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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第14回 文(ふみ)と不死(下)  (小津夜景より)



 話を戻して、天気雨は筆跡と啓示性とを兼ね備えている点で、虹を手紙に見立てるよりいくぶん気が利いています。水と手すさびの筆跡とをからめること自体はいろんな例が古典にあって、いまぱっと思いついたのはこんな歌です。

今もその名に流れたる紙屋川かきやるものは芥のみして

 大意は「かきやるといっても手紙を書くのではなく、もっぱらごみを掻く方になってしまったけれど、紙屋川は今もその名で呼ばれているよ」。『曾呂利狂歌咄』によれば、むかし京都の紙屋川では、紙屋院に納めるための紙を漉いていたのですが、ある時期から紙漉くこと絶え、水も汚れ、川がその名の本意を失ってしまったそうです。

 この歌は説明調にみえて、実は上句と下句とのあいだに大きな断絶が存在し、またその断絶が書くことの内省をうながしてもいます。「かくものはごみばかり」というのも、書く行為が傷めいた手すさびをいたずらに生みだす世の常を思い描くことができそうです。手紙とごみ。書くと掻く。こうした図式がいつごろから存在するのかはわかりませんが、私の知るかぎりで古いものに『竹取物語』があります。あなたは『竹取物語』の結末が、かぐや姫が月に帰るシーンではないことを覚えているでしょうか? この物語は、かぐや姫が昇天したあと、帝の命を受けた兵士どもが山にのぼり、かぐや姫が別れぎわにのこした帝宛ての手紙と不死の薬を、不用のごみとして焼却する場面で幕をとじます。

 御文おんふみ、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名づけける。その煙、いまだ雲の中へ立ち上るとぞ、言ひ伝へたる。

 ここに描かれているのは、かぐや姫を失った地上の者らのあきらめです。帝は、かぐや姫の置き土産などなんのなぐさめになる、と思ったのでしょう。

 ところが、かぐや姫の痕跡は地上から消え去りません。普川素床の川柳における天気雨が、去りゆく痕跡ならではの儚い強さを伝えていたのとは対照的に、『竹取物語』における灰と煙は、一陣の風とともに記憶からも忘却からも掻き消える痕跡たるべきにもかかわらず、なぜか手すさびの筆跡とおぼしき煙をいつまでも絶やさないのです。もしかすると、手紙と不死の薬とを一緒に燃やしたせいで文(ふみ)が不死性を帯び、それでしぶとく生きながらえているのでしょうか。ともあれこの、一度捨てた手紙が二度と捨てえないものとしてよみがえる過程には、あること/ないことをめぐる認識の駆け引きや、死者との応答性にまつわる思いがけない逆説があります。

 それにしても、まさか富士山が惜字炉だったとは。めまいを起こしてしまいそうな事実だと思いませんか。そもそも『竹取物語』は、書くことのたわむれについてひどく自覚的なフィクションで、おとぎ話のパロディとして物語を仕立てたり、言葉遊びによるいつわりの語源譚をたっぷり盛り込んだり、結末の「ふじ」の起源譚にいたっては、当然「不死」に由来するのだろうと思いきや、「たくさんの士が登った山だから富士と呼ぶのです」と読者に肩透かしを食らわせたりします。さらには書くことだけでなく書かれたもののすがたについても意識的で、この物語にさらりと反古の衣を着せました。つまり、それを仮名文字で書いたのです。ご存知のように、仮名とは真名(漢字)の手すさびにほかなりません。真名を公の文字とするならば、さしずめ仮名は心の声を再現する私的な文字であり、生まれながらにして反古性を纏っているのです。

 こんなことやあんなことをつらつら綴っているうちに、近況を書く余白がなくなっていました。ごめんなさい。かわりに、今日の蜃気楼が、初めて地中海と遭遇した日のそれに心なしか似ていたので、撮りたての写真を同封します。海の向こうの水平線に広がる陸地と建築は100パーセント存在しません。ここに住んでいると、幻はいつも、隣の家に遊びにゆくくらいの距離にあります。

小津夜景拝



【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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