の少し先に起こることの予測を意味します。

 楽器から音を出すには多くの準備が必要となります。少し先の音楽を、いま演奏しながら耳にしている音楽とどのようにつなげていくか? いちばんふさわしい音を出すにはどのタイミングでどういう具合に楽器とコンタクトするか? そんなふうにして未来に咲く花の姿を予見します。

 しかし、生まれてくる音が予想したものとは違ったものになることがあります。したがって、練習とは思い描いた未来予想図と実際に生まれてくる未来の音を、過去完了の時点で時間を遡って検証し、擦り合わせてゆく作業ともいえます。もちろん予想との差異が思いがけない美しさを運んでくることもあります(これはひとつの恩寵のようなものです)。この差異は絶対に消えることはありません。研鑽を積むことは、未来予想図と結果の差異を「なくすこと」にあるのですが、どうしてもなくならないものをなくそうと突き詰めるほどに、偶然生まれ落ちる差異が輝きを増してくる不思議を体験することになります。言葉を紡ぐ作業も同じで、型や文法を守りつつも、そこから思いがけずにはみ出してしまうものを探しているような気分になることがありませんか? そのはみ出してしまったものが、ひとつの亀裂となって、無限へと開かれていくような気がしてなりません。

須藤岳史拝




【須藤岳史 Twitter】
https://twitter.com/Artssoy

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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