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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第11回 明るく、静かで、軽い舌(上) (小津夜景より)



 前略、旅先からの手紙ありがとうございます。お休み気分は抜けましたか。私はふだんの生活に戻りつつも、心はいまだ夏と離れがたく、携帯電話をひらいてはこの8月にあそんだ地中海の島、サント・マルグリット島の写真をついつい眺めてしまう毎日です。

 サント・マルグリット島は鉄仮面の収容されていた監獄よりほかにこれといって観るもののない島ですが、アフリカがかった土地の色味がよく、林には野生のウサギとリスとハリネズミがいます。そしてやはり海がきれいです。いろいろな旋律を心に浮かべ、さらにその私を舟に浮かべて、のんびり波にゆられるのはとてもたのしいひとときでした。

南洋島嶼一帆通 散在千波万浪中 想見早春猶盛夏 鳥呼椰子緑陰風

南洋の島々に
船がゆくようになった。
方々に広がり
いくつもの波をこえて。

私は思いえがく
早春さえも常夏で
鳥の呼びかわす
椰子緑陰の風の中を。 (大正天皇「南洋諸島」、拙訳)



 南洋の島々といえば20代のある時期、私は戦前のハワイにおける日系人活動を研究していたある教授に雇われて、かの地の日本語新聞の見出し・リード・広告文の採取に勤しむ日々を送っていました。日本語新聞は文芸欄もにぎやかで、とりわけ活気のあったジャンルが俳句だったのですが、ここ数年自分が俳句を書きはじめ、そのころの新聞をあらためて読んでみると、当時は気づかなかったハワイ俳壇の独自性がまあいろいろと目につきます。たとえば日系人社会が安定し、作品が日本的な季題にこだわらなくなるにつれ、「ワヒアワ高原吟社」や「布哇俳句会」といった自由律のグループが有季定型のグループをしのいで一世を風靡したこともそのひとつです。ハワイで最初に句集『草と空』(層雲社、1941年)を刊行した丸山素仁も自由律俳人だったんですよ。

椰子に風が吹いている土人の女たち    丸山素仁
夢が日本のことであって虫に啼かれる
蔗に蔗がのしかかっていて逢う人もいない
月を木蔭にして日本の戦争ニュースが聞えるころ
今日帰還兵があるという旗出して庭一ぱいに蕨
お迎え申して椰子の風に吹かるることする

 遠い異国で土をたがやす日々の労苦や日本への郷愁を詠みつつも、感情がちぢこまらず、言葉のふしぶしがしなやかにゆれています。最後の句は1937年、自由律俳誌「層雲」の主宰・荻原井泉水をハワイに迎えた折の作です。土地の霊気とまじわりながら、魂にまつわる儀式をいとなむばかりの風情は、ハワイの自然の圧倒的なオーラや、移民たちのパイオニア精神を鷹揚に受け止める自由律ゆえに写しえたものでしょう。

 この素仁を自由律に誘ったのが古屋翠渓という俳人で、句集『流転』のほか『移民のらくがき』『配所転々』などの著作があります。強制収容所時代の話を書いた『配所転々』は英語版《An Internment Odyssey》も刊行されました。

ひるねの、わたしも眠れてガデュアのかほり   古谷翠渓
熱もとれたので昼時のペパーの木に風ある
青マンゴ、こゝに骨をうづめた草分けの人々
外の垣にも花の我家でご飯いただく
目さめて見てもわが家

 最初の句は「日布時事」からの引用で、ガデュアは世界最強の竹のこと。翠渓は日米開戦後すぐ米軍によって連行されており、最後の2句は1945年、4年にわたる抑留生活を終えて無事ハワイの自宅に帰宅した折の作です。

(つづく)




【小津夜景日記*フラワーズ・カンフー】
https://yakeiozu.blogspot.com/

(写真提供:著者)

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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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