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LETTERS 古典と古楽をめぐる対話
俳人 × 音楽家
小津夜景 × 須藤岳史
第10回 片隅と世界と(下) (須藤岳史より)


 閑話休題。
 先日はハーグにあるスピノザ邸に行ってきました。
 スピノザ邸は市街地に位置するのですが、運河周辺の盛り場からは少し離れた隠れ家的な場所です。ちなみにこの運河沿いには画家のヤン・ステーン(1626 – 1679)やヤン・ファン・ホーイェン(1596 – 1656) も住んでいました。数軒のパプが並ぶ運河まで出て、かつて集荷場として使われた建物や歴史的人物が住んでいた家々を眺めていると、当時の船着き場の賑わいが眼に浮かんでくるようです。

 スピノザ邸の裏手には現在はSpinozapoortjeと呼ばれる秘密の裏通りがあります。地元の人でも知っている人は少なく、市街地ながらもひっそりとした17世紀の雰囲気が残っています。


 このスピノザ邸は彼がハーグで2番目に住んだ家で、その生涯を終えた場所でもあります。家は3階建てなのですが、スピノザが借りていたのは最上階の屋根裏のみで、ここで質素な暮らしを続けながら『エチカ』を書き上げました。

 今回訪問したのはグラウンドフロアにある共用のスペースで、石造りの床、質素な壁と天井、古い家具や書架のみが織りなす空間です。ここでスピノザはライプニッツとも対面しました。誰もいないその部屋の机にノートを広げ、思い浮かぶあれやこれやを書きつけていると、なんだか17世紀へとタイムスリップしてしまったような気分になります。


 現在のところ、スピノザが借りていた最上階は非公開となっています。というのもいまだにこの部屋は普通に賃貸物件となっていて、人が住んでいるのですよ!

 スピノザはこの家で隠遁的な生活を送っていました。ユダヤ人の共同体から追放されたり、親交を結んでいたオランダ共和派のヨハン・デ・ウィットが民衆の手により虐殺されたりと、彼の周囲を取り巻く難しい状況もあったようで、ハイデルベルク大学からの招聘も断っていますし、『エチカ』の出版も断念しました。

 隠遁の目的となるのはいつも「思索の自由」です。社会や習慣のあらゆる制約から距離を置き、考えたいことを考えること、書きたいことを書くこと。

 隠遁とは世界から隔絶することです。そして、そこで得ることができる自由には必ず「秘密」がついてきます。

 そういえば抜き書き帳にこんな言葉がありました。


「人生には三つの側面がある。公的な部分と私的な部分、そして秘密の部分だ」
(ガルシア=マルケス)


 この「秘密」こそがあらゆる創造の源泉となっているような気がしてならないのです。ここでいう秘密とは、たんに隠蔽された事実というのではなく、その事実から連想された何か、例えば連句における二転三転させたくらいの距離の「付け」のような、秘密そのものとは関係のない何かなのだと思います。その連想が受け取り手の中で育ち、また同じようなプロセスえ経て新たな連想を生み、それが芸術の大きな流れを作っていく。そんな気がしてなりません。

 古楽の演奏にも秘密を探ってゆく楽しみがあります。
 現在も残っている多くの楽器は、その姿を少しずつ変えながらも演奏され続けてきた楽器です。しかし、ヴィオラ・ダ・ガンバは18世紀の後半に一度、ほぼその姿を消してしまった楽器で、20世紀に入ってからいわば「再発見」され、古文献の研究が進み、現在再びその音を聞くことができるようになりました。

 当時の楽器は少ないながらも残っているので、レプリカの製作や音の確認は可能なのですが、演奏習慣の断絶のため当時どのような作法に基づいてこの楽器が演奏されたのかは文献研究に頼るしかありません。だから「ほんとうのところ」は誰にもわからないのです。そして言うまでもなく、記述された歴史と同様、当時書かれたものはほんの一部の(しかも主観的あるいは誰かにとって都合の良いものにすぎないかもしれない)「ほんとう」であり、それが「正しい」とは誰にも断言できません。だから文献や楽譜を読み比べて、当時の様子を想像することには秘密の探求の楽しみがあるのです。

 文献のみならず、楽器自体が持つ「記憶」も多くの情報を運んできてくれます。例えば調弦や音や響きが自然に要求することに対して耳をすますこと。演奏者の身体と楽器との関係が生み出す限定と可能性を見極めること。しかし、幸か不幸か、私たちの耳はすでにこの楽器やその音楽が演奏された時よりも後の時代の響きを知ってしまっています。そのため、当時の音楽へのアプローチは遡及のプロセスによる摩擦を避けられません。現代の耳が自然だと感じることと、当時の人々が自然だと感じたであろうことの間には埋められない溝があるのです。ですから、「感じること」にはいつもある種の疑いを持ち、客観的に観察する別の自分が必要となってきます。これは文学における初稿と推敲の関係にも似ていますね。

 ヴィオラ・ダ・ガンバが忘れ去れたのにはいくつかの理由があります。
 ひとつは、この楽器が王や貴族たちにこよなく愛されたフランスでの革命の際、アンシャン・レジームの象徴のひとつになってしまったこと(当時の宮廷音楽家でヴィオラ・ダ・ガンバの名手/作曲家であったマラン・マレはルイ14世の寝室へ入ることも許されていたとか)。

 もうひとつの理由(そしてより大きな理由)には、音楽の場が宮殿や貴族の邸宅から、より多くの聴衆を収容できるコンサートホールへと移ったことがあげられます。

 いわば「聴衆の誕生」により、ヴァイオリンやチェロ、すべての管楽器には改造が施され、広い会場でもよく聞こえる大きな音を出せるようになりました。

 しかし、チェロへと改造された楽器を除き、ヴィオラ・ダ・ガンバはそのままの姿を止め、結果として消滅への道を選びました。というのもヴィオラ・ダ・ガンバを増強したり、また20世紀になってから使われるようになったスチールの弦を使ったりすると、この楽器の持ち味であるホワイトノイズを多く含む独特の音色が犠牲になってしまうからです(個人的には<壊れたチェロのような音>と呼んでいます)。

 変化を続ける社会へと対応してゆくことを放棄して、そのまま消えていったヴィオラ・ダ・ガンバ。それを敗者とは呼ばず、隠者のような楽器だと思ってしまうのは演奏家の身勝手でしょうか?

 以前あなたが僕の演奏を聴いて作ったという句を思い出しました。隠遁の中にある秘密が限られた人々の間だけで開示される場面を彷彿させる句ですね。



 世界との断絶、そこに生まれる秘密。ミクロコスモスとマクロコスモスの雑な照応が切り捨ててしまうものまでをも飲み込み、片隅の灯台から世界へ向けて密やかに、しかし確かに発せられる信号。もしかしたら誰もその信号に気がつかないかもしれない。でもそれもまた、というかそれこそが世界をかたちづくる確かなものなのかもしれません。

須藤岳史拝




【須藤岳史 Twitter】
https://twitter.com/Artssoy

(写真提供:著者)


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【おづ・やけい × すどう・たけし】
◆小津夜景◆1973年北海道生まれ。句集に『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。フランス・ニース在住。

◆須藤岳史◆1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オランダ・ハーグ在住。
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