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Books(書評) 2月号
表紙 チベット語になった「坊ちゃん」
中村吉広著/山と渓谷社 1,600円

 チベットに開いた日本語の窓

 さだまさしが切々と歌う『防人の詩』が流れる教室で、歌詞を次々とチベット語へと翻訳していく生徒たち。日本語を習い始めてからまだ三ヵ月なのに、日本的な死生観に根ざした詩句を適切なチベット語に訳そうと、議論が沸騰するこんな奇跡のような授業が、中国・青海省の田舎町チャプチャにある民族師範高等学校を舞台に実践されていた。

 塾の講師をしていた時代にチベット系の台湾人留学生の論文を添削したのがきっかけで、しだいにチベット仏教に関心を持つようになった著者は、一九九八年からチャプチャに留学する。そこで出会ったのが、本書で「我が師」と呼ばれる、気鋭のチベット語文法学者だ。慣れぬ英語を介した最初の授業で「わからない」を連発され、困惑の果てに思わず書き殴った中国語を、「それならわかる」と告げられた時のショック。「ニイハオ」と「シェシェ」しか話せないくせに、この留学生はなぜ中国語が読めるのか……。著者が漢文を書き下して見せると、師は瞬時に助詞の存在から日本語とチベット語との類似性を見抜く。同じ膠着語同士だから、「てにをは」さえ見分けてしまえば、あとは語順通りに単語をチベット語に置き換えていけばいいのだ。

 のちに著者の生徒となって日本語を学んだ師は、自身の文法の授業や研究にも日本語文法の知識を駆使するようになり、狂言の『附子』から柳田國男の講演録、山口瑞鳳の仏教論文へと、嬉々として翻訳を続ける。

 やがて師の強い推薦で日本語コースの教師を務めることになった著者は、独創的な授業を展開していく。その中心として取り組んだのが、クラス対抗のリレー形式でやる『坊ちゃん』の翻訳だ。生徒たちはたちまち漱石の巧みな人物造型に引き込まれ、競い合って翻訳を進める。中国語ができない野蛮な劣等民族という烙印を押されていたチベット人が、漢族とは桁違いのスピードで日本語を身につけていく様は、まさに痛快。時には詭弁やはったりも交えながら彼らを励まし、叱りつけて育てていく著者の熱血教師ぶりにも、圧倒される思いがする。

 人民解放軍の侵攻から半世紀が過ぎ、徹底した漢化政策によって、チベット語ができないチベット人も増えてきた。中国語が堪能でないと、出世もおぼつかない。ところが容易に身につく日本語という窓を通じて、チベット人は広い世界と直接コミットしていくことができる。ユーラシア大陸を東西に貫く「膠着語の回廊」が、民族の未来を開く鍵になる。

 本書のあちこちから、学ぶことに目覚めた生徒たちの純粋な気持ちがひたひたと伝わってきて、何度も目頭を熱くさせられる。そして、我が身の国語力や悪筆に恥じ入るとともに、日本語の行く末に思いを馳せることになる。(評・丸山純)

なかむら・よしひろ
一九五八年福島県生まれ。キブツ体験や世界放浪を経て帰国後、塾講師に。日本語教師免許を取得。現在ブログ「旅限夢」で執筆活動を展開。




表紙スカルド詩人のサガ
森 信嘉著/東海大学文学部叢書 3,000円


 極北の国に花開いた物語

 アイスランド共和国は北大西洋上、ノルウェーとグリーンランドの間に位置する島国だ。火山と氷河で作られた国土には森も林もない荒涼とした景色が広がる。九世紀、ノルウェーなどからやってきた人々が植民して以来、途中ノルウェーやデンマークの植民地になり、幾度かの天災や飢饉に見舞われながらも、一九四四年、独立国となった。

 十三世紀、アイスランドでは「サガ」文学が花開いた。サガとはアイスランド語で「物語」の意味で、地元の大物から古代から伝わる英雄までさまざまな人物が語られた。「コルマクのサガ」「ハルフレズのサガ」もそうしたサガである。

 コルマクもハルフレズもともに屈強な戦士であると同時に優れた詩人だ。王や貴族のいなかった中世アイスランドでは、農民自らが武装し戦う。教養高いものは詩を吟じることもできる。サガのなかには「スカルド詩」という独特の詩が書かれている。これは決まった形と韻をとり、さらに「ケニング」という独特の言い換えを使わなければならない。たとえば船を「海の馬」、戦いを「剣の嵐」、女性を女神の名になぞらえる。こうした複雑な詩を、王や首領の宴で、または恋する女性に心を打ち明けるのに、あるいは戦いの相手を罵倒するのに使う。

 コルマクとハルフレズは、舌ぽう鋭い詩人であると同時に向こう見ずな戦士だ。愛する女性に思いのたけを詩で歌いながら、なかなかその思いを遂げられない。決闘や殺人などの血なまぐさい事件の間で、プライド高く素直になれない男と女の物語が語られる。どうして両方ともそんなに意固地なんだ、と戦いと愛に彩られたその物語にハラハラする。

 当時のアイスランドの人々はどんな気持ちでこの物語を聴いていたのだろうか。
極北の国の昔に思いをはせる。(評・大澤澄子)

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