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■Books(書評) 1月号
千三忌
簾内敬司著/岩波書店 2,000円
農民兵士の死が問うもの
千三忌とは、戦没した東北出身の農民兵士高橋千三を悼んで、いまも追悼される年忌である。それは一人残された母セキの手で建立された路傍の墓標に、有志たちが集って行なわれる年忌であると同時に、東北農山村の戦争体験を話し合う集会にもなり、その体験を風化させまいと記憶の灯明を灯し続けている。いわば仏事だけではない千三忌とは何を意味するのか、いまも重く北から問い続けている。
本書は、高橋千三のニューギニア戦を中心にした小説であり、ノンフィクションではない。とはいっても、いわゆるフィクションの類ではなく、限りなく事実に肉薄した戦記小説である。実際、太平洋戦争後半のニューギニア戦や千三の所属した第三十六雪師団の実態は不明な点が多く、真実は闇の中である。だが兵士たちの大部分は、戦闘による戦死よりは餓死や飢えからくる病死だったといわれる。だが公表は戦死であり、紙切れか石ころが届くだけであった。
高橋千三は、早くに父を亡くし、母だけの手で育った。実家にすがった母は、寒村の厳しい貧しさに耐えながら、やっと千三を一人前の大人に育て上げた。途端に千三は招集され、すぐ戦場に駆り立てられていった。
戦争は中国大陸から太平洋全域にまで広がっていた。千三の師団は、中国からニューギニアに転戦して、敵と交戦するというよりも、ジャングルとマラリアとの戦いになってしまった。
前線から、飢えて幽鬼のようになって逃げてくる兵士たち。白骨の墓場になったジャングルの熱気と湿気。千三たちも、食糧を探してジャングルの逃避行になり、戦力もすでになかった。仲間も減り、それでも飢えに耐え続けたが、千三も遂にマラリアに冒されて意識が混迷してしまった。遠い故郷の風景や母の姿がかすかに見え、もう死しかない。
この小説はここで終わる。貧しさと飢えの中で成長した東北農民兵士は、軍隊に行って白い米の飯を食べ、あまりの美味しさに涙を流して、家族にも食わせたいと願ったという。それだけに千三たちにとっても、弾丸にあたって死ぬことよりも、戦場で飢えて死ぬことの方が無残である。
戦時中、東北地方は兵士と食糧供給基地であった。戦後も兵士は出稼ぎ労働力に変わったに過ぎない。千三の死は戦争だけではなく、日本の近代そのものを告発する。かつて『戦没農民兵士の手紙』という本が出版されたが、この農民兵士たちは、千三とみな同郷であった。その手紙は、一様に家族と米にたいしての安否であった。千三忌はいまも続けられている。
(評・亜沙ふみ郎)
恋する手
太田治子著/講談社 1,700円
眼差しを再構築する
絵のなかをゆく眼差しは、小説や映画を味わうときとは違い、思いもよらない道筋を辿るものだ。
そうした鑑賞者の眼差しを小説として再構築してゆくのが本書の試みであろう。ダ・ヴィンチ、マネ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ムンク……十七枚の名画をモチーフに、十七人の女性達の恋が描かれる。
表題作「恋する手」は竹久夢二の「黒船屋」に描かれた、黒猫を抱く女の手に憧れる大学生の物語。絵の中の女は、男をぐいと、抱き締めるような大きな手をしていた。手が小さいことを理由に彫刻家からモデルの仕事を断られた主人公は「私も恋をすれば、大きい手になれるのかしら」と考えるようになる。外科病院院長の愛人だった彼女の母親も、「黒船屋」の女のような大きな手をしていた……。
私達も絵をじっと見つめるとき、それが人物画であろうと風景画であろうと、思わぬ考えがふいに浮かんできたりするものだ。いつしか額縁は消え、キャンバスのなかの人物達がぺちゃぺちゃとお喋りを始めたり、うらみごとをいったりする。「恋する手」の主人公も「黒船屋」に描かれた女の手に、屈折した両親との関係を見いだすようになる。
年齢も職業もばらばらな本書のヒロイン達だが、その人生はどこか似かよっている。母子間の静かなる対立。父への憧憬。美しい姉や親友への羨望。不倫の恋。あたたかく、時に残酷な短編は、同一主人公の物語を見つめ続けているのにも近い感覚を読者にもたらす。一人の女性の人生が切りとられ、十七枚の絵になったかのようだ。
それにしても、ここで紹介される十七枚の絵はどれも素晴らしい。読後は物語がスパイスとなり、見なれた名画も一段と輝きを増すことだろう。
(評・都築隆広)
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