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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第16回 ふわふわふうみ(下)  (小津夜景より)



 さて、玉子のふわふわの口をすすいで、本当のふわふわ菓子の話をしましょう。江戸時代の代表的ふわふわ菓子を知るために、ふたたび近松門左衛門をひもときますと、1708年初演の『傾城反魂香』に「落雁かすてら羊羹より、菓子盆運ぶ腰本の、饅頭肌ぞなつかしき」との一節があり、カステラや饅頭が庶民の食べる人気のふわふわ菓子だったことがわかります。

   春月
かすていらかすむ夕べは杉折の杉間の月もおぼろ饅頭  鹿都部真顔しかつべのまがお

 大田南畝の門人にして狂歌四天王の一人、化政期には宿屋飯盛と狂歌界を二分した鹿都部真顔はお汁粉屋さんでもありました。右の歌は「春のゆうべに杉木立の合間に見え隠れする月は、まるで杉の折箱につめられたおぼろ饅頭みたいだなあ」との意味で〈かすていら〉を〈かすむ〉の枕詞として使ったところが当世風です。また〈おぼろ〉といえば、

売りつくすたいたう餅やまんぢうの聲ほのかなる夕月夜かな  まむぢう売

という『七十一番職人歌合』の歌も、ほのかな声をつつむ夕月夜がふんわりとしたおぼろを想起させ、饅頭売りの光景によく映えています。

我ばかり友をも呼ばで味わえて猶しおらしきみそ千鳥かな  黒田月洞軒

 「友だちも呼ばずにこっそり味わって、なんてかわいいみそ千鳥だろう」。この歌は江戸品川の東海寺名物「千鳥味噌」を詠んだ〈味のよきちとり味噌たぶ御書院ここぞ友よぶところなりけれ/豊蔵坊信海〉を本歌取りしつつ、「みそ千鳥」というしっとりふわふわふわの餡入り饅頭を愛しんでいる図です。

   緑といふ菓子の出しける座にてよめる
常盤なる松のみどりも春くへば今ひとしほの菓子の味はひ  正継

 古今集の〈常磐なる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり/源宗于〉を本歌取りしたこの〈緑〉は、千年かわらぬ松の翠に掛けて、白い皮を雪に、内側の緑餡を松葉に見立てた常盤饅頭――かと思ったら、それとは別のお菓子でした。なんでも松の芯に立つ新芽みどりに似せた細い板状の菓子で、地の羊羹に煮小豆かナッツをのせてつぶつぶの感じを出し、半透明の砂糖を衣がけしたようです。

 こうしたお菓子のつくりかたは『和漢三才図会』や『近世菓子製法書集成』で調べるのですが、むかしの菓子譜は想像で補う部分がどうしても多くなります。当時の発想を見逃さないよう冷静さを保ちつつ、感動をあらたに復元させようとして手を動かすとき、もしかすると菓子譜を眺めることは楽譜を眺めることに似ているのかもしれない、との想念が頭をよぎります。

 俳句もまた、古典を読んだり定型を守ったりして書くときは、お菓子づくりに通じる限定や厳密さを背負います。けれども旧弊に陥るのではないかといった不安を感じることはありません。というのも、わたしにとってつくるとは、与えられた限定や厳密さに自由なエスプリを注入して、風通しを良くする作業だからです。

 もちろんこれは古典を離れても同じです。世界には耳をすますための素材がいっぱいあり、古典はその素材のひとつに過ぎませんから。この世界にひしめくひとつひとつの素材は、その本質を垣間見せることなく、いつもただそこにあります。そうした素材とどのような言語的関係を結ぶかを、つくりながら考え、試みながら学び、見えない本質と戯れながらひとつのかたちを見出してゆくのは、いつだってものづくりの醍醐味です。

 つくる人は、本人にその意思さえあれば、実践なしに思考する者がかならず罹患する観念論の病から自由でありえます。つくることの意味はスローガンの中には存在せず、いまつくりつつあるという現在形において形成され、未来完了形において経験として理解されます。きっと演奏という行為もそうですよね。

 さながら恋愛のごとく実戦の中にだけ奥義がある、本質と実存とが一体になったつくる人々の世界が、わたしはとても好きです。

小津夜景拝



【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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